S5 千年王
「いやだわ、西の者の趣味の悪さときたら。なぜ獅子文様ばかり重ねたのかしら」
「私はあの金地もよくないと思いますわ、南妃様」
花宮の客舎で、儀を終えたばかりの母様と南妃が華やかな姿のまま向かいあう。
せっかく仕立てたのだからもう少し晴れ着姿を楽しもうという南妃の趣向である。
幼いメア王女は退屈な儀ですっかりぐずってしまい、先に南の果宮に戻っていた。
「北の王子より華美ではならぬとザハト獅従もきつく仰っておられたというのに。あのようなあからさまな金地では、北の王子も面白くないにちがいありませんわ」
「ええ、帳子の内とはいえ、口さがない官がなんと評するか分かりませぬ」
母様と南妃が盛んに言い合っているのは、桟敷で同席した西妃の衣の批評である。
「傍系のご出身で、どうしてああも横柄になれるのかしら。こんなことを申し上げたくはありませんが、今生帝の妃としてふさわしい姿とは思えませんわ。西の王子は天授儀も過ぎぬ身で列席されてもいないというのに、妃と侍従ばかり着飾っても儀にそぐわないだけではありませんか」
珍しく母様の語気が荒い。普段おっとりした母様だが、何かにつけて前へ出る西妃に対しては、いい感情を持っていなかった。
西妃のメリー=デ=アンブレは傍系第二式にあたり、家格は離宮で最も低い。ただ、同じ西方貴族のアンブレ主格が今生帝の外戚にあたるので、雲上では尊大な顔をしているというわけだ。
「それに比べて東の王子のご立派なこと。お譲りした衣もよくお似合いでしたよ」
「ありがとうございます。これも南妃様のお心遣いのおかげです」
ひかえめに賛辞を受けとったセイに対し、南妃は目を細めた。
仕立てさせた青い地の衣には、蓉花文様と王を象徴する獅子文様が複雑に組み合わされて金糸で織り込まれている。南妃と揃いの文様だが、王子ということもあり絵柄は大きめにしつらえさせた。袖と腰紐は金。内衣は白に銀を重ねている。
幼いながら涼しげな凛とした顔立ちで、賢そうに通った鼻とつつましやかな口元に品がある。豪奢な衣に着せられている風もなく、すでに堂々たる着こなしだ。
「喜んでいただいて何よりですわ。来年の王子の獅従儀が、楽しみでございます」
南妃の心からの言葉に、東妃は愛しげに見守るような視線を寄越し、セイは面映ゆげにはにかんだ。
東季生まれのセイは、来年の天渡月に獅従儀を受けることになる。
遠い先だと思っていた儀が、急に現実味を帯びたものになった気がした。
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「従士というのは、もっと歳が離れているものかと思っていたな」
果宮に戻り、やっとくつろいだ姿になったセイは、菓子をつまみながらそう言って首を傾げた。
「獅従儀で与えられる従士は、侍従のような離宮付きの官とは少し違います。学事の友とでも言えばいいのでしょうか。慣例では、王子の御歳や家格に近い者が従士に選ばれます。貴族にとって、従士に選ばれることは大変名誉なことなのですよ」
カナタは花茶を注ぎ足しながらそう言って微笑んだ。
「ふぅん、そういうものなの?」
「えぇ、私のように王子のお側近くでお仕えして離宮の一角で暮らすだけでなく、従士は王子と学事を共にいたしますので、王子のよき競争相手ともなりましょう。
下界では、獅従儀を過ぎた子は学舎に通えるようになります。王子の場合は、学舎に通うのではなく、雲上官が学師として離宮に通うのです。共に学ぶ友がいるということは、嬉しいものでございますよ」
リカと呼ばれる白い甘菓子を味わいながら、セイはカナタの話に耳を傾けた。
ほろほろっと溶けていく甘さが癖になって、ついつい手を伸ばしてしまう。
「いいなぁ……。カナタも学舎に通ったの?」
「えぇ。雲門舎に六年ほど入りました。ちょうど天山の麓に学舎がございます」
学舎というのは《学校》のことだ。
離宮では学校には通えずに、代わりに家庭教師がやってくるのだ。
《学校》にはたくさんの同級生たちがいた。
従士がつくのはもちろん楽しみだけれど、本当を言えば、カナタと同じように学舎に通ってみたかった。
「あれっ?でも、僕はまだ獅従儀が済んでいないけれど、フォルカ先生がいらっしゃっているよ。アッサン始相やダルシャン学官長も時々学事を見てくださるし」
「フォルカ様は、離宮付きの学官ですので、天授儀から成儀までの間、王子の学事を見守られるのです。学官長は離宮付きの学官や学博を指導なさるお立場なので、お越しになっているのですよ。それから始相が学事を見てくださるのは、東妃様の特別なおはからいです」
「そうなの。じゃあ、獅従儀を過ぎればもっと離宮に来てくださるようになるね」
嬉しそうにはずんだ声に、カナタは頷いた。
セイは探究心が旺盛で学事が好きな王子である。それがカナタには誇らしかった。東妃がセイの学事にはとりわけ熱心なのも頷ける。
「学官長やアッサン始相だけでなく、スプーク宰相やザハト獅従をはじめ雲上官の方々が、学事を見てくださるようになりますよ。ゆくゆくは“万丈の下界は五領”を治めてゆかれるのですから、王子は生きた政事を雲上官から学ばねばなりません」
「ふふっ。それは兄様のことだろう?『方は四方、式は三式、品は上に十三、下に十三、雲上の百官、下雲の百官を従え、万丈の下界は五領を治むる、そは千年の生得て、千年の慈悲持つ、王の務めなり』」
さらりと諳んじてみせると、セイは目を丸くしているカナタに向かって悪戯っぽく笑った。
リカを口に放り込む。王が千年生きるなんて、いったい誰が考えついたのだろう。
こちらの《神話》では、大昔の王は千年以上を生きて、千年王と呼ばれていたーー
ということになっている。
物心ついた頃に言い聞かされた千年王伝説は、嘘だと分かっていても憧れるものだった。
『千年王』
その響きはセイにとって、蒼雲閣から臨む雲海の景色にも似て雄大で、悠久のときを連想させるのだった。