01 悲劇
その日、セントリーズ王国は滅亡した。
隣国との長年にわたる小競り合いを繰り返してきたセントリーズ王国は、徐々に国力を落としつつあったが、第三国であるゼノア王国との同盟が締結される運びとなり、ギルバート王子とアンジェリカ王女の婚約が、めでたく結ばれた矢先だった。
両国の同盟に激しく反発した隣国が、宣戦の布告も無しにセントリーズへと侵攻を開始したのである。
セントリーズ側も、隣国兵による王都行軍を察知したものの、自軍を招集しきれなかったセントリーズ軍はこれを抑えきれず、夜陰にまぎれた奇襲を許してしまい、内部の守備を崩された王城は、十日と保たずに陥落させられた。
隣国の蛮行には、後世の人間によって様々な憶測が立てられる。
同盟関係に選ばれなかった利権抗争だったとか、強国となったのちの制裁を恐れたのだとか。中には、聖なる血統の根絶を狙った宗派対立だったという見方もあったが、どれも憶測の域を出るものではない。
理由を語るべき隣国もまた、三ヶ月と経たぬ内に滅亡したためである。
第三国、ゼノア王国による報復だった。
まだ同盟関係にはなかったゼノア王国だが、報復にいたる大義名分はあった。セントリーズ王宮内にて、自国の王子が敵兵に討たれ命を落としていたのである。
セントリーズの危機を報されたギルバート王子は、直轄の一個師団を率いて王都へと参じたが、隣国の敵兵に取り囲まれた王城を眼前にすると、腹心の制止にも耳を貸さず、単身乗り込んでいった。
腹心たちは精鋭のみで王子を追い、セントリーズ兵と隣国の敵兵が混戦する中を駆け抜けた先で彼らが目の当たりにしたのは、アンジェリカ王女の亡骸とギルバート王子の亡骸だった。
争いのただ中に置かれながらも生き残った、アンジェリカ王女の侍女による証言がある。
王女がその報せを聞かされた時、すでに王都では隣国兵による虐殺が行われていたという。交渉の使者すら立てられず、あたかも皆殺しが目的だと言わんばかりの惨事に、城内の人間たちは震撼するばかりだった。
やがて王城は包囲され、城門の突破を瀬戸際で食い止めるという戦況まで追い込まれた時、アンジェリカ王女の手元には一杯の毒杯が用意されていた。
敵兵に捕まり、辱めを受けるくらいならばと、父王が手配したものだった。
それでもまだ、一縷の望みはあった。
隣国による王都行軍の報せを受けたセントリーズの各領地と、そして、ゼノア王国からの援軍が、ギルバート王子と共にセントリーズへと向かっているという、混乱する戦況の中で、出所も不確かな報せがあったためである。
だからこそ、アンジェリカ王女はぎりぎりまで待っていた。
王宮の深窓、自室から続く隠し部屋に二人の侍女とともに篭もり、その時が来るのを待つアンジェリカ王女の手には毒杯が。二人の侍女たちの手には短剣が握られていた。
隠し部屋の扉を、誰が開けるかで全てが決まる。
そんな極限状態の時間を何時間も過ごし、次第に近づいてくる怒号に耐え続け、ついに隣の部屋に何者かが乗り込んできた。
隠し部屋の扉を開いたのは、敵軍の兵士だった。
アンジェリカ王女を発見したと、にわかに沸き立つ敵兵二人に、女三人は動き、けれど、わずか数秒後、敵兵の一人を斬り捨てる者が現れる。
瞬く間に二人目の兵士を仕留め、その血まみれの顔を上げた青年は、彼女たちが良く見知った、ギルバート王子だった。
助かったという侍女たちの幻想は一瞬後、床に落ちた杯の、乾いた音によって打ち砕かれた。
何が起こったのか、すぐには理解できなかったという。
自害するには、どうしても躊躇いがでる短剣によって自分たちの命は助かり、楽に、そして速やかに死ねる毒杯は、その用途どおりに王女を害したなど、とうてい理解できることではなかった。
一人の侍女は悲鳴を上げ、一人の侍女は拾い上げた空の杯を愕然と見つめたという。
彼女たちの有り様に、ギルバート王子が何を察したかは想像に難くない。
アンジェリカ王女が崩れ落ちるのを、ギルバート王子が抱き留める。その光景を、二人の侍女たちは、ただ呆然と見守った。
ほんの僅差だった。
わずか数秒の時間差で、王女の命運は別たれた。
この世へ引き止める言葉を、ギルバート王子は必死に叫び続け、しかし、その叫びが聞き届けられることはなく、アンジェリカ王女は彼の腕の中で息を引き取ったとされる。
だが、悲劇はここで終わらなかった。
次の瞬間に、ギルバート王子は凶刃に貫かれていた。
アンジェリカ王女の死に誰もが放心し、斬り捨てられたはずの敵兵が起き上がっていたことに気付くことが出来ず、奇しくも、王女の死からほとんど間を置かずして、ギルバート王子もまたこの場で命を落とした。
その直後になる。アンジェリカ王女の亡骸を奪おうとする敵兵と、それを阻もうとする侍女たちの揉み合いに、ギルバート王子の精鋭が駆けつけたのは。
二人の侍女と精鋭たちは、事切れた二つの亡骸を運び出すことを最優先にし、どうにか王城を脱出するが、司令官を失ったゼノア王国の一個師団は撤退を余儀なくされ、攻め落とされるセントリーズを背に本国への帰還となった。
間もなくして、隣国によるセントリーズ国王の死が伝えられる。
それによりセントリーズ王国は、王の討ち死にと、王女の自害によって王家の直系を絶やし、王朝の終焉を迎えることとなった。
ゼノア王国の報復は、即時決行された。
もともとあった国力の差に加え、セントリーズの占領に兵力を割いていた隣国は、おろそかになった自国の守りを突かれ、あっさりと落城。
また、セントリーズ王家の滅亡後も、隣国との抗戦を続けていた残存勢力と共に、セントリーズの王都奪還もほどなくして成し遂げられた。
その後、セントリーズは、ゼノア王国セントリーズ領として、当国へと編入される。
討たれた隣国もゼノアの領地に加えられるが、王政に関わっていた王侯貴族のほとんどは処刑され、さらにその国名を永久に抹消するという厳正な処罰が下された。
アンジェリカ王女とギルバート王子の遺体は、ゼノア王国の王廟にて手厚く葬られ、二人の迎えた最期は、その憐れな結末を悼む王妃によって広く語り継がれることになる。
やがて、『セントリーズの悲恋』と銘され、多くの書物や演劇で描かれる、古典悲劇のひとつとなっていった。
それからおよそ三百年後、一人の少女がセントリーズ旧王都の地を踏んだ。
悲劇の元ネタは、ロミジュリさんです
でも、ロミジュリの登場人物、ストーリーとは、全くの無関係ですのでお気を付け下さい