12 王家
「ど、どこへ行っていたんですか? 心配してたんですよ」
ネイサンは、駆け寄るようにして問いかけるが、キールからの返事はない。
彼は、ひどく疲労しているように見えた。
「……どうしました?」
「――――分からない。……分から、ない。何で? どうして、……だって、会いに。でも、なら、どうして……逃げて。なんで。待って、て」
様子がおかしかった。ただ一点を見つめ、ぽつぽつと呟いているが、混乱しているようで、何を言っているのか、まるで要領を得ない。
ネイサンは、再び声をかけようとしたが、ヨハンの手によって制される。
そして、代わりに問いかけた。
「アンジェリカ様ですか?」
キールが反応する。
ヨハンの顔を見向き、それからゆっくりと首を巡らせて、ネイサンの顔を見た。
彼の目がネイサンの顔を認識すると、何かに気付いたように目を見開き、そして自分の顔を手で覆う。
「―――そうか。顔が」
キールが次に顔を上げた時、その目には意志があった。爛々とした鋭い意志が。
「アンジェリカが、居た」
すぐには言葉が出てこなかった。
「彼女はお前をギルバートだと思ってる。だから、ボクが分からなかったんだ」
キールはまるで、ネイサンを責めるように言った。
「ネイサン、配下へ命じろ。旧都市の総力を以て捜し出せ」
「……え」
「15、6歳の娘だ。藍色の髪に、藍色の瞳。髪に黒のリボンを着けている。木綿で編まれた衣服。デザインはトルア地方のものだ。以上の外見的特徴を、商館と商工会議所の受付全てに達し、彼女が訪ねてきた時点で保護を徹底させろ。その次は、市警隊だ。同じく特徴を元にして、都市中を覆う人海網を展開させろ」
「…あの、でも」
おかしいと、思った。
そんな大事にしてしまっては、アンジェリカ王女を見付ける前に、とんでもない騒ぎになってしまう。見付けられたとしても、その瞬間、彼女は騒動の渦中に放り込まれることになってしまうだろう。
それ以前に、世間的にはベルフォルマの御曹司ということになっているネイサンが、キールの指示通り直接動いてしまうのは、どう考えても失策である。そう意見しようとしたが、その前にキールから指示が飛んだ。
「ヨハンっ」
「いますよ、ここに」
「該当する少女に覚えは?」
「無いですね。接触した女性の身体的特徴は、名前と一緒に全部書き留めてあるので、あとで提出します」
「あとじゃない。今すぐ持って来い。彼女の出で立ちからして、今日到着したばかりの可能性がある。お前は街中の宿を当たれ。見付けたら、すぐにこちらに連れてこい。アンジェリカを護衛もいない安宿に泊まらせるなんて私が許さない。いつ危険な目に――ああ、そうだった。それと今日の昼頃、拉致未遂で捕まった2人組を今すぐここへ連れて来い。直々に手打ちにしてく」
「とーーーうっ」
飛び出した時代錯誤な発言に、場違いな声が重なったかと思えば、キールの後ろ首に凶悪な速さで何かが叩き込まれた。
とたん、キールの体がぐらつき、倒れ込む直前でヨハンが受け止める。
「――重っ、ちょっ、兄ちゃん持って」
「おまっ――なっ、――おま」
ネイサンは狼狽しながらも、腕を震わせるヨハンから、ぐったりとしたキールの体を受け取った。
そのまま隣の部屋にある寝室へと誘導するので、素直に従ってしまったネイサンは、キールを運び入れ、ベッドの上に寝かしつけると、扉の前に控えていたヒルダに後の世話を任せる。
「これでよし。あ、そうだ。兄ちゃんにはもっと後で言おうと思ってたんだけど、オレ、あの人から戦闘術習いはじめたんだ。スポーツじゃなくて、ルール無用の何でもありな実戦」
「じゃなくてっ! 気絶させてどうするんだ! 聞いてただろっ、アンジェリカを見付けたって言ってたんだぞ。それをこんな、妨害させるようなことをして、あとで目を覚ましたら、どんな叱責を受けるか」
「大丈夫。その頃にオレはいない」
「待てこらあ!」
「それにさ、掛け声付きの打撃をまともに食らうって、相当ヤバイよ今のあの人。たぶん劇場で別れたあたりから、半日以上街中を駆けずり回ってたんだと思う。色々化け物じみてても、さすがに化け物じゃないんだから、冷静な判断なんてできなくなってるよ。そんな状態で下された命令なんて、ろくに聞いてられないでしょ。かといって休むよう言っても、聞き入れるとも思えないし」
