S7 どうして王子
「どうして?ねぇ、どうして獅従領には異門が四つもあるの?東領の異門はひとつきりでしょう?」
「えーと、それはですね、えーと」
目を泳がせるウヴァは助けを求めて侍従の姿を探した。
天渡月が明けてこのかた、東の王子の様子が少しおかしい。
以前は学事の時間以外はおとなしく雲官に世話を焼かれ、雲官同士のたわいのない話にただ耳を傾けているだけの王子だったのが、自分から話すことが多くなった。
王子から直接あれこれと話しかけられることがなかったため、この頃の東の離宮の雲官たちは日々浮き足立っている。
しかし、可愛らしい顔を傾けて、この王子は結構変な質問をする。
雲官の身の上話や暮らしぶり、生まれた領の話を、王子は好んで聞きたがるのだ。
そんなものを聞いて楽しいのだろうかとウヴァは思ってしまう。
「えぇっと、それは、そういうものなのです!異門は、天山がある方角です。四方領の場合、東領であれば東に、北領であれば北に天山を仰ぎますが、獅従領は天山の麓でございまして、天山を真中に仰ぎます。東西南北どこにでも天山を臨むので、四方すべてが異門になるというわけです」
「それじゃあ、西季のときはどうするの?異門を避けていたら、どこにも行けないじゃないか」
「はい、仰せとおりです。獅従領と四方領をつなぐ道は、西季になると閉ざされてしまいますので、領外に行くことはできません。ですが、それは西季だけのこと。天渡を過ぎれば、また道は四方に開きます。他領の者からすれば不便でしょうが、獅従領で暮らす者には特別困ることではありません」
焦りながらウヴァは返事をする。我ながら拙い説明をしてしまった。
侍従のカナタはどこへ行ってしまったのだろう。自分のような者が王子にものを教えるなどということがあってよいのだろうか。
ウヴァは眉根を下げて、肘掛椅子に座って書きものをしているセイを見上げた。
この間まで、側に座ると目線が同じ高さだった小さな王子は、この頃背が伸びて、見上げる高さに顔がある。
「あのぉ、獅従領のことでしたら、私などよりも学官様に聞かれた方がよろしいのではないですか?その、お立場もありましょうし」
セイはウヴァを見やって、少し不思議そうな顔になった。
「どうして?僕はウヴァに聞きたいんだよ。ウヴァは獅従領の出身だし、領のこともよく知っているじゃないか。フォルカ先生に聞くまでもないよ」
「わっ、私は登試を受けておらぬ、ただの平民上がりの雲官でございますよ」
「登試って、官登用試験のことかな?」
どこまでも質問攻めである。万時が万事この調子であるから、浮かれていた雲官も王子は少し変じゃないかと噂するようになってしまった。
「はい、登試を受けられるのは雲上舎か天門舎で学んだ二十歳以下の男子です」
「ふぅん、ウヴァは女のひとだったから、受けられなかったんだ」
ウヴァがきょとんとした顔になる。
女は登試を受けないが、そういうものだと思っていたから、受けたいとか受けられないとか思ったことなどなかった。
「ウヴァは頭がいいから、雲下官になったら才を発揮しただろうにね」
「は、はぁ」
にこっと笑うセイが、急に大人びて見える。
とんちんかんなことを言うのは不安だが、やはり素敵な王子だとウヴァは思う。
平民出身の雲官だと知っても、嫌な顔をせずに親しく話しかけてくれるし、取るに足らない話を素直に楽しんでいるのが伝わってくるのだ。
……私は雲官で幸せです。雲下官などにならなくてよかったですよ、王子。
そう伝えたいのをこらえて、ウヴァはただにっこりと笑みを返した。
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「王子、雲官たちに『どうして王子』とあだ名を付けられていますよ」
そうカナタにからかわれたが、セイは気にしなかった。
急に、周りが見えるようになった気がする。
そんな視野が開いた感覚が、自分のなかに芽生えていた。
今までいろんなことを教わったつもりだったけれど、違った。
ウヴァのことも、獅従領のことも、全然知らなかった。
どうして雲官は女性ばかりで、雲上官や雲下官は男性ばかりなのかも。
それは自分が知ろうとしなかっただけなのだ。
包みこむような母様と侍従の優しさに甘えて、目を閉じてきただけだったのだ。
雲官とひとしきり話したあとは、たくさんの綴子を納めた文所に行く。
分からなかった言葉や風俗の手がかりを探そうと、手当たり次第に綴子を開いた。
不思議なことに、知識が増えて考えることが多くなるほど《あっち》の記憶が鮮明に蘇った。まるで、自分の成長とともに、記憶が育っていっているようだ。
《あっち》では、小学校から中学校までが義務教育なんだ。
女の子も男の子も、貧乏な子もお金持ちの子も、皆同じように机を並べて勉強し、給食も食べた。
こっちじゃ考えられないことだけど、あれは恵まれた場かもしれないな。
《あっち》の政事はどうしていたのだっけ、官がいた気もするけれど。
あっ、こっちの政事をよく知らないから思い出せないのかも。
ひとつ気になることが分かると、またすぐに別のことが気になり始める。
セイは夢中になって官の制度について書かれた綴子をめくった。
なんだかわくわくする。
こうして知らないことを学んでいけば、
いつか自分がもうひとつの記憶を持って生まれた意味が、分かるのかもしれない。
幻月が過ぎて上る月が小さくなる頃には、セイは熱心に学事に励み、文所にこもることが多くなっていった。




