S16 試し着
「まぁよく似合うこと。これなら刺繍も映えて見えるわ」
「はい、東妃様。こうして見ると東領の織工の素晴らしさがよく分かります」
カナタの言葉に、調所でセイを囲んだ雲官たちも、万感の思いで頷き合った。
今年も炉天祭の夜がやってきた。早々に雲海船の用意を整えた東の離宮では、仕立てたばかりの獅従儀の衣にセイが初めて袖を通していた。
カーテンや絨毯を丸ごと羽織っている感覚に近いだろうか。
シスルは暑いな、と思いながらも本人ははしゃぐ周囲を前に我慢している。
「今生帝もあなたの姿を見たいとおっしゃってくださっています。さ、髪結いを済ませたら花宮に来るのですよ。くれぐれも衣を傷つけないように」
あと二刻ほどで王が花宮を訪れると聞いて、雲官たちは東妃の見送りもそこそこに櫛を洗ったりよく磨いた鏡を立てたりして、急いでセイの髪に取り掛かった。
「ねぇカナタ、僕は昨年の衣でも構わないと思っていたけど……」
どうせ背は伸びていないし、と小声で付け足す。季病からこのかた、体質を改善しようと筋トレをはじめたし、タンパク質の摂取を増やすよう少しづつ食事も変えてもらっているが、残念ながら小柄なモヤシ体型はそのままだ。
「滅多なことを言ってはなりませんよ。あの衣は南妃様からのいただき物ではありませんか。確かによい衣でございましたが、ご自身の儀に使うものではありません。家主の想いがこもった衣こそ、最上なのでございます」
珍しく叱るような言い方をするカナタに、「そうかなぁ」とこぼす。
きっとこの衣のために母は家領の織工になけなしの財を与えたに違いない。そしてこの衣を着るのは獅従儀のためだけ。王子の権威を高める効果はあるのだろうけど、庶民から見れば壮大な無駄遣いでしかない。
成儀では、もっと華美な衣が用意されるだろう。いっそのこと七五三の衣装みたいにレンタルしたらいいのに。
「王子、カナタ様の仰る通りです。家主にとって獅従儀は子の成長を祝う大切な儀です。東妃様は王子が生まれたときから獅従儀を楽しみに少しずつ衣を揃えられてこられたのですよ」
と、細かい櫛で香油を馴染ませていたアグナにもやんわりとたしなめられた。
雲官の多くは、妃とともに離宮に入っている。王子を身ごもった歓喜も、寵を得るまでの心細さも我がことのように知っているのだった。年長格のアグナもそうだろう。さすがにこう言われてしまうと、口答えできない。
香油が髪全体に馴染むと、次は髪結いを担当している雲官が代わりに立った。三つ編みを組み合わせて華やかに髪が結い上げられ、両脇についた雲官が刷毛で表面をなぞって金のつやを出していく。産毛の先からたっぷりとした三つ編み部分まで丁寧に刷毛を滑らせると、再度雲官が立ち代わって今度は磨き上げられた髪飾りを一つひとつ差し込んでいく。
じいっと座って鏡の自分と向かい合う。
贅沢な衣装を着て、髪を飾り立てられ、たくさんの雲官に傅かれるのは、正直あまり落ち着かない。高校生だった自分では考えられなかった生活だ。
でも、今はこの容姿で生まれたから、こんなにも恵まれた離宮の暮らしができる。
王と同じ、金髪金目の……
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「……うむ、立派に着こなしておるようだ」
杯を下ろすと、王は感慨深そうにゆっくりと頷いた。少し土色を帯びた落ち着いた金目である。髪の毛も同色で、硬質に整った面差しは三十代後半といったところだろうか。
この人が、今生帝で、もう一人の親。
だけど「お父さん」という感じではない。
一緒に暮らすこともないし、頻繁に会うこともない。そのせいか、対面していても、他人よりも遠い存在に思えた。
この人は、天山を統べる王なのだ。