だから気絶させたのか、とネイサンは、その躊躇いの無さに呆れてものが言えない。
「商館とかの受付けはもう閉まってるから、まず市警への伝達からやっとくよ。名目は、そうだな……さっき拉致未遂がどうのって言ってたっけ。それの被害者って事にしておこう」
「……逃げるのか」
「適材適所でしょ。自由に動けるのオレしかいないし。ええと、何だっけ。藍色の髪に藍色の目で――って、そんなのメチャクチャいるじゃん。他には黒リボンだっけ。それとトルア地方の衣服…………どういうのか、兄ちゃん知ってる?」
ネイサンは、ため息をついた。
そして、机上のランプを手に持つと、書斎の方までヨハンを招き入れる。
壁一面、ずらりと並べられた本棚にランプの光をかざして、衣服に関する項目まで歩いていき、そこから一冊の本を取り出した。
「でも、そっかあ。ついにアンジェリカ王女様のご登場か」
ページをめくっているネイサンの横で、ランプを持ったヨハンがこぼす。
「……気楽だな、お前は」
「だって、あのセントリーズの末裔なんでしょ。聖女リーズ様のご子孫様。いわば、この生まれ変わり劇を仕組んだ張本人なんだし。どんな人か興味あるよ」
「…………」
義弟の発言を、否定できないネイサンは、押し黙る。
黙ったままページをめくり、目的の箇所を見付けると、書物ごとヨハンに渡した。
ネイサンはランプを預り、図解入りの文面に目を落とす義弟の横顔を見つめる。
――――生まれ変わり劇を、仕組んだ張本人。
キールから、そう聞いたわけではない。
しかし、生まれ変わりなどという神秘主義を、もし仮に引き起こせる存在がいるのだとしたら、それはアンジェリカ王女しかいなかった。
セントリーズ王国は、聖女リーズを初代の王として興った国だと言われている。
いわゆる王権神授というもので、絶対王政に正当性を持たせるための詭弁だと、神のたぐいを信じないネイサンは思っている。
だが、このセントリーズの地には、数多くの逸話が残っており、それが、今なお各地にセントリーズ王家の信奉者を残す理由でもある。
大干ばつの年に湖を出現させたとか、不毛の大地に白い花が咲き乱れ、それを万能の薬にしたとか。多種多様、様々な形で散見されるが、その全てには一貫した共通項があった。
逸話の全てが、王家の女によって引き起こされた奇蹟なのである。
3百年前のアンジェリカ王女が、国運を決めるギルバート王子との婚約を結んだのも、彼女が引き寄せた奇蹟だったという見方すらある。
しかし、それは裏を返せば、そのせいで隣国の侵攻を受けたとも言えてしまうため、一概にすることはできないだろう。
聖リーズ最後の末裔が、死の際に何を願ったのかは分からない。
ただ、セントリーズ王国が滅んで、3百年後に生まれたはずのネイサンは、あの王家がどういった存在だったかを、こうして知るはめになっている。
確かに王家は滅んだが、その名と歴史は後世へと語り継がれ、かつての王都は昔の姿を取り戻しつつ―――いや、おそらくそれ以上の発展を遂げようとしていることを、ネイサンは日に日に肌身に感じてならない。
「オレは……少し怖いかな」
読み終わった本を棚にしまうとするヨハンに、ネイサンは呟いた。
「あのキール・ベルフォルマに、ここまでさせる人が、どんな人なのか……」
「あー、まあ、確かに。それは怖いよね。でも、アンジェリカがこのまま見付からない方が、よほど怖いと思うよ?」
「う……」
「んー……何て言うか、これは、ただの勘だけど。アンジェリカ王女様には嫌な感じとか全然しないんだよね。むしろ、彼女さえいれば全てが上手くいく気がする」
そう言いながら、ヨハンはネイサンを労るように見上げた。
「ちなみに、この勘はけっこう自信があるから、安心してもいいと思うよ」
その自信とやらは、いったいどこから来てるのか。
神のたぐいを信じていないネイサンは、けれど、義弟のことはずっと信じて生きてきた。
その義弟が、自分に大丈夫だと言ってくれている。
「……そっか。なら、少しは安心できるな」
「うん、安心してて。じゃ、オレはもう行くね。兄ちゃんも、きちんと休みなよ。その顔にクマとか作ったら、余計にお怒りを買うだけだよ」
「う……」
確かにそれは、別の意味で怖かった。
※首筋への強打は、ガチで止めましょう。ダメ、絶対(`・ω・´)