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13 来演


 「――起きなよ」


 ぺしぺしと、何かに頭を叩かれ、ネイサンは目を覚ました。


 昨夜、ヨハンのようにソファで寝ていたネイサンは、寝ぼけまなこで声の出所を辿り、やがて、ネイサンを見下ろすようにして立っているキール・ベルフォルマを見付けた。


 「――――」


 一瞬にして、昨夜の出来事が蘇り、がばりと身を起こす。そのせいで、ただでさえ血の巡っていない頭から、さらに血の気が引いていった。


 「ヨハン君が、夜半から朝方にかけて2度ほど経過報告を寄こしてくれている。だから、大体の状況は把握している」


 言って、ヨハンの報告らしき紙をネイサンに見せる。


 「市警隊への届けと、商館及び商工会議所への通達は完了したそうだ。市警には、拉致未遂の被害者。各受付けには、ベルフォルマ家の遠い親戚だと言って、いちおう別人のように仕立ててきたらしい。さらに、受付の方には(くだん)の特徴をもった娘がキール・ベルフォルマを訪ねてきた場合、丁重に出迎えるよう言付けてくれている。その上で、アンジェリカとおぼしき人物の該当者は、未だ現れていないと書いてあった」


 「…はい」


 ネイサンは、どんな叱責が飛んでくるかと身構えていたが、キールからは、昨夜の暴君のような振る舞いがすっかり鳴りを潜めていた。


 「あの、それで……お咎めは?」


 恐る恐るきけば、キールはわずかに顔をしかめた。


 「……別に、怒っていない。むしろ、良く止めた。あんな馬鹿げた命令を実行していたら、今まで何のために、アンジェリカ捜しを水面下にとどめてきたのか。全てが台無しになるところだった」


 ネイサンは、自分の考えやヨハンの行動が間違っていなかったようで、安堵と喜ばしい気分の、ふたつを同時に味わう。


 「ヨハン君にも、良くやったと、もう言ってある」


 どこか不満そうなキールは、そう言って昨夜ヨハンに襲撃された後ろ首を撫でた。


 「まったく、あの子に落とされるとか……」


 不覚を取られたことがよほど不服なのか、ため息混じりだった。


 「なんか色々なまってるようだから、少し体を動かしてくる。君も今日一日は、好きにしてて良いよ。ああ、商会の方は、さっきヴィンセントが訪ねてきた時、体調不良で休むって言ってあるから」


 「――え、でも。アンジェリカ王女を見付けたって……お捜しするんじゃ?」


 背を向けて行こうとしていたキールが、足を止めた。

 ゆっくりと、ネイサンを振り返る。


 「彼女は、ボクを……ギルバートを訪ねて、劇場へ行こうとしていた。なら、こちらが焦って動かずとも、必ずもう一度、彼女の方から来てくれるはずだ」


 確信めいた言い様だったが、その声音はやけに固かった。


 「でも、こんな状態で仕事なんて手に付かない。商館にいたら、受付けにかじりついていたくなる。従者のボクが、主人である君をほったらかして、そんな真似できないだろ。だから、今日ここで報せを待つ。……まあ、今のスケジュールは領主来訪が最優先で、事業の舵取りは別に回してるから、君一人でも問題ないとは思うけど」


