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千年王  作者: 奥山まゆこ
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R7 眼差し

「天鎮祭では立派にお務めになりましたね。本当によい御姿でした」

「うん、座って唄を聴くだけでいいもんな」


身も蓋もないラティの感想を、さっそくウルルは聞こえなかったことにした。


「それで、唄に込められた意味はきちんと感じていただけましたでしょうか」

「一年は十四ヶ月」

「それから?」


まだあるのかと胡乱げになるラティに、目に見えてウルルががっかりした顔になった。天鎮祭の前に散々教えたではないか。


「あれだよ、あれ、王の心得だって」

ひそひそと脇をつついてソンが入れ知恵しようとするのを、ウルルはじろりと睨みつけた。


「獅子唄はですね、王戒といって、王を戒める唄でもあるのですよっ。西季の禍がやって来ないように、正しい政事を行いなさいという訓戒です!」


何度も申し上げたはずですが、とウルルは語気を強めた。


「『幻来たりて夢うつつ、花は散り、五領の楽土は陽炎に消ゆ』から、唄詩はどう続きますか。獅子唄で最も大切なくだりはこの先にありますっ」


もう一度復唱しなさい!と口荒く促され、そのまま二人は、『今生帝の明あれば、月は転ぜよ天は鎮まれ』と唄詩を繰り返し唱和した。


「いいですか。『明あれば』というのは、正しい政事が行われていれば、という含意です。それが揺らげば、月は乱れて、ひどい禍が起きる。だから政事に励んで天を鎮めるよう唄っているのです。獅子唄は、始祖王による後の王への口伝が始まり。つまり王子に対する、警句だとお心得くださいますよう!」


一息にまくし立てられて、ラティは呆気にとられた顔でうん、と頷いた。


「お前も怒ると怖いんだな」

「誰のせいですか誰の!」

「人のせいにするなよなぁ」


今日は学師が多いらしくメイソン兄弟もいない。ウルルは茶化されまいと必死だったが、少年たちはどこ吹く風だ。


「でさ、弟からの文はきたのか?」


もっぱら楽しみにされているのは学事ではなく、ウルルが持参する文にある。

だいたいなぜこんな使い番のような真似をしなければならないのだ、と内心じくじたる思いになりながらも、ウルルは生真面目に頷いて懐から文を取り出した。


盲の者を離宮に立ち入らせた一件以来、なぜか主格の家主からちょくちょく文が届くようになったのだ。ほとんどが、ソンの弟が北の離宮に宛てたものである。


「えぇ、では読ませていただきます。『前略、兄さん、ラティ様、お元気でしょうか』」

きちんと姿勢を正して代読を始めるウルルに、一途な眼差しが寄せられる。

文には、家主の手配で来年から州舎に通えそうであることや、それに向けて準備を進めていることが書き連ねられていた。

「そうかぁ、州舎か」

「ネムは学事が好きなんだな」

「あぁ、俺よりずっと物知りだぜ。ネムは一度聞いたことは忘れないのさ。本当なら雲門舎に行けるはずだけど、あそこは“穢れ”を嫌うから」

頷くと、ラティはさっそく返事をしようと言い出した。

ウルルは諦め半分のため息をつくと、懐深くに文を仕舞う。

ディンブラの家主からは、ネムの文は代読して捨てるよう頼まれている。天山の政情をよく知る者からすれば、盲の者が北の王子と文を交わすことの危うさが、容易に推察がつく。北の離宮でも、少なくとも侍従はあまりいい顔をしない。学事になると雲官を遠ざけておくようになった。


すっかり巻き込まれてしまった。

いや、これも全て、天の采配なのか。

ウルルは皮肉交じりに思いながらも、二人が文を書きあげるのを待つのだった。



それからしばらく後のこと。ラティとソンは、饗応でもてなされていた西領の学師と対面するため、天渡舎に向かっていた。

舎では既に学師がくつろいだ顔で、長椅子に端座している。周りには侍従に学博、雲官まで何人も詰めて、少しの粗相のないように気を配っていたし、四方からは番が羽扇で風を送っていた。季に合わせてよく冷えた花茶が差し出され、戸口にとりつけられた木鈴は時おり揺れてからからと耳を楽しませる。

今日は大事な学師を迎えているのだ。

こうした家人たちの気遣いとは裏腹に、ラティは紗布の袖をぱたぱたと振りながら気楽な顔でやって来た。


「よく来るなぁ、エイス」

「っ王子、きちんご挨拶を……!」

「あれ、そっちは見ない顔だな。新しい学師か?」

「えぇ、勝手ながら私の信頼する尚官を連れてまいりました」


侍従の小言を聞き流し、ラティは形ばかりの礼を済ます。待っていたのは、この頃頻繁に訪れるようになった西の高官である尚官長のエイスだ。

褐色の髪が揺れて、おっとりとした眼差しが右に向けられる。すると、隣に控えていた官が、涼しげな蒼の紗をふわりと払い、膝をついた。一礼してこちらを振り仰いだ目が爽やかに微笑んだ。年の頃はクレハと同じくらいだろうか。


「イアルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」

「この者を連れてまいりましたのは、天鎮祭が無事に済み、来月から王通使の準備にかかりますからで。私が不在の間、代わりに学師を務めさせるつもりでおります。この通り品もまだまだ物足りぬ若輩者ではございますが、西の者には違いありません。引き続き、我ら西方貴族が政事のご指南をいたします」


エイスの天樹の葉のような深い色の瞳に見つめられ、ラティは頷き返した。

西、西、西と、ことあるごとに自領を持ち出す癖はあるが、慣れてしまえばどうということはない。わざわざ代わりの学師を推挙してくるとは思わなかったが、別に否応はなかった。


「ところで、王子は朝儀にもう何度お出になりましたか」

「あー、えーと、幻月からだから……」

「七度だろ」


口を出すソンに頷いてみせ、エイスは顎をやや上向けた。

「では、王子は朝儀のときは、いつも何をご覧になっていますか」

「何って……うーん、人の…顔?」

「ほう、誰の顔を」

「奏上してる官だな」

ぶっきら棒ながらも受け答えははっきりしている。

その脇ではフォートとメイソンがはらはらしながら聞き耳をたてていた。

エイスは若くして尚官長という高位の要職についた人物で、あのスプークの右腕とも影とも称される。その相手に、ラティは平生の態度のまま、大して考えるそぶりもなく、実にのん気に受け答えしているように見えるのだ。

幸いというべきか、エイスは感情が見えにくい男で、温厚な面を崩していないが。


「では、次からは奏上していない官の顔を見てみなさい。きっと、退屈しないですみますよ」

「え?」

「朝儀の内容はまだご自身には難しい、そうお思いになっておられるのでしょう?しかし、朝儀というものは、上奏の中身が分からずとも、官の気分を知ることが大切なのです」


エイスはおもむろに顎を引き、自分の目を指差した。

その眼差しは声の調子と同じであまり動かず、ゆったりと向けられる。


「人の気分は、この目と、声と、しぐさに表れます。隠そうとしても、隠しきれないのが、人の気分というもの。まして、奏上しない官は自然に緊張もゆるみ、これを隠そうという気も失っているでしょう」


ぱちぱちと瞬きをして、ラティは合点のいかない顔になる。

「官の気分を知ってどうするんだ?」

「それによって、ご自身の目と耳を鍛えるのですよ。

官は王の耳目をつかさどると申します。朝議はまさに、官が見たものや聞いたことを王にお伝えする場で、多くの目と耳が動いております。

しかしながら、官の誰もが同じ気持ちで朝議に立つわけではございません。人の心はもろく、誠実に言葉を発するときもあれば、平然と嘘をつくこともあるのです。その真偽を見極めるのは、王といえど至難のわざです。賢王になられるためには、よく見定め、よく聞き分ける耳目を持たなければなりません。

そのために、一にも二にも、官の心を知ることが大事だとお心得くださいませ」


噛んで含めるように意見を述べたエイスの隣で、イアルも大きく頷いて「私からも申し添えます」と口を出した。

「目上の者に見守られているということは、下の者には大切なことです。家主は、家人の心のうちを見てやることで戸の平穏を保つでしょう。同じように、政事では、私ども尚官は上長たる尚官長から働きぶりを見ていただくことで己を律し、朝儀に参ずる高官は、王からの眼差しを受けて襟を正すのです。上に立つ者にとって、人への目配りと、人から受ける誠実さは、同じ事柄の表と裏のようなものだと言えましょう」


イアルはそう明快に述べてみせると、身につまされたような顔で黙ったラティを、凛とした目で見据えたのだった。



「朝儀の内容には、踏み込んでいただけませんでしたねぇ」


茶器の片付けをするメイソンは、すっかりあてが外れたような顔をしていた。気を張って西の学師をもてなしていたというのもあるだろう。見送りから戻ったフォートもため息をついた。今日やって来た学師はウルルの他は西の官ばかり。長い饗応尽くしの一日が終わったのだ。

「政務のことはまだ早いと判断されたのでしょう。まぁ、西方貴族がこちらに向いているのは悪いことではありません。いずれ王になれば、彼らを用いていかねばなりませんから」

「エイス尚官長も宰相と同じで、全然いい噂がないけどなー」

疲れ切ったのはソンも同じだ。ぼやきながら大きく伸びをする。

「学師を拒むことはできませんよ。それに、雲上殿から西の者がいなくなれば、政事は立ち行きません」

フォートはそういなして、ちらっとラティの方を伺った。


その顔は、西の官がどうこうという話をよそに、あさってに向いている。

ネムと対面した頃から、ラティは以前より大人びた眼差しを見せるようになった。

視線の先では、茶器をのせた盆を両手に抱えた雲官が、戸口で身を屈めた番に簾子を引かせているところだった。



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