R17 兄弟
「あーー眠い」
「お前、ほとんど寝てたくせに」
「目ぇ開いてると寝た気がしねぇんだよ、ふあぁ」
碧雲閣の露台に寝そべると、ラティはもう目を閉じてしまった。
ソンも眠かったが、目を開けたまま意識を飛ばしていたラティほどではない。
「……寝ていたんですか……」
「あ、いや、起きてるように見え……たぶん起きてたから大丈夫、かな」
背後から残念そうなため息を吐かれて、ソンは顔を引きつらせる。
メイソンが蓉果を手に持っているのは、儀を終えたラティへの心遣いだろう。肝心の王子は丸くなって背を見せているが。
「何が大丈夫なものですか。それで、獅従儀はどうだったのです?」
「えーと、うん、ウルル式官の言っていた挨拶はちゃんとしてたぜ」
「当たり前ですっ!」
なんで俺が庇わなくちゃならないんだと思いつつ、ソンはへらりと笑った。
メイソン兄弟は儀への列席を許されず、雲上官の挨拶を受けるラティの姿を見ていないのだ。
挨拶の間じゅう、四方八方からの好奇の目に晒されていたのは言わないでおこう、とソンは思う。別にラティがしくじっていたわけではないのだが、次代の王になる第一王子はそれだけで耳目を集めるのだろう。その上、挨拶をするラティは端麗な絵姿のようで、とても美しく見えたから。
ただ、視線の多くは、どこか不吉なものを見たような怯えを見せて逸れていった。
ソンにはそれがよく分からない。
北妃が亡くなっていることと関係しているのかもしれない。
ラティが何も言わないのなら、メイソン兄弟にはやはり黙っておきたかった。
-
「兄様におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。おかげさまにて本日半人前となるを許され、晴れてこのように挨拶させていただける身となりました」
名乗りを上げ、清々しい口調で滑らかに口上を述べると、第二王子は顔を上げてシスルを引き上げ、ラティの向かいに着座する。それぞれの横には従士と侍従がついていて、同じように礼を交わして着座する。ラティは億劫げな目で卓に進物が並べられるのを眺めた。先触れの者には貢物はいらないと言い含めたはずだが、伝わらなかったらしい。
「獅従儀を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げる」
「ありがとうございます。兄様のように立派な半人前となれるよう、励みます」
そう応えると、セイは淀みない調子で従士と侍従を紹介し、会話は両脇へと流れていく。あとはそれを眺めていればよかった。東の離宮の従士は年長なだけあって、ソンよりもうんと上背があり風格もある。侍従とそろって隙のない立ち振る舞いで、ラティは東の王子の方がよほど今生帝の後継に向いていると腹の中で自嘲した。
「兄様、私に半人前の心得とは何か、教えていただけませんか」
ふと気づくと、賢そうに光る目がこちらを向いていた。
ラティはしばらく考えるふりをしていたが、埒があきそうにないと諦めてやけくそで口を開いた。
「知るか。お前に教えられるようなことはねぇよ」
「はっ?」
「王子っ、口を慎……」
「もういいだろ、俺は貢物は受け取らない。持って帰れ」
口を慎みなさい、とメイソンが言うのを制してラティは顎を引き上げた。
東の侍従が狼狽した顔で謝罪するのを聞き流して、早々に花宮の客舎を後にする。
まるで周囲を打ち捨てていくような素振りに、ソンも遅れじとその背中を追った。
粗暴で気ままな性格にもすっかり慣れて、なぜか放っておけなくもなっている。
「ラティ、ラティって、おい」
「何だよ」
「弟だろ、怖がられちまうぞ」
よじ登ってきたソンを見て、ラティはそんなことかと言いたげに鼻で笑った。
「構わねぇよ」
「なんで」
「離宮の兄弟だからさ」
雲台に立ったラティは、物憂げにそう言ったきり黙った。ソンは横顔に潜んだ孤独な眼差しに、その先を聞きあぐねてしまった。肝心なところで、いつもラティは言葉が足りないと思う。
「ソンは、姉御と天山に上ったんだったな」
「あ、あぁ」
「兄弟がたくさんいるのか?」
「兄貴が二人と、姉貴と、弟が一人いる」
聞かれるままにソンは答える。あとは祖母と大伯父が同居している。祖母の那夏も時々訪れるが、一緒には生活しない。家主の女性を中心に、子と兄弟姉妹が生まれた家で死ぬまで共に暮らすのが天山の民のありようだった。
それを聞いたラティが少し笑う気配がした。
「そりゃあ、賑やかそうでいいな」
「前は、ずっと前は、母さんがいた。俺と弟は、ばば様に引き取られた養い子だ。兄弟が多いのはそのせいさ。本当なら、姉貴は伯母上だし、兄貴たちは伯父貴だからな」
笑いが止み、真顔で振り向いたラティに、雲海をただ指してソンが答える。
下界の死者は天泉に浮かび、雲海に消える……。
ソンの暗示は何も言わずとも伝わった。
「……そうか」
「まぁ、昔の話さ」
「今は……同じ家主の兄弟なんだな」
「そうだな、一番上の兄貴には会っただろう?二番目の兄貴も天山の官で、家主の後継が姉貴だ。弟はもうじき学舎に入る頃だ。上の連中は煩いけど、弟はかわいいんだぜ」
ソンは懐かしい目になって、一人ずつ名を言って聞かせた。うんうんとラティが相槌を打つ。自分の弟には関わろうとしなかったくせに、その目は興味津々で、どこか羨ましそうに耳を傾けている。
「お前にもいるじゃないか。東のセイ王子に、南のメア王女、西はリンディ王子。みんな、同じ雲の上で育った兄弟だろ」
ぽんと肩を叩くが、相槌は返ってこなかった。
一緒に暮らしてもいない、政敵でもある他領の子を、兄弟とは呼びたくないのか。
ソンは手をそっと降ろした。
従士となって、まる一年。
打ち解けたような気もするが、ラティのことが分からないと思うこともある。
東のキーマン家は四方族のなかでも穏健派だし、セイ王子もこちらに歩み寄る姿勢を見せていた。うまくすれば東の離宮と関係を作ることだってできた。
どうして弟に背を向けたんだ。
喉まで出かけた問いに、たぶん答えは返ってこない。
その無言の双眸は、自分とは程遠いところを向いているように見えた。




