お嬢様の困惑
その日の午後、ドゥラック伯爵邸に衝撃が駆け抜けた。
なんと、ディートハルト公爵の使者が訪れて、『主人はドゥラック伯爵との面会を希望しております。ご都合のよい日時を教えていただけないでしょうか』と言ったのだ。
独身男性が年頃の、しかも世間で恋人だと噂されている令嬢の、父親に会いたいとは――普通は、結婚の許しを得るためだと考える。
「リーシャ? 貴女、公爵様にプロポーズされたの?」
母の問いに、リーシャは首を横に振った。
そんな日は絶対に来ない。
来ないと分かっているが、『わたくし、熱烈に片思い中です』という看板を掲げている以上、クリスティアンの言動に一喜一憂する夢見る夢子でいなければならない。
リーシャは気落ちしたふりを装い、『まだです』と答えた。
「まあ、大丈夫よ」
母は、リーシャを抱き締めた。
「きっと、正式な交際の申し込みにいらっしゃっるのだと思うわ」
それもないと思う。
「当日は、私はいない方がいいですよね」
と、伯爵夫人に言ったのはウォルフ。
彼は、ドゥラック伯爵の補佐役を勤めているため、ほぼ毎日リーシャの家にいる。
「そうね。やはり、彼女の家で元婚約者と鉢合わせは不味いわね」
クリスティアンは恋人ではないし、ウォルフに至っては名ばかり元婚約者だ。ウォルフと甘い雰囲気になったことは一度もない。
「悪いけれど、明後日はご実家の方にいてくれる?」
「いいですよ」
いつものように、全てが勝手に決められていく。
「いい」
リーシャは不機嫌に言った。
「いつも通り、ウォルフはうちにいて」
「でもね、リーシャ」
「いつも通りでいいの! クリスティアン様は、ウォルフがいても気になさらないわ」
そんな関係ではないもの。
「おい、リーシャ。何をそんなにカリカリしてるんだ?」
宥めるようなウォルフの声に、余計に苛立つ。
「ウォルフには分かんないわよっ!」
リーシャは叫ぶように言って、庭へと走り去った。
庭の片隅の花壇は、リーシャ専用のものだった。
いつも手入れをして、自分の好きな花だけを植えている。
けれど、綺麗に整えられた花畑を見ても、心は晴れなかった。結局のところ、綺麗な花畑など自己満足なのだ。植物は雑草があろうが、水まきを忘れようが、土と太陽と雨があれば咲く。リーシャを必要とはしていない。
家族が自分を愛してくれているのは、分かっていた。外に出た時は、リーシャが失敗して恥ずかしい思いをしなくていいように、ウォルフも含め、みんなが気を付けてくれているのも知っている。
「いつも冷静なウォルフ」
リーシャは、一人呟いた。
「しっかり者のヒルダ」
――コゲッ、コゲッ
「どうして、わたしはそうなれないのかしら」
――コゲッ、コゲッ、コッ
白い雄鶏がリーシャの前を横切り、土を掘った。
「ねえ、コッコ。感傷に浸ってるんだから、邪魔しないでくれる?」
リーシャがヒヨコから育て、ペットとなっている雄鶏は、ニワトリ特有の無機質な眼差しを向けると、彼女の目の前でフンを落とした。
飼い主の感傷を吹き飛ばしたその行為は、ある意味、雄鶏の慰めだったのかもしれない。