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千年王  作者: 奥山まゆこ
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S11 病

季替えを終えて、衣は一枚布から紗布に変わった。帳子は簾子に掛け替えられて、引き戸や屋具も南季仕様になる。温暖な東季に慣れた身には、明月の激しい暑さがひどく堪えるのだった。


「しばらく《畑》は禁止です。ゆっくり休まなければなりませんよ」

「ん……」


セイは急に暑くなるこの月が苦手だ。

上体を起こし、煎じ薬を啜る。今日は粥も喉を通らず、果物をかじったきりだ。

毎年、明月になるとセイは体の調子を崩す。成長するに従って、少しはましになっているのだが、どうも腺病体質で南季入りが合わないらしい。カナタは大ぶりの羽根扇で風を送ってやりながら、青ざめた顔で苦い薬を飲み込んだセイを心配そうに見守った。


「東妃様と医官がすぐにお越しになりますからね」

「いいのに……どうせ、いつもの季病みだよ」


セイは憂鬱そうにつぶやいて横を向いた。だるくて起き上がることもやっとなのだ。こんなに弱った姿を、あの心配性な母様に見せるのは辛い。医官など煎じ薬くらいしか処方しないのに、びっくりするほど高額な診代を母様にせびるのだ。


「王子は早く大人になろうとお思いすぎです。季病みの時ぐらい、東妃様に甘えていいのですよ」


寝布をかぶったセイは、ううんとかぶりを振る。


「……僕は甘え過ぎているよ、カナタ」

「そんなはずがありますか、王子は病んでいても頑固ですねぇ」


すやすやと寝息を立てはじめたのを見届けて、カナタは微苦笑を浮かべた。

人当たりが柔らかなところは東妃によく似ているが、セイは昔からこうと思ったらなかなか意志を曲げない芯の強い王子だった。最近では畑をはじめたり、マスタラ粥をつくったりと、はっきりと意思を示すことも多くなった。

侍従としては戸惑いもあれば、その成長ぶりが嬉しくもあるのだが。


「季病みのないよう、お体も無事お育ちになりますように……」


-


カーン、カーン、カーン

坂道の下、遮断機の鐘が響いていた。

目をこらせば、遠くに赤色に光る信号機が見えた。

塾の鞄を肩にかけ直して、両手で目をこする。

何か白いもやもやしたものが坂道の向こうに見えていた。夕暮れに染まり、それは不気味な茜色になって揺れていた。


(幽霊?まさかな)


ばかばかしい、と口角を歪める。

霊なんかいるわけないのだ。小学生じゃあるまいし、オバケを怖がることなんかない。


ゆらぁ、ゆらあ、と白い影は手招きをするようにうねっている。

坂道を下り始めて、いやな汗が背を伝い始めた。

気持ちの悪い霧だ。そういえば妙にあたりが生暖かい。

(気にしすぎだ)


勉強しすぎで疲れてんだって!と、どやす声が聞こえてきそうだ。

そうだ、予備校続きで疲れてるだけだ。

もう一度塾のカバンを背負い直して、赤い遮断機を渡ろうとして、


ふと、さっきから一度も遮断機が上がっていないことに気がついた。

そういえば列車が通った音もしていない。


(バカな、そんなわけ、、)


カーン、カーン、、


粘りつくように鳴りつづける警戒音。

立ちすくんだまま、慣れたはずの帰り道が突如、得体の知れない場所のようになる。ぐるりと見渡せば、さびれた果物屋と白いマンションが白い靄の向こう、くの字に歪んで立っていた。

どさり、とカバンが肩から滑り落ちる。

だくだくと背中を汗が流れていく。そのくせ体じゅうが冷たかった。

(一体、何の冗談……)


オォォ、とぬるい風が吹き付けて、今度こそ何も見えなくなる。

体がねじ曲がっていくような奇妙な感覚にやがて意識が奪われた。同時に、猛烈な飢餓感が押し寄せてくる。きっと頭がどうにかなってしまったのだろう。パン食い競争のように吊り下げられたいくつものパンが見えて、訳もわからずに走り出していた。


腹が減って腹が減ってたまらない。

香ばしいバターを焦がしたにおいが、狂ったように食欲をかきたてる。ツヤツヤ輝く黄金色のパンが空中を揺れていた。咀嚼したうまみを想像して、思わずじゅわっと唾がこみ上げた。舌なめずりをすると、とたんに獲物を狙う肉食獣の気分になった。きっと犬畜生よりひどい鬼のような形相をして走っている。


(食いたい!あれを、食いたい!)


飛びかかるなり、黄金色の肉塊にかじりついてムシャムシャと頬張る。想像以上に口当たりは柔らかい。まるで砂糖菓子のように甘い代物に興奮しながら、だんだん眠気が襲ってきた。

そういえば予備校の帰り道だったのだ、と幸せな眠りに引きずり込まれながら思い出す。

構やしない。ここは繭のようにあたたかで、安全なところだ。朝までゆっくり寝ればいい。


そして、深い海の底に沈むようなまどろみがやってきた。


-


「けほっ、ケホッ、っ!!」

「王子!王子、目を覚まされましたか!」

「……っ?!」


突然割って入った男の声とともに、ぶわっと空気を吸い込んだ。

ぜっぜっと息を吐きながら、驚愕に目を見開く。

さっきまでのは夢か。

ここはどこだ。思わず後ろを振り返り、あたりを見渡す。

ベッドで寝ていたのか。動転したまま、落ち着け、落ち着け、と自分に言い続ける。

だめだ、全然落ち着かない。心臓が破裂しそうなくらいどくどくいってる。

やばい、なんで?

待て待て、高校二年生の夏休み、塾の夏期講習に通っていて……


「セイ!しっかりなさい!医官、医官!早く診てやってちょうだい!」


切り裂くような声に、今度こそ、意識がぐっと掴まれた。

女の人が真っ白な顔のなって大声で叫んでいる。

………?


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