公爵様の奮闘
ディートハルト公爵クリスティアンは、やや緊張していた。
「ドゥラック殿、お忙しい中、時間を作っていただいてありがとうございます」
「いえいえ。当方こそ、公のような高貴な方をお迎えできて光栄でございます」
リーシャの父であるドゥラック伯爵は、がっしりとした体格にそぐわないほど柔和な笑顔でクリスティアンと握手を交わした。
「本日は、ドゥラック殿にお願いがあって参りました」
「そうですか。実は私の方にも、公にお願いがございます」
「……? それはどのような」
これは一筋縄ではいかないかもしれない、とクリスティアンは思った。
一見穏やかな人間の方が、腹に持っている物は大きい。
「まあ、立ち話も何ですから」
伯爵に勧められるまま、クリスティアンは椅子に座った。
「近頃、上の娘が公にご迷惑をおかけしているそうで、誠に申し訳ございません」
「いや。迷惑ではありません」
ここしばらく偶然を装って、リーシャの行く先々に現れるのはクリスティアンの方だった。確かにあまり誉められた行為ではない。それを婉曲に咎められているのだろうか。
クリスティアンは先手を打つことにした。
「迷惑どころか……その……単刀直入に申し上げる。ご息女を妻に貰い受けたい」
伯爵はうーむと唸って、クリスティアンを見た。
「まさか、本当に結婚の申し込みとは……娘は何と?」
「レディ・リーシャには、まだ」
交際さえ、勘違いの上に成り立っているのだ。しかし、それは言わないでおく。
「身に余るお話でございますが……」
伯爵は、言いにくそうに顔を歪めた。
「あの子に公爵夫人が務まるとは思えません。どうか、あの子を振って下さい。それが当方のお願いでございます」
「それは、彼女の望みではないでしょう?」
どこの世界に、自分を振ってくれと言う女がいる。
「もちろんあの子は、公をお慕い申し上げています。それはもう、いじらしいほどに」
普段のリーシャの態度からすれば、それはないだろうとクリスティアンは思った。
「あの子は、極端にそそっかしいのです。やることなすこと上手くいかない。その度、落ち込むあの子を見るのが辛い。どうか、あの子を諦めていただけないでしょうか」
(諦める? リーシャを? あの笑顔を?)
「あの子を少しでも愛おしいと思し召しならば、どうか」
リーシャが、笑顔の間に時々見せる自信なさげな顔。
やっとクリスティアンは、その理由が分かった。
「ドゥラック殿。貴方は間違っている」
クリスティアンは言った。
「人は失敗するものだ。子供の前の石を全て取り除いて何とする? 貴方がやるべきは道を整える事ではない。転び方を教える事ではないのか? 転んでも変わらず待っていると告げる事ではないのか? 親はいつかは死ぬ。貴方が選んでやる夫でさえ、彼女より先立つかもしれない。その時、転び方を知らない彼女はどうすればよいのだ」
「公、ご無礼を承知で申し上げます。貴方は親心というものが分かっておられない」
「子の心は分かる。分かりすぎるほど分かる」
クリスティアンは、伯爵の眼前に自分の顔を突きつけた。
「知っておられよう。我が父母は私が十の時に亡くなった。まだ人生の転び方も知らないうちに、見守ってくれる人を失くした。あの絶望を、みすみす彼女に見せろと言うのか」
「公……」
クリスティアンは、立ち上がった。
「リーシャが嫌がるなら、無理強いはしない。だが、それ以外の理由で諦めるつもりはない――失礼」
言うべき事は言った。
意外と喋れるものだな、と、クリスティアンは苦笑した。