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千年王  作者: 奥山まゆこ
33/50

S17 拳礼



「そういえばお聞きになりました?西の離宮で雲官がひどい折檻を受けたとか」


花宮に挨拶に訪れていた南妃は、別れ際になって急に声をひそめた。

天渡月も半ば、セイの獅従儀を翌日に控えた昼下がりのことである。


レモネードのような甘い花茶を楽しんで、あとは見送るばかりだった東妃が驚いて目を見開く。


「聞いておりませんわ。どうしてそのようなことを……」

「まぁ、お聞きになっていないの?雲上官の間ではその噂で持ちきりですのよ。何でも西の王子が明日着る衣が意に沿わないとかで、妃自らが樹鞭で雲官の顔を打ったそうですわ」

「そんな……恐ろしい!」


甲高い悲鳴を手で制するようにして、南妃はさらに声をひそめた。

同席していたセイも、これは容易ならない話だと思って、耳をそばだてる。


「それも血が吹き出すまで、何十回も打ったのですって。血で目が見えなくなった雲官に、詫びのために拳礼をしろと迫ったとか……。あぁ、ぞっとしますわ!」

「そ、そんな非道っ、兄が、ザハト獅従が、黙っているわけがありませんわ」

「確かにザハト獅従は、天宮と離宮を取り仕切られるお立場。ですが、離宮の家人のことは家主に任されておりますし、何より西の妃にはあのスプーク宰相が後ろ盾となっているではありませんか。今回のことも、さっそく宰相が立ち回って王が不問に付したともっぱらの噂ですわ」


言葉を失った東妃は、見送りを終えるとふらふらと肘掛椅子にしがみついた。


「獅従儀の前だというのに、何というひどい噂が立っているのでしょう」

「母様、気を確かになさってください」


顔色は青白く、声が細かく震えている。

セイは差し出された手をぎゅっと握った。恐ろしさに動揺している東妃のために、控えていた雲官が急いで熱い気付薬を運んでくる。


「西妃様は恐ろしい方だわ。いいえ、こんな非道がまかり通るなど、あってはならないわ。いいこと、セイ。決して西の者に気を許してはいけませんよ」

「はい、母様」

「立派に獅従儀を終えて、一日も早く王を守って差し上げるのですよ」


不安そうに青ざめた唇でなおも言葉を重ねる母に、うんと頷く。

自分は七歳だけど七歳じゃない、だから大丈夫……。

そう伝えたかったが、それを言葉にすることはできなかった。


-


翌日はこともなく獅従儀が執り行われた。


「方は四方、式は三式、品は上に十三、下に十三、雲上の百官、下雲の百官を従え、万丈の下界は五領を治むる、そは千年の生得て千年の慈悲持つ、王の務めなり。汝、ダージ王が第二子にして、キーマンが東妃の身ごもりし御子、名はセイ、獅子を従え、獅子に従いて立つ者なり」


朗々と抑揚のついた式官の祝言は、神主さんの祝詞に似ている。これから勉強を頑張りなさいとか、王子として自覚して生活しなさいとか、内容は校長先生の訓示と似たようなものだ。


これで自分もようやく半人前だ、とセイは思った。

獅従儀を過ぎると、子供扱いされることはなくなり、大人になる準備が始まる。


三歳の天授儀、七歳の獅従儀、そして十二歳の成儀という《三儀》は庶民から王族まで広く大切にされている通過儀礼だ。セイの場合、五年後に行われる成儀で、晴れて大人と見なされて離宮を出ていくことになる。


気持ちの面では高校生の延長で、とっくに大人のつもりだけれど、肉体のほうはこうして通過儀礼を越えて、もう一度ゆっくりと大人になっていく。

じれったくもあるが、悔いの残るような生き方はしたくないとも思う。


将来は離宮を離れて王子でなくなるのだ。受け身でいるのはつまらない。

ただ世話をされる王子ではなくて、何かできる人になりたい。


じっと考えているうちに、長い長いと聞いていた祝言は意外にあっさりと過ぎた。


「これより半人前となることを赦す。今後も、心して務めなさい」


ここではまだ顔は上げられない。けれど、ザハトの声は温かかった。

続いて家主である母の手で水色に輝く耳珠を付けられる。母の付けた衣は白色で、式官や正面に立つザハト獅従と揃いのものだ。身を起こして顔を上げると、感無量の涙ぐんだ顔がそっと離れていき、向かいからザハトがいつもの三白眼を向けた。

獅従が縁者のザハトでよかった。

怖い顔は見慣れているから今更だし。


「従士として、ルギャン主格より、末子ウージを与える」


式官の声に、後ろに控えていたウージが進み出る。背がまた高くなったのか、セイの頭あたりに胸の位置がある。堂々たる体躯を紫銀の地と金の貝殻文様の華やかな衣が包み込む。セイのつけた青銀の衣と対をなし、二人並んだ姿がぱっと花が開いたように映えた。頭二つ分は高いウージと向き合い、作法通りに膝礼をしようとするセイの前で、ウージはさらに腰を沈め、深々と拳礼を捧げた。

あっけにとられたセイに向かい、ウージは艶やかな笑みを浮かべる。


「この日を待ちわびておりました。王子」


囁かれた声は高すぎず低すぎない甘い美声だ。絡んだ深い眼差しからは、心からの敬意が伝わってきて、うわあと内心焦りながら、膝礼を返す。

こんなにウージが真っ直ぐな奴だと思わなかった。

むずむずする。照れくさいような、申し訳ないような変な気分だ。


ウージ、僕は多分、君が思っているような王子じゃないけれど……


「よろしく」


聞こえるかな、そんな気持ちで唇だけでささやくと、ウージは両目を細めて応えてみせた。


この従士とは仲良くなれそうだ。

嬉しい予感に胸を躍らせながら、セイは無事、獅従儀を終えたのだった。


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