14 商人
「アンジェリカ王女が、ホテル“シャトー”にいらっしゃいました」
アンナは、ぽつりと呟いた。
自分で言っておいて、何を言ってるのか分からなかった。
その報せをはじめて聞いた時、どういう事か分からなくて、アンナはしばらく部屋の中をおろおろと歩き回り、エルシーとクリスタを心配させてしまった。
ただ、そのせいで、ベルフォルマの御曹司の顔を見に行っておきながら、他の男性にときめいてしまったショックは、頭の中から吹き飛んでいた。
アンジェリカ王女だと名乗る女性――アンジェラ・レイトンは、ホテル『シャトー』に宿泊して以降、ホテルと市街地をひっきりなしに行き来した。
ほぼ毎日ベルフォルマ商会を訪ねているらしいが、どうにもまだ御曹司とは会えていないらしいと、アンナはやはり人伝の噂で聞いていた。
しかし、そうして毎日出掛けられては、否が応でも周囲の関心を引いてしまい、ホテル側は、物見客にどうしてもてんやわんやとしてしまう。
アンジェラ・レイトンに関する話は、驚くべき速さで世間に出回っていた。
みなしごだった自分を、今の養父バーナード・レイトンが引き取ってくれたこと。
アンジェリカ王女だという記憶を思い出したのは、つい最近であること。
今は、スケジュールが合わなくて会えないが、ギルバート王子の生まれ変わりであるキール・ベルフォルマと会うことを、楽しみにしていること。
そして、彼女の養父は、新興の百貨店を営んでいるということ。
アンナは、デパートというものを知らなくて、クリスタから教えて貰った。
従来的な専門店を、ひとつの大きな建物内に統括し、それぞれの店舗をフロアごとにかまえて展示陳列する新しい業態のお店で、産業革命以降の大量生産、大量消費の集大成として生まれたものだと教えてくれた。
ただし、そのメインターゲットは中産階級であり、成功した自営業者といった富裕層を相手にするもので、お店に並ぶものは高級品ばかりなのだそうだ。
アンナは、かつての自分とそっくりな人が現れて、困惑と混乱の繰り返しだったが、一週間もすると、さすがに落ち着いていった。
むしろ、自分が会おうに会えないベルフォルマの御曹司と、アンジェリカ王女と堂々と名乗る彼女は会えてしまうのか、そればかりが気になっていく。
そうでなくとも、侍女を2人連れて歩く彼女の姿をホテル内で何度も見かけた。
アンジェラ・レイトンを日に2度見かけることもあって、彼女はその度に違うドレスを着ていたが、今の上流階級ではそれが普通らしい。
やがて、レイトン社の営むデパートでは、アンジェラ・レイトンの身を飾ったドレスや宝飾の複製品がデパートで買えるとか、そういう触れ込みが聞こえてきた。
さらには、シルクのハンカチーフを、デパートの宣伝用に配りはじめたという話まであった。
これには、女性従業員たちがにわかに色めき立った。
アンジェラ・レイトンがよく利用するホテルのサロンに集まり、1日に数枚しか配られない、シルクのハンカチーフを求めて先を競った。
もちろんホテル側も、何度となく注意をしている。
けれど、彼女はその度に、貧しい暮らしをしていた自分を助けてくれた養父への恩返しがしたいのだと言っては、のらりくらりとかわしてしまうらしい。
アンナは、アンジェラ・レイトンに良い感情を抱けなかった。
彼女はいったい何をしに来たのか。
ギルバート王子の生まれ変わりである、キール・ベルフォルマに会いに来た。とてもじゃないが、それだけだとは思えなかった。
彼女には何か、別の目的がある気がして、胸の中がざわついてならなかった。
「……別に、それほどおかしな行動ではないわね。むしろ、当たり前って気もするわ。商売人ならね」
「……え」
アンナのわだかまりに、クリスタが答えてくれた。
けれど、その答えはアンナを驚かせるもので、クリスタは、そんなアンナをちらりと見ながら続けた。
「あのね、これは穿った見方をすれば、すぐに思い付くことだけど、ベルフォルマ商会だって、似たようなものかもしれないのよ。……つまりね、ベルフォルマの御曹司だって、家業と旧都市ミラの宣伝のために、ご自分をギルバート王子に見立てたのかもしれないってこと」
え、とアンナはもう一度繰り返したが、それは声になっていなかった。
アンナの様子に気付いているのか、いないのか、クリスタは不愉快そうに眉根を寄せる。
「ご自分の顔が王子様に似ていることを利用して、セントリーズの悲恋を下敷きにした噂を流すのよ。それで人の関心を引いて、自分たちが商売をしている場所へ大勢の人を呼び寄せる。とても商人らしいやり方だと思うわ。だからね、そういう損得勘定だけで考えると、あの噂だって疑わしいの。ギルバート王子がアンジェリカ王女を捜してるって、裏を返せば、アンジェリカ王女“候補”を捜しているようにも聞こえるわ」
「……候補」
「そう。少なくともレイトン側は、この都市を舞台にした生まれ変わり云々を、そうした見世物だと判断したんでしょうね。だから、アンジェラ・レイトンというアンジェリカ“役”を用意して、ご丁寧に侍女2人まで付けて、自分たちをベルフォルマ商会に売り込みに来たのよ。旧都市には、まだデパートも無いしね」
アンナは、アンジェラ・レイトンという女性の目的が、どこにあるのかを理解した。
しかし、それよりもアンナの心を掻き乱したのは、ベルフォルマの御曹司もギルバート王子“役”を演じているかもしれないことだった。
思い出すのは、あの時、絵画のようにしか感じなかった彼への想い。
「……にしたって、こんな臆面なく触れ回っているなんて。……もしかしたら、ベルフォルマ商会と、もう密約なり交わされている可能性だってあるわ」
そう言うクリスタの表情は、何故かとても苦々しげだった。