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千年王  作者: 奥山まゆこ
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S12 目覚め

これ、夢だよな?


老人に木椀を差し出され、目が覚めてから何十回も思ったことをまた思う。

中国風の白い服を着た老人はやたら尊大な顔で、木椀に入った黒っぽい液体を飲み干すよう命じてくる。


「これは季病みの類でございますよ。王子は意識を失われるほど体力が落ちていたのです。さぁ、はようお飲みなされ」


明らかに日本人とは思えない姿格好なのに、不思議と言葉が分かる。


「うっ苦い……」

「しっかり飲むのですよ、セイ」


碗を持つ手を支えられて、謎な液体を勢いで飲んでしまった。

草をすりつぶした匂いと、虫を噛むような土臭い苦みに胃が拒絶反応を起こす。

このエキスを飲むのは絶対に逆効果だろ。


「母様がついていますからね」

涙でぼやけた視界に、目覚めたときからずっとそばにいる女の人が映る。

泣きはらしたような赤い目元が、白い面差しに浮き上がって見えた。金のかんざしを刺した赤褐色の髪に、深緑の瞳という奇抜な取り合わせだけど、優しく口周りを布で拭う手つきは親身なものだ。むずがゆくなりそうな甘い匂いを嗅ぎながら、少女のような《母様》が、目をうるませながら微笑むのを眺める。

母親にしては若すぎる。そういえば自分の手も小さくてふにふにしている。なんだか十歳くらい若返ったような。


「か……鏡を」


声を絞り出すと、寝台の脇に控えていた銀髪の青年が、はっと顔を上げた。


「っ、ただいま持ってまいります」


青年は空色の瞳に涙をいっぱいに浮かべていた。

どれくらい寝ていたのか訊ねると、丸二日だと答えが返ってきた。


「本当に、本当にどうしようかと……」


思い出したように《母様》がすすり泣き始める。


「東妃様も少しお休みなされ。今度はご自身が倒れてしまう」

「はい……なんとお礼を言ってよいか……このご恩は本当に……」

「いやいや、東妃様の母心には及びませぬて」

「謝礼は必ず致しますゆえ……」


細い声で何度も礼を言いながら、召使いに抱えられるようにして華奢な身体がよろめき立つ。


静かになると、ゆっくりと思考が回り始め、もう一度そっと辺りを見回した。

天蓋からは淡雪色のたっぷりとした帳が垂れていて、今は左右に開いている。

視界がひらけているのは、寝ていた場所が一段高い板張りの上にあるからだ。

足下では、老人が忙しげに薬箱を片付ける脇で、召使が数人控えて、団扇の三倍はありそうな大きな羽根扇で風を送っていた。その向こうは白いすだれで仕切られ、不規則にからからと回る木製の風鈴が、軽快な音を立てている。

むわっとくる暑さといい、東南アジアのリゾートホテルみたいな雰囲気だ。


格子天井に、煌めくような蒼と銀色で描かれた《獅子文様》。

天井から垂れ下がった行燈のような《炉》。

目を動かす度に、薄っすらと既視感がよぎる。


ここはどこかと聞くと、季病のときに過ごす《鬼楼》だという答えだった。

病室、のようなところなのだろう。


立つ者の姿が映るほど磨かれた床に、大ぶりのラグが敷かれる。

これから食事を用意すると言われた通り、《雲官》が下働きの者を采配して湯気の立った器を運びはじめた。


あれは《膳器》だ。

膳の用意をする下働きは《膳番》・・・


おかしいな。まるで昔から知っていたみたいにするすると名前が浮かんでくる。


「王子、鏡をお持ちしましたよ」

「あ、あぁ……」

「大分顔色がよくなられましたね」


目を充血させながらも嬉しそうに言う《カナタ》に、ただ頷いて鏡を受け取った。

覗き込んで、くっと息を呑む。


淡い光を放つ白金の瞳。

同色の髪は肩までかかって、まるで女の子のようだ。

顔全体が生白くて、疲れた顔をしている。くたっとしたモヤシみたいな。


「っ、きんいろ、……」

「そうですよ、王子。その髪と瞳のお色こそ王の御子の証。雲上は離宮に生まれた御子にのみ与えられる、天来の印です」


力強く断言されて、針が喉に詰まったようになる。

カナタの物言いは王子以外など認めないと言わんばかりだ。


白湯を飲み、与えられるまま粥を口に入れてもぐもぐ口を動かした。

よく食べられますなぁと感心する嗄れた声に、はっとする。

老人の顔を伺うが、不審の色は浮かんでいない。


気を取り直して匙を握りなおしたものの、どうも落ち着かない。

味覚も、聴覚も、視覚も、五感の全てが生々しいのだ。


王子じゃなくて、ただの高校生なのに……と半笑いになりかけて、空中で匙が止まった。

そういえば、


自分の名前、何だっけ。


すとんと足元が抜け落ちていくような感覚に、身の毛がよだった。


父さんと母さんの名前、学校の友達、クラブ活動、通っていた塾、好きな先生、、真っ白になった頭で必死に思い浮かべながら、忍び込むような夕闇と、不気味な靄がかかった坂道の光景に思い至った。

金色のパンにかぶりついて、気を失って、それから、


次に目が覚めたときは、赤ん坊の姿だった。


箸を強く握りしめ、息を詰めて思い出すうちに、頭の芯が解けていく。

同時に、ここがどこなのかはっきりと分かった。

覚えのある場所のはずだ。

だってここで僕は育った。母様とカナタと、雲官たちに守られていた。雲の上の山の上の、離宮の一番深いところで……。


ばらばらで曖昧だった記憶がひとつに繋がっていく。

天山に生まれた第二王子、それが今の僕だ。


ざらついた粥を噛みしめると、ごくんと飲み込む。


生まれてからこのかた、ここで生きてきた記憶がある。

でも、ここでないところで生きてきたことも覚えている。


僕は日本からやって来たんだ。


熱いものが喉を通って、腹に溜まる。

粥をもうひと匙すくって、口に運んだ。

湯気で産毛が立って、また熱い汁を嚥下した。


自分の身体が、今はじめて自分のものになったみたいだ。


何かに耐えるように目をつむり、セイは全身のすみずみに、噴き出したばかりのあたたかい血が流れていくのを感じた。

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