公爵様は人見知り
世の中には、人付き合いに向かない人間というのがいるものだ。
クリスティアンは苦々しくそう思った。
人付き合いに向かない人間――そう、例えば、今この時、義理の伯母である王妃陛下のサロンで、見知らぬ令嬢を前に、挨拶の次に言うべき言葉に悩んでいる自分とか。
思えば生まれてこの方、クリスティアンは身内以外の女性と、まともな会話をした事がない。
頭は悪くない。容姿は――漆黒の髪と黒曜石に例えられる瞳を差し引いても――端正な顔立ちだと評されている。
ただ、なんと言うか、クリスティアンは、雑談が苦手だった。
話すべき用件がなくなった時、何を話していいか分からなくなるのだ。結果、『ディートハルト公爵は気難しい』という評判が立ってしまっていた。
「クリスティアン、よく来て下さったわね」
王妃陛下がにこやかに言う。
「貴方に紹介したい方がいるのよ。こちらは、リーシャ・ドゥラック伯爵令嬢。わたくしのお友達の親戚なの」
王妃陛下も懲りない方だと、クリスティアンは思った。今までに何度となく年頃の令嬢を紹介されたが、上手く付き合えた試しがないのだ。
それでも、自分の事を心配してのことだ。無下にはできない。
クリスティアンは、赤銅色の巻き毛の伯爵令嬢に向かって笑顔を作った。引きつっていなければいいが。
「クリスティアン・ディートハルトです。レディ」
型通りの挨拶をしたが、返事はない。令嬢はポカンと口を開いてクリスティアンを見上げたまま固まっていた。
「レディ・リーシャ?」
クリスティアンが訝しげに顔をしかめると、令嬢は慌てたようにレモンイエローのドレスの端ををつまみ、膝を曲げて礼をした。
「失礼しましたっ! 見惚れてましたっ!」
(は?)
斜め上ゆく回答に目を丸くする。
しかも、彼女は小さく握りこぶしを作り、『これなら大丈夫』と呟いたのだ。空耳ではない。確かにそう呟いた。
何が『大丈夫』なのか、すごく気になる。
「可愛らしいお嬢さんでしょう?」
王妃陛下がクリスティアンに向かって言う。『褒めろ』という合図だ。
「そうですね」
睨まないでほしい。美辞麗句を並べ立てる才能など、持ち合わせていないのだ。
しかし、令嬢は照れたように『ありがとうございます』と言ってくれた。
ここまではいい。
毎回、ここまでは何とかなるのだ。
王妃陛下に椅子を勧められ、クリスティアンは、令嬢と向かい合うように座った。
場を取り持つように、王妃陛下が最近の社交界の噂話をし始めた。面白おかしく、陰口にはならない絶妙の加減――どうやったらこんな芸当ができるのかと、感心してしまう。
さて、どこで口を挟めばいいのか。
令嬢は、屈託のない、人懐っこいとさえいえる笑顔でコクコクと頷いている。
地方の土産物にこんな工芸人形があったな――ふと、クリスティアンはそう思った。
「――で、リーシャはスタインの新しい歌劇はご覧になって?」
「いえ、まだなんです」
「まあ、とても感動的なのよ。ね、クリスティアン?」
スタインは、王都の貴婦人から絶大の支持を受けている作曲家だ。王妃陛下は言外に、『観劇に誘え』と命じているらしい。憂鬱だ。
「実は、わたくし、観劇は苦手ですの。黙って座っていると眠くなってしまいます」
令嬢はそう言って、問いかけるようにクリスティアンを見た。
「正直に言うと、私も苦手な方かな」
クリスティアンはぼそっと言った。
すると令嬢は、園芸が趣味だと言い始め、またクリスティアンを見た。
クリスティアンは、自分は読書が好きだと、ポツリポツリと話した。
令嬢が、コクコクと頷く。
そして――
驚いたことに、いつの間にかクリスティアンは初対面の女性相手に、自分のライフワークである歴史学の話を滔々と述べていた。
『しまった』と思い口をつぐむと、若草のような淡い緑色の瞳が不思議そうにクリスティアンを見た。
「どうかされましたか?」
「いや……こんな話、退屈でしょう?」
「面白いです。とても分かりやすくお話しして下さいますし」
令嬢は人懐っこい笑みを浮かべた。
「ああ……いや……でも、長い話だから……次、そう……また次に会った時に」
ふと目をやると、王妃陛下が、『上出来だ』と言うように頷いていた。