 「……いえ、俺も気になって、それどころじゃないと思います」


 「なら、今日は屋敷で大人しく仮病しておいて」


 そう言い残すと、キールはさっさと部屋を出ていった。


 本当なら、是が非でも探しに行きたいのだろうと、ネイサンは思う。

 しかし、すでに半日以上探し回って、その無謀さは骨身に沁みているはずだ。


 ならば、ひとつの場所にとどまり、各所のいずれかに入るはずの連絡を待っている方がよほど効率的というものだった。


 ネイサンは、部屋の柱時計で時刻を確認した。もう正午前だった。

 昨夜はすぐに寝付けなかったせいで、かなり寝過ごしてしまった。


 思わぬ形で休日を得たものの、何をすべきかネイサンは迷う。特に、ヨハンが今なお街中を走り回っているというのに、部屋でだらついてばかりでいるのは心苦しい。


 朝食と昼食を兼ねた食事を取りながら、どうするかと思案していれば、ヒルダから書類の束を受け取った。ヨハンから預かったのだという、言伝と共に。


 それは、義弟妹(きようだい)たちの近況報告だった。


 孤児院の職員によって書かれた、見知った名前の一覧に目頭が熱くなる。

 この間の報告では、もうほとんどの子が文字を書けると書いてあった。そうして、子供の成長の早さを知る度に、ネイサンはやたら感動してしまっていた。


 同じ孤児院で育ったネイサンの義弟妹たちは、旧都市ミラには住んでいない。

 そもそもネイサンたちの抱える秘密を、何一つ知らされてはいなかった。


 何も知らないまま、別の孤児院――セントリーズ領主の息のかかった孤児院で、高いレベルの教育を受けながら暮らしているはずだった。


 彼らと別れて、もう5年は経った。15歳で孤児院を出たことになっているネイサンの存在など、ほとんどの義弟妹は覚えていないかもしれないと、ネイサンは妙な感傷に浸りながら、報告書に目を通していく。


 生活態度の良いところや悪いところ、以前の成績との比較評価、どんな職業に向いているかなどが、硬い文体と詳細な文章で書き込まれている。


 そこから、一人一人の成長過程を読み取って、昔の姿と未来の姿に思いを馳せていれば、気付いた時にはかなりの時間が経っていた。


 午後の間食として、ヒルダがお茶を運んできた時、少し前にヨハンから連絡があったことを教えてくれた。


 アンジェリカらしき訪ね人はなし。拉致未遂犯とおぼしき2人組を診療所で発見。という内容で、キールにはすでに報せたらしく、拉致未遂犯はキールの指示で拘置所に留め置くことが決定されたらしい。


 しかし、それ以降、ヨハンの連絡はぱたりと止んでしまう。


 次に連絡が届いたのは、キールとの遅い夕食中。それも、走り書きの紙面ではなく、ヨハン本人が報告にやってきた。


 ヨハンの姿を認めるなり、キールは立ち上がるが、何も言わず、ヨハンの言葉を待った。


 「あの、それが……その」


 「……どうした」


 珍しくヨハンが口篭もるせいで、キールの語気が強くなる。


 ただ、ネイサンには、ヨハンは言葉を渋っているというより、どう言ったらいいのか困惑しているように見えた。


 しばらく逡巡したあと、意を決したように口を開く。


 「アンジェリカ王女が、現れました」


 束の間、室内が静寂に包まれる。そして、


 「――どこだ」


 「いえ、待ってください。違うんです。アンジェリカ王女といっても、自分をアンジェリカ王女だと言い張っている、アンジェリカ王女の顔を持った女なんです」


 「……は?」


 「確認してきました。金の髪に翠の目をしていて、確かに絵画に描かれている通りのアンジェリカ王女でした。その女がベルフォルマの商館を訪ねてきた際、実際に目の当たりにしてきたので間違いありません。ですが、それだと貴方が昨夜に仰っていた外見的特徴と一致しません。トレア地方の服も着ていませんでした。豪奢に飾り立てた流行りのドレスです」


 「…………」


 キールは黙っていた。目を見張り、黙ったまま微動だにしない。


 「女は、うちの商館で自分はアンジェリカだと、キール・ベルフォルマに会いに来たのだと、その場に居た職員たちに聞こえるよう述べたてたらしいです。ですが、ベルフォルマの御曹司は二人ともここにいますから、当然会うことはできません。体調不良で不在だと告げられると、その場はいったん引き上げましたが、その後、ベルフォルマ商会の子会社であるホテル“シャトー”に宿を取っています」


 「…………」


 「それだけではありません。その女、自分の顔を見せびらかすように目抜き通りを練り歩いてきたようで、いま街中がその女の話題で持ちきりです。何のつもりで喧伝行為をしているのかは分かりませんが、要するに、正々堂々と鳴り物入りしてきた偽物です」


 ネイサンも、言葉が出てこなかった。


 今までも、自分をアンジェリカ王女だと自称してくる人間は数多くいた。


 だがさすがに、そんな風にしてわざわざ周囲を巻き込み、アンジェリカを自称する者はいなかった。その危険性は、少し考えれば分かるからだ。


 ネイサンは、キールの様子をうかがった。

 何とも言い難い顔をしていたが、視線に気付いたのかこちらを振り向く。


 「……ネイサン。この間、君に言ったよね。アンジェリカを騙るのは、よほどの愚者(バカ)か、でなければ――って」


 「……ええ」


 その静かな語り口が、かえって怖かった。


 「あれの答えはね」


 表情の無い顔で笑う。


 「同業者だ」






1/4 孤児院について一部変更

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