公爵様の好奇心
クリスティアンは、大広間に入るなり、ゆっくりと辺りを見回した。
色の洪水のような衣装の中、クリスティアンはいつものように黒の夜会服に身を包んでいた。
もちろん公爵という身分に相応しく、最高級の生地と流行のデザインで仕立てられた夜会服だ。
ただし、色は黒。
何着もの夜会服を持ってはいるが、全てが黒を基調としている。
誰もが、それをクリスティアンのこだわりだと思っていた。
が、何の事はない。
クリスティアンは、色の組み合わせが苦手だった。面倒だからと、ほとんどの服を黒にしている。そのせいで、ますます近寄りがたい雰囲気になってしまっていた。
今も、周囲の人間から見れば、夜会の賑わいを興味なさげに眺めている――ように見えるのだが、実のところ、かなり挙動不審に赤銅色の髪を探しているのだ。ここ二週間ずっと。
どうやらリーシャ・ドゥラックは観劇同様、夜会にも興味がないらしい。
今夜の夜会は、王宮総務局主催の音楽会だった。比較的政治色が少なく、若者に好まれる催しである。ここなら、と思ったのだが。
また無駄骨だったかと諦めかかった時、壁側で赤銅色が揺れた。
彼女だ。
今夜はリーシャは、白のレースをあしらった水色のドレスを着ていた。赤銅色の巻き毛は、ドレスと同じ色のリボンと一緒にゆるく編み込まれている。
吸い寄せられるように一歩踏み出して、クリスティアンは足を止めた。
彼女は一人ではなく、白いドレスを着た女の子と一緒にいた。おそらく親族なのだろう。髪の色こそリーシャより淡い色合いだったが、全体的な雰囲気が似ていた。
(行ってどうする気だ?)
クリスティアンは自問した。
行ったところで、何を話せばいいのか分からない。歴史学の講義をするのが関の山だ。ダンスは――だめだ。何年も踊ってないから自信がない。
迷っているうちに、リーシャがふとこちらを見た。
淡い緑の瞳はクリスティアンを捉えると、驚いたように見開かれた。
(私、だよな。後ろに知り合いが立っているとかじゃないよな)
クリスティアンは、背後を確かめたくなる気持ちを押さえて、リーシャに向かって軽く目礼した。リーシャはこちらに手のひらを向け、胸の前で指を小さくひらひらと動かした。どうやら、目立たぬように手を振っているつもりらしい。
可愛らしい仕草に、思わず頬がゆるむ。
リーシャは、今まで会ったどの令嬢とも違った。元気で、人懐っこくて――そして、言動が謎だ。
一緒にいる令嬢が何か話しかけたらしい。リーシャはそちらに目を向けてしまった。
クリスティアンは、思った以上にがっかりしている自分に苦笑した。
何を期待していたのだろう。また会えば、彼女の方から話しかけてくるとでも?
ほどなく、一人の若者がリーシャの側に立った。
リーシャが笑顔を向けた。
三人は知り合いのようで、リーシャは仲良く――少なくともクリスティアンとよりは仲良さげに――話をしていた。
ドゥラック家には男子がいないはずだ。従兄? 友達? それとも、恋人?
やがて何があったのか、リーシャが首を横に振り片手で口元を押さえ、困ったような風情で頭を傾げた。
気になる。気になってしょうがない……
「ああ、いいだろう! いざとなれば、第三王朝のフレデリック大王の話がある。それなら、朝までだって語れるさ」
やけくそ気味に呟き、心を決めると、クリスティアンは大股でリーシャのもとへ歩いて行った。
『今宵のディートハルト公爵は、いつもにも増して不機嫌ですな』
『夜会嫌いですものね』
周囲のそんなひそひそ話に、クリスティアンが気づくことはなかった。