お嬢様は間が悪い
「世の中には、タイミングの悪い人間というのがいるのね」
リーシャはどこか達観した思いで呟いた。
タイミングの悪い人間――そう、例えば、今この時、王宮の豪奢な一室で、王妃様を前にひきつった笑顔を顔に張り付けた自分とか。
思えば生まれてこの方、リーシャは何かをまともにできた事がない。
頭は悪くない。容姿は――ぱっとしない赤銅色の髪と、薄い緑色の目を加味しても――人並みと評して許される範疇だと思う。
ただ、なんと言うか、リーシャはタイミングが悪かった。
家族旅行へ行く当日に熱を出すわ。盛装している時に限って大雨が降るわ。
極めつけは……自分の婚約者と妹が、抱き合っているところに出くわしてしまうというタイミングの悪さ!
(あ……なんか虚しくなってきた)
ウォルフと妹のヒルダは、リーシャの姿を見て驚いた後、『そうじゃない』とか『誤解よ』なんて言ってくれたけど、どこに誤解をする箇所がある。
リーシャにできたのは、『お邪魔しましたっ!』と叫んで走り去る事だけだった。
ウォルフとは、家同士の都合による婚約だった。
貴族家にはよくあることだし、リーシャはおおらかな性格のウォルフに何の不満もなかった。しかし、ウォルフの方はそうではなかったのだろう。
ヒルダだって、ウォルフを好きじゃなかったら、あんな事を許すはずがない。
もっと早く気づいてあげるべきだった。
(これからどうすればいいの?)
リーシャは三日三晩考え抜いて、答えを出した。
「お父様、お母様、わたくし、やはりウォルフとは結婚できません。だって、好きな方がいるのですもの」
驚いた両親が、相手は誰かと問う。
「わたくし、ディートハルト閣下をお慕いしているのです」
リーシャは、夜会で一度見かけた事のある、若きクリスティアン・ディートハルト公爵の名を上げた。
彼なら、妻も婚約者もいないと聞いているので、誰かを傷つける心配がない。しかも、国王の甥というとんでもなく身分の高い人だから、片想いで通せるだろうと思ったのだ。
リーシャの計画では――
『身分違いだから諦めろ』と説得され、落ち着くまで田舎の領地に戻される。後は、ヒルダが『わたしがお姉様の代わりにウォルフ様と結婚してこの家を継ぎます!』と名乗りを上げてくれればいいだけだ。
今から思えば、浅はかだった。
リーシャは、自分のタイミングの悪さを甘く見ていたのだった。
リーシャが高らかに『片想い宣言』をした場所には、両親の他に親戚の大伯母がいた。
後で知った事だが、妙にロマンチックなその大伯母は、リーシャの『片想い』を不憫がり、親交のある侯爵夫人のサロンで、その『片想い宣言』を再現してみせた。
やはりロマンス好きの侯爵夫人は、『あたくしに任せて』と、リーシャの事を王妃様に話して――そして、今に至る。
リーシャにしてみたら、何がどうしてこうなったのか、訳が分からなかった。
できるのはただ、上機嫌に話しかける王妃様に対し、ひきつった微笑みで、どこぞの地方の工芸人形のようにコクコクと頷く事だけだった。
「クリスティアンを好きなのですって?」
王妃様は嬉しそうだった。
(そこは、『貴女ごときが公爵様に懸想するなど分をわきまえなさい』とか叱るところでは?)
リーシャが心の中でつっこむ。
「クリスティアンは、ほら、堅物でしょう? 周囲がお膳立てしなければ結婚なんて無理だと思っていたのに、こんな可愛らしいお嬢さんがあの子を好きだと言って下さるなんて!」
(今、『結婚』という単語が聞こえたけれど、気のせいよね)
「あ……あの……すみません。わたくしが勝手に片想いしているだけなので、閣下はわたくしの事をご存知ないと……」
「まあ、そんな事! 大丈夫よ。正式に紹介してあげますからね。もう少ししたら、来るはずだから」
「く、来るとは、どなたが?」
「クリスティアンよ」
(はいっ?)
リーシャは、礼儀作法も忘れて立ち上がった。
「む、む、む、無理でふ!」
しかも、驚き過ぎて噛んだ。
「あら、可愛らしいこと。そんなに緊張しなくてもいいのよ。貴女の事はわたくしが、全面的に応援します。どうかクリスティアンを落としてちょうだい」
王妃様はニッコリと笑って、恐ろしいことを言ってのけたのだった。