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千年王  作者: 奥山まゆこ
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S14 鬼晴れ


雲上からさぁぁーっと下界が晴れやかに見通せるのを《鬼晴れ》という。


つかの間に訪れる鬼月の気まぐれなのだ。出かけに渡殿から雲海を見下ろすと、ちょうど折りよく鬼晴れになった。この頃には行炉も片付けられて、簾子は帳子に取り替えられる。南の離宮の花宮では、屋具や桟枠はおろか、壁のしつらえから卓や花器などの調度に至るまで、徹底して西季仕立てに替えられていた。調度は穏やかな気候をあらわすように暖かみのある色合いでまとめられ、その絵柄には西季の風物に由来する縁起物が用いられている。


ここまで大掛かりな季替えをするには、財力だけでなく季を熟知した高い教養が必要だ。初めて南の離宮に招かれた東妃とセイは、家主たる南妃の凄みを否応なしに感じることになった。


「あの文様は何かしら」

「方獣ではないですか?西季に子獣を産みますから」


頼りなげに顔を寄せてくる母に、声を潜めてささやきかえす。

セイも詳しいわけではないが、教養として縁起物の知識はある。方獣は牛と山羊の合いの子のような家畜だ。天山にはいないから、挿し絵でしか見たことはないが。


「そうでございますよ。よくお分かりになられましたね」

「あら、聞かれてしまったのね」


ひそひそ交わすやり取りの最中に穏やかな声をかけられ、母は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

一児を産んだはずなのに、小さく手を口に当てている様子はまるで少女のようだ。腰をかがめた南の離宮の侍従も、初老の面長に感じのいい笑みを浮かべている。


「セイ王子がおっしゃるように、方獣は子宝に恵まれるという西季の縁起物です。その脇に生まれたばかりの小さな方獣が描かれてございまして、あちらの内壁には子獣の天来儀が描かれております」

「まぁ、内壁全体で物語になっているのですね。なんてすばらしい趣向なの」

「そう仰っていただけると家主も喜びます」


母は行き届いた花宮の季替えに心奪われたらしく、客舎に通されてからずっとこの調子だ。他の離宮には足を運ぶことなど滅多にないから無理もない。

どこの離宮も造りは変わらないはずだが、内装や調度のすみずみにまで手入れされているせいか、同じ離宮とは思えないほど瀟洒で、待つ間も目が飽きることがない。ふかふかの長椅子の心地といい、接待をしてくれている侍従の心配りといい、贅の違いとはこういうものなのかと体感させられてしまう。

家領が違うだけでこれほど違うとは。

ルギャン家が治める南領では商業が盛んだというから、よほど富み栄えているのだろう。


「ささ、冷めないうちにお飲みください」


勧められて、薄紅色の花茶に口をつけた。

ぷんと甘い香りのする、ラズベリーティのような味わいである。


「お口に合いますか?」

「うん、甘酸っぱくて美味しいよ。南妃様のお好みの茶葉だろうか」

「ウージ様がお持ちになったものですよ」


杯を揺らして香りを楽しみながら、えっとなる。


「南妃様の弟御が」

「はい。その茶葉は南領の産でございまして」


そんな会話をしていると、細廊の帳子を引き上げる音がして、南妃がくだんの弟を連れて姿を現した。

長椅子から立ち上がった母に合わせて立礼をする。色鮮やかな一枚布をまとった南妃も立礼を返し、少年の方はロウをたくし上げて片膝を床につくと胸に右手を置いて身をかがめた。王子と妃は三品の位階を持っている。だから南妃の身内でも、三品以上の官でない限り、こうして膝礼をするのが正しい礼儀というわけだ。


セイは離宮で同年代の子供と話したことがない。

内心緊張しながら笑いかけると、甘い菫色の瞳とかち合っていっぺんに嬉しくなった。こんなに年の近い子が、獅従儀を終えたら離宮で共に過ごすのだ。

にこにこしていると、少年も緊張した顔を崩して柔らかな笑みを浮かべた。


「南妃様、今日はお招きくださりありがとうございます。おかげで季病みの折にいただいた衣を、こうしてこの子に付けさせることができました。お心尽くしの数々に何とお礼を申せばよいか」

「いいえ、よくなられて何よりでした。お贈りした一枚布を付けていただいて嬉しいわ。やはり王子は青がお似合いですし、……あら?」


妃同士で挨拶を交わしていたところで、南妃はセイに目を移して言葉を止めた。その視線を追って、東妃もあらっと呟いた。


「これは、私たちが間に立たずともよいのではないかしら」

「そのようですわね」


顔を見合わせて苦笑し合うと、南妃は隣に立った弟に声をかけた。


「ウージ、東妃様と王子にご挨拶なさい」

「はい。私はルギャン家の末弟のウージと申します。かねてよりお伺いしていた東の王子にお会いでき、あまりの嬉しさに我を忘れておりました」


薄っすらと上気した頬に南妃に似た二重の瞳が艶めいて見える。黒髪が長く垂れているのもあって、目を細めると歳にそぐわぬ色がとろりと溢れた。

東妃はウージが礼節をわきまえながらも滑らかに自分の気持ちを表すことに感心した。セイより四つほど年かさととは聞いていたが、それにしてもよくよく落ち着きのある少年だ。


「ウージ様は雲門舎で学ばれているのでしたね」

「はい。今は獅従領の学寮で暮らしております」

「っ、雲門舎ではどんな学事を?」

「昨日は堤の造り方を教わりました。西季は洪水が起きやすいので、それを防ぐ手立てとして堤を頑丈に造ろうというものです」


思わず横から尋ねたセイに、すらすらとウージが答える。

「へぇ…!」

もっとしゃべりたそうな顔になったセイを見て、東妃は傾いていた心を決めた。

従士はやはりウージにしよう。

ウージの雲門舎での評は抜きん出て高いとアッサンからも聞いている。格も主格同士で遜色がなく、大人びた立ち振る舞いも好ましい。年がやや離れているのが気がかりだったが、セイの相手が並みの子供に務まるとも思えない。官職目当ての東領の者を従士に迎えるより、他領の生まれであっても同格で優れた才を持つ者の方がよほどセイのためになるだろう。

欲を言えば、王への忠誠が厚く、天山の覇権争いに拘うことが少ないと言われる獅従領の主格が望ましかったが……。


「……よかったですわ。セイと南妃様の弟御はまるで兄弟のよう。これで安心して獅従儀を迎えられますわ」

「それはようございました。未熟な弟ですが、どうぞお役立てくださいませ」


目元を和ませて納得するように言った東妃に対し、南妃もそれを立てるように同調する。

自分の与えた西季の一枚布を付けている金髪の御子、そして自分の血を分けた弟。鬼晴れは瑞気のしるしだというが、今日は本当にその通りだ。南妃はにんまりとして二人を見つめた。


東妃の言う通り、まるで兄弟のように似合いではないか。


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