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千年王  作者: 奥山まゆこ
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R13 鬼の来る月


「弟は、私の姉の遺児なのです。姉が亡くなってからは、家主の養い子となりましたが、ディンブラ家で最も直系に近い血筋を継いでいます」

「母御を亡くされていたのですか……」


ラティたちを雲官と共に外させてウィリーと向かい合ったあの日、メイソンとフォートはさらに思いもよらぬソンの身の上話を聞くことになった。

向かい合ったウィリーは顎を引いてさらに低い声で続けた。


「えぇ、次の鬼月でちょうど四年になります。獅従領で西の渡異が現れたことがあったでしょう。姉はその騒ぎで死にました。……あれは、可哀想な弟なのです」


今日は元気な顔を見て安心いたしました。どうか弟をよろしくお願いします。

そう深く頭を下げたウィリーに、メイソンとフォートは胸を突かれる思いだった。


-


微風が吹いて、白く濁った霧がたゆたうようになった。季が変わったことの証だ。

西季の月名はおどろおどろしい。迷月に始まり、鬼月、焦月、不知月と続くのだ。

そのわりに雲上の気候は優しかった。暑さは和らぎ、徐々に過ごしやすくなる。


「おい、見えるか?」

「うーん、まだ霧で濁ってる」


小橋にしゃがみ込んで、ラティとソンは泉の縁に目を凝らす。チダは浅瀬の水草に卵をつける。

粘ってみたものの、霧はゆらゆらと動くばかりで一向に晴れる様子がなかった。


「なぁソン、チダの卵は孵化するまでずっと水草にくっついているのか」

「そうだろ。来年の東季まで孵らないんだから」

「長いなァ」


心残りそうにラティが泉を眺める。

チダの放流が思いのほか楽しかったらしい。ソンもしかりで、迷月になったばかりだというのに、南季がもう待ち遠しい気がした。


「宰相様の先触れがございました。お早く、お早く」


花宮側の回廊から雲官に声をかけられてラティは立ち上がる。

ソンと共に足早に回廊から果門を通り抜け、顔を取り繕って暗舎で待っていると、メイソンに先導されて恰幅のいい壮年の学師が姿を現した。

そうそうたる面々の学師たちの中で、最も品が高く、権を誇るのがこのスプークだった。


「お久しぶりですな、王子。しばらく見ぬうちにまた大きくなられたようだ」


学事は進んでおりますかな、と続けてスプークは丸々とした顔に人のよさそうな笑みを刻んだ。

眉がふっさりとして太く、薄い緋色の瞳はやや窪んでいる。撫でつけられた紫紺の横髪は手をかけて巻き毛風にしてあり、後ろ髪は編み込んで金色の珠を埋めた髪留めで飾っている。


「お前も相変わらずで何よりだ」


ラティは真顔でそれだけ言うと、型通りに拳礼を尽くした。

北の離宮には両手で足りぬほど多くの学師が訪れるが、やって来る頻度はまちまちである。どの学師も現役の官であるから、官職が多忙であるほど足は遠のく。スプークも宰相という天山最高位の官職にあって、北の離宮に顔を出すのはこれで二度目という学師である。


「えぇ、今日は何についてお話ししましょうか。ん、んんー、王子は官の役割というのを、もうご存知いただいておりますかな?」


咳払いをしたスプークは、小肥りの体をやや反らせると滔々としゃべり始めた。


「私ども今生帝に仕える雲上百官と下雲百官は、王の目と手と言われております。正殿でお暮らしになる王は、いかに獅子のお力を持ってしても下界を見るには目が足らず、民を救うには手が足りぬのが実情。この目と手なくして王は王たり得ず、下界を治ることはかないませぬ」

「そうか」


前に裁官がまくし立てていたのと同じだなと思いながらラティは相槌を打つ。

それを見て、スプークは我が理を得たりとばかりに大きく顎を揺らした。


「さよう。よき王とは、よく官を用いる王のことでございます。私も今生帝の外戚という立場上、嫌な顔をされることも多うございますが、くれぐれも流言に惑わされて道を外されませぬよう。王が成すべき第一は、妃を迎えて御子に天命をつなぐこと。下界のつまらぬ些事など官にお任せください。そうすれば自ずから民は潤い、禍もなく過ごせまする。実際、今年の禍は例年に比べて少のうございます。これは今生帝と官が各々の責を全うしたからに他なりません」


くどくどと述べると、そのままスプークは勢いを止めることなく官職のひとつひとつを挙げながら職掌を説き始めた。宰相、始相、獅従、尚官、学官、天官と続いて官職は実に二百に及ぶ。雲上の百官を聴き終える頃にはソンは欠伸を噛み殺し、ラティも目をとろんとさせて半ば眠りこけていたが、スプークは口泡を飛ばして下雲百官まで語り切った。

四刻ばかり経って満足げに立ち去ったスプークをよそに、ひたすら眠気を堪えて時が過ぎるのを待っていたラティは、ぐったりと長椅子に背を預けた。


「ふあぁっ…あいつ、もう呼ばなくていいぞ」

「また無茶なことを」


花門まで見送りに行っていたメイソンがちょうど暗舎に戻ってきて、大あくびしていたラティに顔をしかめた。


「天山において今のスプーク宰相に敵う者などおりませぬよ。それにあの方は西方貴族の筆頭。用心に越したことはありませぬ」

「わーってるよ。大人しくしてるじゃねーか」


ラティは苦い顔を向けると、ため息を吐いて脱力した。


「官に任せれば禍が来ないなんて、よく言えたな」

「ソン?」


隣で俯いたソンがぼそりと吐き出したのを耳ざとく拾い、ラティは訝しげになった。

いいや、と小さくかぶりを振るとソンは唇を歪めて横を向く。

メイソンが間に立って茶器を片付け始めると、ソンの独り言はそれきりになった。


西季の禍々しい月名は、渡異が現れる季になったことを告げている。

季入りの迷月には白濁の霧は揺らぎはじめ、それがすっかり晴れると、いよいよ 《鬼の来る月》……鬼月がやってくるのだ。


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