S9 園遊会
……楽月、いかな富貴も及ばず、天に近し月……
この時分に各地で祝う東季祭で、楽士は高らかに楽月の素晴らしさを唄い上げる。
確かにどんな富貴であろうとこの景色には敵わないだろう、とセイは思った。座椅子からは、見事なばかりの雲海が見渡せる。
犀雨の降りおさめである散月が終わると、雲海は薄い青色に染まり、下界の景色は緑がかった青の中に沈んでゆく。
セイは、七歳を迎えていた。
東の離宮では、この年、獅従儀の前祝いを兼ねて園遊会を催すことになった。
いつもは着飾るのを嫌がるセイだが、今日は雲官たちの好きに任せた。幸い、北季の衣と違って、東季に身につけるのは一枚布でいい。
「王子、もしっ、動かないでくださいまし!」
じれて頭を動かそうとしたセイに、後ろ髪を編んでいた雲官が悲鳴をあげた。
鏡に向かって半刻ばかり。
我儘を言って、調所でなく蒼雲閣で身支度をしているからまだ退屈しのぎができたものの、さすがに半刻もじっとしていると雲海を眺めるのにも飽きてきた。
「まだかい?もう、フォルカ先生がいらしている頃だろう?」
いくぶん気ぜわしげな顔になるセイに、雲官は「まだいらしていませんよ」といなしながら髪を細かく編みこんでいく。それから首筋に残った髪を一纏めにして上げ、水珠を埋め込んだ銀の髪留めでぐっと挟んだ。横には編み込みが映えるよう、鈴のついた華やかな髪飾りを左右に刺す。
正面で鏡を捧げていた調番がほうとため息をつき、控えていた雲官からも惚れ惚れした感嘆がこぼれ出た。
「花見のはずだったのに、大仰になってしまったな」
「いいえ、今日はただの花見ではありませんよ。獅従儀を受けられる歳におなりになる特別なお祝いです。貴族というのは身だしなみにお人柄が現れるもの。スプーク宰相など、ご政務の前には二刻もかけてお支度なさるとか」
「……それはこだわりすぎじゃないかなぁ」
スプーク宰相といえば雲上一品。
並み居る官の筆頭に立ち、王に次ぐ最高権力者として模範を示すべき立場にあるはずだ。政務があるたびに着飾るなんて、聞いて呆れるような話だった。
セイは苦笑をこぼしてやっと立ち上がる。
雲官や母様が喜ぶからいいようなものを、セイは華美に飾られるのは好きではない。調所で時間を過ごすより、文所で綴子をめくっている方がよほど楽しかった。
「あぁ!いつもに増してお美しいお姿ですわ」
頭を振らないように静かに果門を出ていくと、南妃が甲高い声を上げる。
「鈴簪を贈って差し上げてよかったわ。なんてお似合いなの」
「南妃様、いつもお気遣いくださってありがとうございます」
飾り物が重くて立礼できないセイに代わって、迎えに出た東妃が礼を述べている。
今日は庭先に大きな露台をこしらえて、宴の席を設けていた。色鮮やかな傘鉾を立てて、上席からザハトにアッサン、ダルシャンにフォルカが腰を下ろしている。妃の席には傘鉾に薄い帳を垂らし、顔を遮るように工夫されていた。
高官と離宮に住む妃がこのようにして同じ宴を囲むのは、滅多にないことである。
「本当にご立派ですこと。東妃様によく似ておられますわ」
「まぁ、そう言っていただけるだけで嬉しいですわ」
「東の離宮で東季の月にお生まれになるなんて、よほどの天運をお持ちなのだわ」
そう言葉を交わしながら、南妃は自分の隣の席にセイを招いた。
「ザハト獅従、今日はお越し下さりありがとうございます」
左隣となったザハトに会釈して、セイはひとりずつ高官たちに礼を述べていく。
セイにとって、どの高官も尊敬すべき師であった。
「今年も見事に咲きましたね」
「えぇ、やはり楽月は東の離宮にかなう場所はないと思います」
向かいでダルシャンが天樹を見上げ、フォルカが相槌を打っているのが聞こえる。品は同格だが、年が一回り上のダルシャンに対し、フォルカは一歩譲って敬うように接している。それがちょうど親子か師弟のようで、セイは目を和ませた。
「あの子は、私の家領でなく、獅従領のことが気になるようですの。この間などザハト獅従に向かって、『獅従というのはどういう言われのある官職なのですか』、だなんて尋ねるのですよ。もう、何を言いだすか分かりやしませんわ」
南妃を挟んで右隣では、東妃が向かいのアッサンに話しかけていた。
困った顔をしながらも、息子の成長ぶりを喜んでいるのが言葉の端々に滲み出る。
アッサンも同じ気持ちだった。
「王子の着眼点は素晴らしいと思います。《獅従》というのは、獅子たる今生帝に従う者です。今生帝の住まわれる天宮と離宮を司る役職や、膝元である天山の麓を《獅従》と呼ぶのは、同じ意味が込められてございます」
「そうでしたの。私、難しいことは存じませんけれども、あの子の従士には獅従領の方がいいように思うのです。アッサン始相やフォルカ学官に、とても懐いておりますでしょう?」
そう言って東妃はアッサンを伺った。
兎にも角にも息子の才能を伸ばしてやりたい気持ちでいっぱいである。
しかしアッサンは残念そうな顔で首を振った。
「ディンブラ家の主格も傍系も、王子とは歳が近い者がおらぬのです。唯一、王子のひとつ年下に主格の末子がおりますが、生まれつき盲で王子にふさわしいとはとても……」
「まぁ、そうでしたの。北の王子の従士が主格から寄越されたと知って、歳が近い兄弟がいると思っておりましたのに」
「全く、残念です」
「困ったわ。どうしましょう」と呟いて、東妃は顔を曇らせた。
南妃とザハトの間に座って、楽しげに笑っているセイを見つめる。アッサンはそれを目で追っていて、ふと思い出した。
「そういえば、南妃様には年の離れたお小さい弟御がおられましたな」




