S5 うわさ話
変だな、同じ宮舎のはずなのに、この前来た時と雰囲気が違う。
久しぶりに招かれた花宮でまず初めに気づいたのは、ほのかな花の香りだった。
季替えをしたわけでもないのに、客舎の帳子につけられた飾り紐や、内壁の文様、花瓶など目につく調度類は明るい色彩のものに新調されていて、部屋全体が華やいで見える。案内する雲官の長上衣も、地味な臙脂色だったのが、白と橙紅色の若々しい色合いに変わっていた。
「やあ、何かあったの?」
思わず左右に尋ねたら、雲官たちはくすくす笑って何もないですよと言う。
自分の思い違いだろうか。もしかしたら、今日は南妃を招くから張り切っているだけなのかもしれない。
母は長椅子にふんわりと腰をおろし、香炉の具合を見ているところだった。ウージと挨拶して対面に座ろうとすると、こちらにいらっしゃいとばかりに羽根扇でさりげなく隣を示す。白地に蓉花の小さな文様を染め抜いた可愛らしい衣をまとい、いつも以上にそのしぐさが少女めいて見えた。
今日は趣向を変えたいのだろうと察してセイは席を変えたが、困ったのはウージだ。王の妃の傍に、一介の従士である自分が腰を下ろしていいのか。
「あの、東妃様……」
「今日は南妃様とグレッツ衣官もいらっしゃるの。あなたが座ろうとしているのは、お客人のために設けた席だわ。それに私、あなたからセイのことを聞きたいわ?」
結局、セイとウージで上座を挟むようにして席が落ち着いた。
着座すると、雲官が次々にやってきて髪や衣を整え直してくれる。着飾った姿で果宮から花宮まで歩いてくると、どうしても衣が乱れるからだ。どうやら簪の位置がずれていたようで、後ろに回った雲官に頭を動かさないよう言われてしまった。
横からはウージのかしこまった受け答えが聞こえていた。大人びたウージも、妃を前にして少し緊張しているようだ。
「いえ、私は何も役立っておらぬのです。すばらしい王子に従士としてお仕えすることができ、幸せなばかりで……。学事だけでなく、人への接し方や己の律し方など、どれをとっても半人前の王子とは思えません」
「まぁ、そうなの?でもね、そんなに固苦しく褒めなくてもいいのよ」
首を傾げるようにして微笑むと、東妃は羽根扇を揺らしていた手を休めて、すうっと横に滑らせた。
「ここはあなたのもう一つの家なの。領は違いますけれど、セイとも私とも心安くしてくださると嬉しいわ」
「!」
驚くウージの手を優しく取ると、ごく軽く手のひらを重ねたまま、東妃は己の膝に置いた。卓に隠れて、周りからはそれと気づかれないが、押し付けるような力が込められる。
布ごしに、吸い付くような素肌の感触が伝わった。
湿った手のひらで、きゅっと握られた気がして、ウージは一気に汗が噴き出した。
ほんの一瞬のことだ。
「なんだか、暑くなってきたわ。香炉を焚きすぎたかしら」
はたはたと羽根扇を揺らせながら東妃が呟くと、気のきいた者が傍にかがんで、風を送り始める。南妃の先触れが届くまで、しばらく当たり障りない会話が続くが、ウージは衣摺れとともに漂う甘い匂いや微かな息遣いが気になって、いつまでも胸の鼓動が落ち着かないのだった。
「まぁ、東妃様はいつもに増して若々しくいらっしゃるわ。陽月にぴったりのお召し物だこと」
「えぇえぇ、私どもがお持ちした衣が霞んでしまいそうです」
連れ立ってやってきた南妃とグレッツに、すぐに人肌の温度の花茶が出される。添えられたのは、南妃が好むハーツという焼菓子である。
「それで、波離宮のほうはどうなって……?」
「それがもう、すっかり変わってしまいましたわ。私たちの離宮よりも華やかだそうで、本当に信じられませんわ。いったいアンブレの方々は、何を考えているのやら」
「そうですとも。西の妓のアンジェス様は大変な羽振りのようでして、南季入りを待たず、もう今月のはじめには大勢引き連れて離宮に入ったそうです。今生帝もはじめは乗り気ではなかったのですが、西方貴族の目もあって御渡りを重ねられているとか」
グレッツが南妃の脇から言い添える。
女の人同士のうわさ話が長いのはどこの世界でも同じだ。
今日はグレッツがいるから余計に話が終わらない。正殿から離宮、政宮、官舎に至るまで、人がいるところ衣を求めるところに顔を出す衣官のグレッツである。立場上、内々の話を聞く機会も多いようで、嘘か本当かあやしい人づての話をもっともらしく持ち出してくる。
「今生帝も、この頃は落ち着いてお休みになれないとこぼしていらっしゃるようで、朝儀でも帳子を引かせておられるのです」
「まぁ、朝儀でも?」
「えぇ。これまでであれば御顔をじかにお見せになっておらましたので、そういったお姿は、今年に入ってからのことでございます」
母が今生帝の様子を聞いては悲しげにため息をつく。
「北の王子も朝儀にお出になられているというのに、今生帝の御身が心配ですわ」
「それがですね……」
ちらっと背後を見遣って、グレッツは声をひそめた。
「朝儀に出ていた官の話では、今生帝はどうやら北の王子を避けているふしもおありのようで」
「ま……!」
「ホホホ、ただの噂ですわ」
何を思ったのか急に南妃は羽根扇を口元に当てて笑いだした。
強めの高笑いは、これ以上の深入りは無用だと暗に告げているかのようだ。案の定、グレッツがすばやく話題を変えて、今年流行りの色の紗布が手に入ったことを話し始める。
ウージのお姉さんなんだよなぁ、このひと。
余裕たっぷりに会話を楽しんでいる南妃から視線を移し、セイは首をひねる。顔は似ているかもしれないが、雰囲気は大分違っている。南妃は笑い声だけで迫力があるけれど、ウージは穏やかでそういった凄みとは程遠い。
グレッツに言われるままに衣を見せられ、少し押され気味に紗布を弄っている母とも違う。
南妃はしたたかで能動的な女性だ。
確かに母とは長く良好な関係を続けているけれど、今生帝の寵が薄くなれば、こちらの不安につけこんで何を企むか分からない恐ろしさもある。
忘れちゃいけない。いつまでも相手が好意を寄せてくれているとは限らないんだ。
一刻も早く母の心労をなんとかしておかなければ。
南妃の来訪をきっかけに、セイは花宮の様子を伺っては、客舎の奥の東水宮まで母を足しげく訪ねるようになった。




