公爵様の求婚
――わたしだって……誰かに好きって言われたいぃぃぃっ!
「魂の叫びだな……」
眼前のドアの向こうから聞こえる声に、クリスティアンは感想をポツリと漏らした。
ドアをノックしようと片手を上げたまま凍りついていたドゥラック伯爵家の家令が、錆び付いたからくり人形のように振り向く。
「お嬢様は、その……時々、元気がよろしすぎまして……」
「彼女の長所はよく知っている。気にせず取り次いでくれ」
「はっ」
家令はノックをしてから、まだ不安そうにドアを半分ほど開けて中をのぞき込んだ。
「あの……お取り込み中でしょうか? ディートハルト公爵閣下が奥方様とお嬢様にご挨拶されたいそうです」
中から『ふえっ』というリーシャの声と、思いっきり鼻をかんだと思われる音がした。
クリスティアンは、口元を押さえて忍び笑いを漏らした。
室内から柔らかな女性の声が、どうぞと答える。
クリスティアンは冷や汗をかいている家令に案内されて部屋に足を踏み入れた。
リーシャは、ハンカチを持って座っていた。その横から立ち上がってクリスティアンを出迎えた貴婦人がドゥラック伯爵夫人だった。
リーシャの赤銅色の髪と緑の瞳は、伯爵譲りなのだろう。ドゥラック伯爵夫人は、金髪で、『これぞ淑女』といった優しげな風情の貴婦人だった。
あの育ちすぎた熊のような伯爵には、勿体ない。
「お母様にそっくりでいらっしゃいますのね」
型通りの挨拶を交わした後、伯爵夫人は、昔を懐かしむような目でそう言った。
「母をご存知で?」
「まあ、ホホホ。わたくしと同年代で、フロレンティナ王女に憧れなかった令嬢などおりませんわ。本当にお美しくて、優しい心をお持ちで、少しばかり口下手な方でしたわね」
「ありがとうございます。その……正直なところ、とても嬉しいです。両親のことは、誰もが腫れ物を扱うように、私の前では話さないもので……周囲の者が気を使ってくれているのは分かっているのですが……」
「そうですわね。悲しい事故でしたもの。でも、もう悲しむのはやめにして、思い出を語ってもよい頃ですわ」
「ええ」
「では、そうおっしゃったら?」
「えっ?」
戸惑ったようなクリスティアンに、伯爵夫人は優しく微笑みかけた。
「皆にそうおっしゃればよろしいのよ。大切なことならば。思っていることは、口にしなければ伝わりませんのよ?」
頑張れ――そう言われている気がした。
「ええ、そうですね。そうします」
クリスティアンは伯爵夫人に一礼してから、まだハンカチを握りしめたまま座っているリーシャの前に跪いた。
「あ……クリスティアン様?」
「リーシャ」
「はい」
「貴女が好きだ」
「う、へっ? あっ! 先程の戯れ言など気にしないで下さい!」
やれやれ……
クリスティアンは、ため息を吐きそうになった。
リーシャは、必要以上にクリスティアンを美化しているところがある。
「優しさで貴女を慰めようとしているのではない。本心から貴女が好きなのだ」
ひくっと、リーシャが息を飲んだ。
「レディ・リーシャ・ドゥラック、どうか私と結婚してほしい」
「はいっ?」
「よかった。嬉しいよ、リーシャ」
クリスティアンは素早くリーシャの横に座り、彼女を抱き締めた。
「ま、待てっ! 今のは無効だろう!」
ドアを蹴破らん勢いで、ドゥラック伯爵が乗り込んで来た。
「疑問形だったぞっ!」
「そんなことありませんよ」
クリスティアンがしれっと反論する。
「そうですわね。リーシャは確かに『はい』と言いましたわ」
伯爵夫人が、楽しそうにクリスティアンを援護する。
「お前はどっちの味方だっ!」
「ホホホ。娘の味方に決まっていますわ」
伯爵の相手は夫人に任せて、クリスティアンはリーシャの頬に手をやった。
「リーシャ、貴女を愛している」
「でも……」
「どこまでも付き合ってくれるのだろう?」
「それは、はい。お望みとあれば」
「そうか。では、大聖堂の祭壇の前まで付き合ってくれ」
リーシャが目を丸くして固まったのをいいことに、クリスティアンはすかさず唇を奪った。
柔らかな唇は、従順にクリスティアンのキスを受け入れた。
(今ここに、誰もいなければいいのに)
キスの後、不埒なことを願うクリスティアンに、リーシャは信頼しきった目をむけた。
「あの……クリスティアン様?」
「何でしょう?」
「公爵夫人って、ニワトリを飼ってもいいのでしょうか?」
想定外の質問に吹き出しそうになるのを堪えて、クリスティアンは頷いた。
きっと、リーシャにとっては大切なことなのだろうから。
「もちろん、何でもできます。私が公爵だからといって難しく考えないで。貴女は私を愛するだけでよいのですよ」
「それなら……」
リーシャは人懐っこい笑顔で頷いた。
「それなら、できると思います。きっと」
こうして、ディートハルト公爵クリスティアンとドゥラック伯爵令嬢リーシャは、結婚の約束を交わしたのだった。
約一名の反対を押しきって――ではあったが。