本当に不老なんだな。
と、金目を見返しながら考える。
同じ金目金髪に生まれても、王位につかない者は普通に歳をとっていく。
王だけが不老で、即位式のその日から人とは違う存在になるのだという。
セイは見たことがないが、先王であるハルト王は四十年以上も二十代の容姿を保っていたそうだ。
今生帝も王位を継いで以来、容姿が変わっていない。
セイは王が不老であることが不思議でならなかった。
日本では絶対にありえない。
『ねぇ、死んだらどうなるの?死ぬのってどんな感じ?』
昔、小学生の頃、大きな肩を揺さぶって聞いたことがある。
自分が死ぬ瞬間、痛いのか、苦しいのか、ひとりぼっちで寂しいのか。
暗い不安にとりつかれて、一晩中眠れずにいた僕に、父さんは困ったなと頭をかいた。
『それは、そのときにならないと、父さんにも分からない。でも、父さんの父さんも、そのまた父さんも、立派に命をまっとうしたよ。だから、父さんは大丈夫だと思ってる』
『大丈夫じゃないよ』と、あのとき言い返したんだっけ。
生まれてきた以上、僕も年をとって、おじいさんになって、いつか死んでしまうし、病気にだってなってしまう。
今はがっしりした父さんの肩も、やがて筋肉が落ちて痩せていくのだ……。
でもここではそうじゃない。
不老の王が、千年も生きた伝説があるのだから。
「トルネよ、この布地は東領のものか?」
「えぇ、このシスルは青糸と銀糸を組み合わせて織って、文様には全て金の刺繍を施しております。このように固く盛り上げて仕上げるには、腕の立つ職人でも大変苦心すると聞きます」
「そうか、どおりでよい出来栄えだ」
王が杯を持ち上げて母とゆったりと会話を交わし合う。船の舳先に帳を立てて仕切られた間は、王と妃のために設けられた席だ。朱塗りの箱膳を前に並べて、寄り添った酒を注いでいる姿は仲睦まじげだ。 寵愛されているらしいと知った今はなおさら親しみ深い間柄に見えた。
王の側にいる母は、いつもよりずっと可愛らしく微笑んでいる。それでいて、いつも通り気取らず会話を楽しんでいる風なのが、成熟した関係を思わせた。
若干、いたたまれないと感じるのは自分が意識しすぎているせいだろうか……。
「セイはもう歴書を読むようになりましたの。アッサン始相が綴子を貸してくださって、最近はロン賢王の話ばかりいたします」
「あぁ、アッサンからも聞いている。随分と学事が進んでいると」
少し誇らしげに微笑んで、東妃は我が子をもう一度見て欲しいとせがんだ。
「ずっとこうして見ていてやりたいものだ」と東妃に優しくささやきながら、今生帝は下座へと目を移す。白金の髪を飾る髪飾りに取り付けられた青の珠が、視線を誘うようにちらちらと揺らめくのを、眩しそうな目で眺めやった。
「獅従儀のことは、もうフォルカに聞いておるな?」
「はい。貧を忘れず切磋琢磨するよう教えられております」
「そのとおりだ。無事、半人前になるように」
ようやく面と向かって言葉をくれた王に拳礼をとると、重いシスルを両手で掴む。引き下がるとき、母のくすぐったそうな笑いが耳をかすめた。思わず目をあげると、今生王の袖がふっくらした腰周りに伸ばされていた。袖からのぞいたのは、大人の男らしい大きな手で。
「王子、どうされました。今生帝のお言葉はいただいたのでしょう?」
「うん、……カナタの言う通りだった」
疲れた顔でため息をつくのに、カナタは不思議そうに顔を傾げた。
ああして両親がいちゃいちゃするのは当たり前なのだろうか。ひどく当てられた気分のまま船尾に設けられた宴に交じる。
あの戯れるようでいて、余裕たっぷりの手つき。
男として、母を愛しているのか。
そう思うと、王の男ぶりが妙にまぶたの裏にちらつくのだった。




