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千年王  作者: 奥山まゆこ
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S3 雲海船

結局、兄は衣を受け取らなかったらしい。

母様は残念がったが、南妃は贈っても受け取らなかったのだからいいわと笑った。


「だって、どちらにしても、東妃様とわたくし、それにわたくしたちの子ども達、皆で衣装を揃えられますのよ。王子がご自身でお断りになったのなら、ザハト獅従も分かってくださるわ。わたくしは衣を貧しくするのは嫌。でも、ひとりだけ豪奢な衣を着るのもイヤよ。そのためにいくらかかっても構わないわ」


真顔で言い切った南妃に、貧乏が板についた母様は半分怯えて半分感動したような顔をしていた。南妃は悪い人ではないのだが、したたかで強引な人だ。最初から、兄が衣を着ようが着まいが、どちらでもよかったのか。

うちも、北の離宮とどっこいどっこいの懐事情だと思うのだけどな……。

母様が衣の費用をどう工面する気でいるのか、ちょっと不安だ。


-


王の妃は四人いる。

代々、貴族筆頭の四方族主格、または四方族の傍系である三式四方(第一式(ラ格)第二式(デ格)第三式(ス格))から選妃が行われる習わしだ。

それより下の末系は、蔑称を三下といい、貴族としては格下の扱いとなるため妃は出せない。


そして正殿の東の離宮には、四方族のひとつ、東方貴族キーマン家の娘が妃として住まう。妃には離宮費が与えられるが、それはあくまで収入の一部であり、離宮の豊かさにはそれぞれの妃の生家の勢力が如実に現れる。

セイは、母トルネ=キーマンと、今生帝ダージ王の子供として生まれ、十二の歳まで離宮を出られない王の御子として育てられている。


《奥さん》が四人なんて、《あっち》じゃ、あり得ないことだもんなぁ。


長椅子に寝転がりながら、蒼雲閣の欄干の外を眺める。

学事の合間に休息がてらここに訪れるのが、セイの息抜きだ。果宮の最奥に位置する蒼雲閣なら、客もこないし雲官も呼ばない限り立ち入らない。おまけに、景色が呆れるほどいい。


《あっち》の母様は、よく髪を洗ってくれた。

シャワーが怖くて泣きべそをかいていると、歌を歌ってくれた。

ドライヤーの温風をかき分ける柔らかい手が好きで、風呂よりもドライヤーの時間が嬉しかったっけ。


犀が明けた雲海は銀色に光って、覗き込むと下界の家々が見えるほど透き通る。

暗月半ばになると、下界では小さな炉石を入れた行炉を家の前に飾り付け、炉天祭の準備を始める。

蒼雲閣からも、ぽつぽつと紅い灯りが見えていた。

さすがに人の姿は見えないけれど、家や道の形は目を凝らせば見ることができる。


あの、家々のどれかに、もうひとりの自分がいたのだろうか。


……いや、きっと違う。

欄干の外を覗き込みかけて、セイは思い直したように身を伏せた。


《あっち》には、天山などなかったし、王子などいなかった。

雲海もなかったし、犀も降らなかったと思う。


「……っ」

わけもなく心細くなって、セイは身をくるめた。

たまに、自分は変な国の王子として生きている夢を見ているんじゃないかと思うことがある。


「王子、王子、寝ておられるのですか?お風邪を召されますよ」

「……!カナタ……」


いつからいたのか、侍従のカナタが心配そうに長椅子脇に屈んでいる。


「怖い夢でも見られましたか?」

「あっ、あぁ……」


空色の瞳が、柔らかに細まる。馴染み深い黄褐色の手。犀のように光る銀髪。

あぁ、ここは《にほん》じゃない。

自分を見て哀しそうに顔を歪めたセイに、カナタは何かあったのかと狼狽える。

カナタはこの王子のことを、小さい頃から見てきた。

優しく、理知的で、活発で。

すくすくと育ち、侍従としても行く末が楽しみな王子だが、早く大人になりすぎたのは、よかったのか悪かったのか。まだ獅従儀も過ぎない子供なのだから、夜が不安なときもあるだろう。


「今日は学事をよく頑張られました。ダルシャン学官長も褒めておいででしたよ。さあ、もう遅いですから果楼に入りましょう。明日には雲海船を出すのですよ」


つかまり立ちをさせながら、カナタはできるだけ優しい声を出した。

はらはらと涙をこぼしていたセイは、こくりとうなづく。

炉を十分に点てた果楼は、蒼雲閣よりも暖かい。

いったん調所に渡って、雲官に介添えされながらシデルとシラル、ロウの順に脱ぐと、寝衣に着替え直す。それから水場に立ち寄り床につく準備を済ませ、ようやく寝所である果楼に向かう。


「雲海船、お好きでしょう?今年は特別に、南妃様と南の王女も同船されるとか」

「そうなの?」

「はい、何でも獅従儀に衣をお譲りいただくとかで、その前礼だそうですよ」

「それで手を打ったのか。じゃあ今生帝は?昨年は同船いただいただろう?」

「もう元気になられましたね」


ぽんぽんと寝布を叩かれて、セイはしゃべるのをやめて潜り込む。

子供のように泣いてしまったのが、恥ずかしかった。


「ありがとう、カナタ」


カナタは少し笑って立炉を消した。暗闇とともに拳礼の気配が伝わる。


心からの忠誠や敬意を示す最上の礼を、カナタは毎夜こうして捧げてくれる。

慣れているれど、今日は何だか安心する。


「……よい夢を、王子」

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