R1 等価
「昨日の朝儀はいかがでした?」
「ちゃんと起きておられたのでしょうね?」
碧雲閣に入るなり待ちかねたように取り囲まれ、ラティは思わず後ずさって長椅子に尻をついた。朝儀には従士も同席しないから家人たちは不安でたまらなかったらしい。視界の端ではソンが諦めろとばかりにひらひらと手を振っている。
「いかがも何も、俺にはさっぱり分からない話しかしねーんだよ」
「えぇ!」「で、何のお話でした?」
絶句する兄に構わず、フォートは苦虫を噛んだ顔のまま忍耐強く促した。さすがに寝ていたわけではないのだろう。案の定、
「予算の奏上があった。王が西の妓を召すから波離宮を修復するんだと」
と、どうでもよさそうに返して、ラティは後ろ手をついてぶらぶらと足を遊ばせた。
獅従儀を過ぎて一年で、御子は天山で行われる儀礼や祭事に参じるようになる。まず初めに参じるのが月に一度行われる朝議だ。
朝儀では、高位の雲上官が王を拝して政をあれこれと具申する。それを傍で見ることで、王子は政事を学ぶのだ。
「西から妓を、ですか。あの西妃様がよくお許しになりましたな」
「スプークがいいと言ったから、いいんだろ」
いい加減に投げやるラティだったが、ふと何かに気づいたように目を向けた。
「そうか、そろそろクレハが離宮費を削りに来る頃だな」
---
厳しい北季が訪れているが、ラティは炉代と手間を惜しんで、今年も花宮の季替えをしていない。学師たちは皆、寒さをこらえて淋しい回廊を長々と歩き、果門をくぐってやってくるのだった。
「おや、珍しく察しがいいな。その通り、予算が決まれば離宮費も決まる。それで幻月の終わりには天官が離宮費の通達に回ることになっているのさ」
他に離宮に行きたがる天官もいなくてな、とクレハは続けた。挨拶もそこそこに離宮費の勅書を受け取ると、ラティは首を傾げてそれを隣に回した。
「なんだ、今年は去年と変わらないのか」
「うん、どうもそうらしいな」
当てが外れたように言葉を交わす従士と王子をよそに、クレハはしれしれとした顔で熱い花茶をすすった。添えられた干菓子をつまみながら、天帳を引き寄せてめくりはじめる。北の離宮は一年分の収支をつけ終えたところだ。始めから終わりまでぱらぱら眺め、クレハは息を吐き出した。
「途中で予算を立て直して備金を蓄えたのだったな。多少は給金を上げられそうだが、どうやって配分するかは決めたのかい?」
まだ考え中だと言うと、短くクレハは笑った。
「考えたら分かるのかね。君は家人の働きぶりをただ見ているだけだろう」
悩みを見抜かれてラティは黙り込んだ。クレハは「そうだろうと思ったさ」とぼやきながらごそごそと袂に手を入れた。取り出したのは生成りの小袋だ。飾り紐を解いて、じゃらじゃらと賑やかな音を立てて中身を卓台にあける。
「見てごらん、これが下界のお金だ。天山では角手形しか使わないから、珍しいだろう」
「何だ?これ」「わぁ、硬貨じゃないか!」
珍しいも何も、ラティにとっては初めて見るものである。隣にいたソンは身を乗り出して硬貨をより分けた。
「へぇ、硬貨を知らないなんて思わなかったぜ。これが金だろ、大きいのが1角で、薄くて四角いのが1微。こっちは銀。金と同じで角と微がある。それから、丸っちい金犀が1蓬で、銀犀が1萊。魚のうろこみたいなのが1鱗」
せっせと手が動いて、ラティの前にあっという間に七種類の硬貨が大きい順に並べられた。不思議そうな顔でラティは手を伸ばし、小ぶりな鱗貨をつまんだ。
「きれいだろう?鱗は虹光貝を砕いて鋳造される。その1鱗が百枚あって、1萊と等価になる。ちょうどチダを焼いて売る代金くらいだな。いいかい、硬貨を交換したり、物を交換するときには必ず等価が成り立つ。でも、人にとっての等価は誰もが同じというわけじゃないのさ」
クレハは言いながら指先で大きな硬貨を選んだ。
「この金1角には、色んな意味がある。君にとっては金角手形1枚など離宮費のたしにもならないはした金だろうが、学博にとっては一年分の給金に等しく、雲官にとっては天山で長く勤めを果たしても蓄えられるかどうか分からない大金だ」
「はした金じゃねーよ」
ぶすくれた顔になるラティに、いいやとクレハは首を振る。
「君が多くを得ていると言いたいわけではないよ。人には人の数だけの等価がある。それをよく考えて、等価に見合った与えかたをすべきだと言っているのさ」
「じゃあ、雲官のシアンとサハラの等価は違うのか?出自の領は違うが、どっちも平民で給金も同じだぞ。年だって同じだし、働きぶりも大差ない」
口答えするラティに、ソンは意外な面持ちになった。普段は周囲に全く興味がなさそうなのに、ちゃんと一人ずつに目配りをしていたのか。
「違うだろうな。家人に誠実に仕えてほしいと思うなら、君も誠実に彼らの等価が何かを考えなさい。それが、君にとっての等価交換というものだよ」
クレハはすました顔のまま、謎かけのような助言を与えて学事を終えた。
後に残ったラティは腕を組み、じいっと考え込んだ。
いったい、クレハの言う等価というのは何なのだろう。
卓上に並べられた硬貨は、立炉の光に照らされてぴかぴかと輝いて見えるのだった。




