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千年王  作者: 奥山まゆこ
22/50

R11 チダ

「ほう、雲官がいなくなった分、離宮費にも余裕ができたな」


暗舎ではなく文所で教え子と向かい合いながら、クレハはひとりごちる。

毎日、ラティが書き記している天帳を眺めれば、果宮の様子は手に取るように分かった。


「人が減って何よりだ。君の家人はやることがなくて暇そうだからな」

「へーぇ、そうかよ」

「君は雲官が貧だから盗みを働いたと言うが、私に言わせれば暇が悪心を招くのだ。楽で金ありというのが人の望みというが、暇であれば心が淀むというのも人のありようさ。ま、実際盗んだかどうかは分からずじまいだったがな」


ずけずけとクレハが続けるのを聞いて、ラティは面白くもなさそうに鼻白む。

結局、二人の雲官はそのまま放免した。その後を追うように、同じ南領出身で下働きをしていた番と半子が三人ほど辞めていった。

家主である北妃がいない今、家人の処遇はラティに任されている。誰も反対しなかったが、後には苦い思いだけが残った。


「……そんなに暇か?」

「そうだろうなー」


釈然としない様子でラティは隣に座っていたソンと目を合わせた。


「だって、学師以外に誰もこねぇし、お前の面倒はメイソンとフォートが見るだろ。あとは掃除と季替えと膳の支度くらいじゃねーか」


けらけら笑われてラティは変な顔になった。


「そんなものか」

「まぁ、心配すんな。減ってちょうどいいさ」


何が可笑しいのか、ソンは含み笑いのままだ。ラティにしてみれば、離宮に残っていた人数を養っていただけで、雲官の勤めのことなど気にしていなかった。家人の采配はすべてメイソン任せである。


「暇をさせたくないのなら前庭に畑でも作らせたらどうかね。東の王子は手ずからマス豆とタラ草を育ててマスタラ粥を作ったそうだ」


鳶色の目を冷やかし半分に細めてクレハが口を出す。


「畑?前庭??」

「マス豆とタラ草であわせて五百鱗の菜物といったところだな。粥にすれば七百鱗になる」

「うわー、東の王子も変な奴だなー」


ソンが笑いをにじませながらすっぱりと言う。北の王子ほどではないな、と言いたげにクレハは肩をすくめた。


「東の王子は大変優秀だと聞くよ。民の気持ちを知るために畑を始めたそうだ。君たちもたまには前庭に出て昼寝以外のことをするといい」


冗談なのか本気なのかそんなことを言われ、学事を終えたラティとソンは連れ立って久しぶりに前庭に向かった。


「クレハは変な天官だなぁ。雲官に畑を作らせろだなんて、他の学師は絶対に言い出さないだろ」

「あいつは金の話しか興味がねぇからな」


身も蓋もないことを言いながらも、ラティはクレハの言うことには耳を傾けていることが多い。

果門をすたすた出ていくのについて行きながら、ソンは頭の後ろで手を組んだ。


「おい、まさかとは思うが、お前も畑を作る気か」

「作らねーよ。……いいから付いて来いよ。面白いことを教えてやるからさ」


言い捨てて、ラティは回廊に備え付けられた三段ほどの果階を下りる。

照りつけるような南季の光を浴びて、前庭の泉の水面は眩しいほど輝いていた。

ソンを手招くようなそぶりをして、ラティは小橋に腰掛ける。何をする気なのかと見ていれば、両手でロウをたくしあげて、足元に広がる彗珠色の天泉に両足をちゃぽんと突っ込んだ。


「おいおい、いいのかよ、ラティ?」

「ほら、気持ちいいぞ。離宮の天泉は雲海と同じだからな。南季はただの水だ」

「うわっ!つめてぇっ!」

「だろ?」


にやっと笑うと、ラティは手早く上衣を脱ぎ捨て、じゃばんと思い切りよく水音を立てて泉に飛び込んだ。ソンも負けじと後に続く。


「すごいな!雲海で泳いでるってことになるのか」

「あぁ、涼しくていいだろ?」


ぱしゃっっとラティが水面から顔をのぞかせる。

はしゃぐソンに、ラティはいたずらっ子のようににやにや笑っている。


「人は死んだら天山に上って天泉に浮かぶそうだ。死人がいるから冷たいのかもな」

「うえぇ、寒気がするようなこと言うなっ」

「はははは、昼寝をしようにも、雲台は暑いしな」


ソンを脅しておいて、してやったりの顔でラティは大口を開けて笑い出した。

つられてソンも笑いながら、死人が浮かんだぞ!と叫んで思いきり水飛沫をラティに浴びせた。

すぐさま水の掛け合いが始まって、騒ぎ疲れるまでラティとソンは思う存分水の中で暴れた。

ここなら果門の外になるから家人もすぐには飛んで来ない。

ひとしきり応酬して気がすむと、ラティはすいすいと泳ぎ始めた。


「畑はやらんが、魚くらいなら飼ってもいい」

「南季の魚か。チダがいいんじゃないか?サハシにしても、炙ってもうまいぞ」

「よし、それにしよう」


口で大きく息を吸い込んで、ラティは泉に潜った。

雲海から引き込まれた水は、よく澄んでいて、泉の底の白砂のざらつきや水草の柔らかさまで感じ取れるように見える。きらきら光る月を捉えたくて、こぽこぽと息をこぼしながら水面を眺めると、すぐ近くでソンも同じように水面を眺めていた。水面に揺らめく光線に二人の吐き出した息が泡となって混じっていく。


「チダはどんな魚なんだ?」

「小さいぜ、こう、手を広げたくらいの大きさかな。それで南季の間しか生きられない。東季の終わりに卵から孵って、南季のうちに卵を産んで天寿を迎えるのさ」

「うん」


小橋に戻って腰掛けると、チダの話になった。ソンに片手をずいと差し出されて、相槌を打ちながらラティも自分の片手を出して眺める。

唇にふわっとあどけない笑みが浮かんでいた。魚を飼うのは初めてのことだ。


「卵を産んだら、来年も孵化するかもな」

「あぁ、そうだといいな」


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