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千年王  作者: 奥山まゆこ
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S15 貧と富


「ウージ様は素敵な方だわ。雲門舎の首席で、風琴や唄いもお上手だとか」

「えぇ、それに紫の淡い瞳に艶々した黒髪をされているのですって」

「まぁっ!」


帳子の向こうでこそこそと話していた雲官の声が一斉に色めきだった。こっちが寝ていると思って好きなことを言っているな、と内心おかしくなりながら目を閉じたまま会話を聞き流す。ちょうど昼餉が終わって横になっていたところだ。

雲官はすっかりウージに夢中だ。変化のない環境で楽しみが限られるからだろう。従士に選ばれるのは名家の出で頭脳明晰、しかも見目のいい子供と決まっている。

王子に仕えるのは獅従儀から成儀までの四年間。その後も多くが天山に残り、高級官僚として才を発揮するのだ。


「早く再来月にならないかしら!」

「あなたたち、お気楽ねぇ。ウージ様は南妃様の弟御なのよ。それがどういうことか、分かっていらっしゃらないの?」

「そんな、怖い顔をなさらなくたって」

「南妃様は財力のあるお方だわ。東妃様はますます南妃様にお気を使われて、肩身の狭い思いをするかもしれないのよ」


割って入ったのは年長者のアグナらしい。

語気荒く叱られて、賑やかだった話し声は波が引くように静かになった。


確かに、その通りだ。

人気がなくなると、セイはむっくと体を起こして考え込んだ。

さっきまでウージが来るのを楽しみにしていたのに、冷水をかけられたような気分だった。

ウージは豊かな南領の主格の嫡子だ。

迎え入れる母の立場はどうなる。それに、北の離宮や西の離宮とは交流がないのに、東と南とがいよいよ親密な関係を持てば、周囲が眉をひそめやしないか。大人しいばかりで離宮の外には疎い母と違って、南妃はそういう政治パフォーマンスには長けているタイプだし。

……ええい、困ったときはカナタに聞こう。


「ご心配はごもっともですが、東妃様のお立場はいささかも揺るがないと存じます。東妃様も、よい従士を迎えられることを大層喜ばれておいでですよ」

「どうして?南妃様はいつも衣や髪飾りをお贈り下さるけれど、うちの離宮でできる返礼はこれといったものがないじゃないか」


そう突っ込むと、カナタは困ったような含み笑いになって首を振った。


「それがそうでもないのですよ。東妃様は今生帝から厚い信頼を寄せられておいでです。確かに、財のある南妃様や、外戚筋の西妃様には威がございますが、今生帝の御心におられるのは東妃様をおいて他にはおりませぬ。そしてそれは南妃様も西妃様も、よく承知されていることなのです」


子供相手だからオブラートに包んでいるけど、王が妃の中で一番寵愛してるって聞こえるな。うわ、それは知らなかった。

離宮では三歳の天授儀を終えると、母と子の居宮は分かれてしまう。果宮に住むセイが花宮に入るには母の招きが必要だ。今生帝は正殿から花渡という専用の渡りを使って花宮に通う。顔を合わせることはないから、王が渡る頻度などこれまで全くの余所事だった。


「……今生帝が母様を守ってくださるのだね?」

「えぇ。東妃様は王子のために最良の従士を選びたいと常々おっしゃっておりました。ですから、そのお心を汲んで、王子は何もお気になさらず、ウージ様をお迎えになさってください」


カナタと話して腑に落ちた部分もあった。

ただ、母はずいぶん無理もしているのだろう。

天山には血縁のザハトが獅従として頑張っているが、それ以外に目ぼしい家筋の人物はいないし、家領だって南領のように豊かなわけでもない。

人脈もなければ金もない、となれば、今は寵愛を頼りにしていても、北の王子が成儀を迎えて正式に次の王に指名されれば、あっという間に立場が弱くなるのは明らかだった。

せめて、家領がもっと裕福ならいいのだが。


「フォルカ先生、私は豊かな南領から従士を迎えるのですが、どう接したらよいのでしょうか」


学事を終えると、思い切って専属の教師《学官》を引き留め、知恵を求めた。

『歩く百科事典』と密かにあだ名しているフォルカは、一を聞くと百を理解してしまう。案の定、眉ひとつ動かさずに悩みを見て取ると、フォルカは乾いた声で口火を切った。


「南領はそれほど富み栄えているわけではありませんよ。貧しい者を比べれば、むしろ東領の方が恵まれた生活をしています」

「えっ?」


怪訝な顔になるセイの前で、フォルカは茶を注ぎ入れた杯を手に持った。それからゆっくりと杯を傾けてみせる。


「……このように、杯を斜めにしますと、水かさが減るところと溜まるところができます。これが貧と富です」


フォルカは青い目を伏せがちにして、杯をじわじわと傾け続けた。ぽた、ぽたたたっ、と縁から花茶がこぼれ出す。


「南の離宮が豊かに見えるなら、それはこういうことです。富が多い方を見れば、溢れるほどに富が増しますが、貧しい者は満足に食べることもできない。いずれ悲惨な禍が起きるでしょう」


このままでは人心が乱れると言いたいのだろう。

杯を傾けること……つまり、富の格差を極端にしてはいけないのだ、と諒解して濡れてしまった卓を見る。

南領の内実はよく知らなかったが、フォルカの言いぶりでは、あまり望ましい統治ではなさそうだ。セイは今さらながら自分の無知を感じた。天山では今生帝を頂きとしているが、下界での直轄地は獅従領のごく一部にしか過ぎない。ほとんどは領ごとに貴族による支配が行われている。その筆頭が四方族や王城貴族の主格筋の貴族だ。天山の官の役割は、それぞれの領の公平さを保つことにあり、民に直接何かを行っているわけではないのだ。


「政事に携わる者は、いつでも一番弱い立場にいる、貧しい者のことを忘れてはなりません。東の離宮は華美ではありませんが、ザハト獅従も東妃様も清廉な志を持つ方々です。従士となるウージ殿には、ここはよき学びの舎となりましょう」


フォルカはそう言って、手巾を取り出した。丁寧に滴を拭き取る姿は淡白なようでいて、毅然としている。つくづくこの学官にはかなわないとセイは思った。考え深く発せられる一言一言に、うんと意味が込められている。高校生だった自分と比べても、フォルカの視野はひと回りもふた回りも大きい。


もう、悩みはどこかに吹き飛んでしまっていた。


「従士とお過ごしになることで、王子の他領への考えもまた深まりましょう。貧を忘れず、互いに切磋琢磨して学びなさい」


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