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千年王  作者: 奥山まゆこ
25/50

S13 杞憂


「出席とるぞー、あー浅野、青山、小川、鈴木ー・・・」

担任の先生がのんびりと点呼をはじめると、ハイ、ハイ、とクラスメートが次々に手をあげる。

「小沼、佐々木、ーー」

あと少し、あと少しだ。

一言も漏らすまいと耳を研ぎすました瞬間、


今日もまた、目が覚めた。


まばゆいばかりの金色の天蓋を見上げて、はぁっとため息をつく。


……僕の名前、何だったんだろうな


どこか遠い最果てを旅しているような淋しい気持ちがよぎる。

が、それは長く続かなかった。

「お目覚めですか?」

カナタの声とともに、帳子の外でさわさわと人の気配がする。鬼楼では今日もたくさんの雲官と番が控えて、いつもの朝を迎えているのだ。セイは己の立場を思い出し、すぐに気を引き締めた。

「うん、もう起きるよ」


寝具から身を起こすと、雲官が用意してくれたたらいで顔を注ぐ。たぷたぷ揺れる水面に映るのは、金色の髪と青白いふやけた顔をした子供だ。


我ながらひ弱そうな顔だ。

今にも貧血で倒れてしまいそうだし、実際、何日か前にリハビリのつもりで腹筋背筋したら熱が上がってひどい目にあった。

それ以来、カナタから絶対安静を言い渡されてしまった。いくら大丈夫だと言っても未だに信じてもらえない。


いくらか情けない気分になりながら、セイは薬草の浮かぶほろ苦い粥をすする。粥の中にはウズラに似た卵が入っていて、黄身がとろりと混ざると、舌の上でこくと甘みが広がった。


「ん、これはおいしいね」

「それはようございました。黄身は滋養がつくと言いますから」

「全部食べたでしょう?ほら、もう起き上がれるよ」

「さあそれは。まだ養生が必要だと医官が申していたではありませんか」


さらっと受け流すと、カナタは葉茶を淹れはじめた。

普段は優しいのに、心配性を発揮したカナタは手ごわい。綴子が読みたい、学師に会いたい、鬼楼の外に出たい、とせがむのを片端から退けられ、セイはむくれて杯を飲み干した。葉茶は香りがあまりなく色も薄い。その代わり、飲むと漢方薬のような独特の臭みが鼻を突き刺すのだった。

もうこの茶を見るのもうんざりだったが、これまたどんなにイヤそうな顔をしてみせてもカナタは知らん顔で葉茶を寄越すのだった。

一服していると、カナタと入れ替わりでウヴァがやってきて衣を替えてくれた。汗ばんだ背中がすっきりしたと思ったら、もう横にならないといけないという。


「ウヴァ、綴子を持ってきておくれよ」

「いけませんよ、お体にさわりますからね」

「だって、フォルカ学官にもお会いできないままだよ」


とんでもないと首を振っていたウヴァだが、ここぞとばかりに哀れっぽい上目づかいになると、ちょっと怯んだ。カナタは絶対に許してくれないけれど、同情心の篤いウヴァは自分の退屈をよく知っていて、きつくたしなめるのを躊躇っている。セイはすばやく考えを巡らした。


「ね、ウヴァ。カナタには内緒にするから。お礼に、今度お菓子をもらったら分けてあげるよ。ウヴァもリカの菓子が好きだろう?」

「ですが、王子……」

「こんなこと、頼めるのはウヴァだけだよ」

困った顔つきのまま、両頬が嬉しそうにぴくぴく動く。仕方ありませんねぇ、と小声になったウヴァに満面の笑顔を向けると、セイはほくほくした気分で滑らかな寝具に潜り込んだ。


自由がない分だけ、知恵は回るものだ。ウヴァはまだ十代半ばの若い雲官だ。本当は自分の方がずっと長く生きている。

今のは母さんによく使った手だなと、思わず笑いがこみ上げるセイだった。


-


結局、床離れできたのは現月になってからのことだ。

久方ぶりに鬼楼を出ると、外の景色はすっかり変わっていた。


「うわぁ、すごい霧!」

「はい。果門の外にお出になるのは危のうございますので、当分畑はお控えなされませ」


内廊を先導するカナタは鉄製の手炉を提げていた。

一面がクリーム状の濃い霧に覆われて、どんよりと薄暗い。踏板の境目が見えないありさまで、両脇に置かれた籠の形の行炉が足元をわずかに照らしている。


水場で湯浴みをし、衣や髪を整えるため調所に立ち寄り、水天房で家人への挨拶を済ませると、ようやっと膳の席につけた。久々に鬼楼の外を歩いてみると、離宮の広さと人目の多さが身にしみる。カナタや雲官はともかく、どこへ行くにも付番が付き添い、水場や調所でも専属の番が待ち構えているのだ。食事の場でもそれは変わらない。膳番の視線を感じながら、空腹をこらえてゆっくりと箸をとる。

一ヶ月ぶりのまともな食事だ。好物を選んでかきこみたいのを抑え、礼儀に倣って手前の皿から料理をつまんでいく。王子は早食いや偏食はしてはいけないのだ。


今日の膳は汁椀と飯碗のほかに、茄子に味が似た白い菜物の炊き合わせと、白身の焼き魚。後から出された平皿には果物が盛ってあった。薬膳粥はもう嫌だと言ったおかげか、飯碗の五穀米に似た穀物は、ほっくりと炊き上げられている。

食習慣は昔の日本と似たところがあるかもしれない。

温泉旅館の朝食に比べれば品数は少ないけれど、パンと牛乳とヨーグルトだけだった平日の朝御飯に比べればちゃんとしている、といった程度の食事だ。


「醤油はないの?」

「はっ?し、しょう…ゆ?」


目を見開いておうむ返しするカナタに、しまったと思って誤魔化し笑いをする。

そうか、ここには醤油はない。

日本のことを考えていたせいで、魚を食べているうちに醤油をつけてみたくなったのだ。香草の入った塩に魚をつけてパクリと口に入れる。酢と砂糖と塩、日本にもあったのはそれくらいだろうか。いや、ショウガも食べたことがあったか。

今日は綴子を漁って食事情を調べてみようかな。


舌で魚の身を転がしながら何食わぬ顔で朝餉を終えたセイだったが、カナタにその様子を見つめられていたことには気づかなかった。


王子は変わられた、そうカナタは胸騒ぎがしていた。

顔かたちは同じなのに、季病みを越えてからは妙によそよそしく感じられる。二日も意識を失くしたうえに、目を覚ましたときにまるで他人の顔を見るように手鏡を覗き込んでいたのも気になった。

季病みには慣れていたはずだが、こんな大事になったのは初めてのことだ。

ざわりした慄きとともに、雲海船で語られたカグヤの話をふと思う。


『実はわたしは月の異界からやって来て、天渡月には月へ帰らねばなりません』


哀しさを漂わせた王子の顔が共に浮かぶ。

まさか、とカナタは心のうちで強く否定する。

あれは王子が戯れに考えつかれた寓話でしかない。確かによく出来た話だったが、異界からやって来るのは残虐な渡異だけだ。

まかり間違っても異界の怪が天山にやって来られるはずもない。


セイが蒼雲閣で綴子を広げはじめると、カナタは心得て雲官とともにいったん引き下がった。少しでも側にいたい気持ちを抑えながら、一刻ばかり待って頃合いを見計らう。


「王子、少し根を詰めすぎですよ。少しお休みなされては」

「あ、……あぁうん」


綴子を読みふけるのに夢中になっていたのだろう。わき目も振らずに文卓にかじりついていたセイがぼうっとした顔でこちらを見上げている。

カナタは雲官を呼びつけて、すっかり空になった茶器を取り替えさせた。やって来た雲官が趣向を変えた茶器を取り出してよく冷やした淡黄色の花茶を注ぐ。

セイの好きなリカの菓子器を置くのも忘れない。


「あっ、これ!」


小さい声で嬉しそうに驚くセイに、カナタはちょっと笑った。


「南妃様がお見舞いに来られた折に持ってこられたのです」

「南妃様が」

「えぇ、西季になって霧が晴れたら南の離宮に招きたいとおっしゃっておられました。リカのほかに、立派な一枚布をいただきましたよ」

「んー、よくしていただけるのはありがたいけど、つくづく着道楽な方だなぁ」


小首を傾げて遠慮がちに苦笑する姿は、いつもと変わらない。

着飾るのが苦手なのも、同じ。


カナタは自分が考え違いをしているのだと言い聞かせた。

至高の存在たる王子に対し、渡異憑きを疑うことなど、断じてあってはならない。

数えて三つの時から大切にお守りし続けてきたはず。

この方は、まぎれもなく私のお仕えする王子なのだ。


「何でも、弟御が訪ねてくる折に合わせて招待したいそうですよ。王子より三、四つ年上だとかで」

「えっ、南妃様の弟御?」


行儀よく両手を膝に置いた格好で、顔だけきょとんと上に向く。

身をかがめながら、心からの慈愛を込めてカナタは双眸を細めた。


「はい。もしかしたら、王子の従士になるかもしれない御方です。西季が明けたらじき王子は獅従儀をお迎えになりますからね」


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