トマトいながらも……
「え?トマトにも砂糖をかけるの?」
くし形に切り分けたトマトの皿に、スプーンですくった砂糖を落とそうとしている恋人のミツキを、サエコはやや非難めいた口調で問い質した。
ひょろっとした長身の彼は、その体躯に見合わない子どもっぽい仕草で、
「……おかしいよなあ、やっぱり……」
と頭を掻く。
以前から不思議なクセだなと思っていた。
ミツキと同棲を始めたのは半年前。物静かでのんびり屋の彼は、自分のことをあまり語らない。食卓を共にし始めてもうずいぶんと経つのに、サエコはミツキの好き嫌いさえ知らなかった。
その中で唯一気づいた嗜好。それは、ミツキが異常に砂糖を使うことだった。最初はミルクや果物だったから気にならなかった。けれど最近では麦茶までを甘くする。
以前、ちらっと言い訳で聞いたのは、
「俺の祖母ちゃん、三重の人だったから」
ということだった。関東生まれ関東育ちのサエコには知る由もないが、あちらの人にはそういう習慣があるらしい。
でも、いい歳をした男が未だに祖母の味覚に合わせているというのも、なんだか奇妙だ。
ミツキと出会ったのは大学時代。ゼミで同席した彼に、かしましい級友たちとは違う魅力を感じたのが、きっかけだった。
交際を申し込んだのはサエコのほう。そのときのミツキは、驚いた顔をしながらも、
「あ、え……と……よろしくお願いします」
とはにかんだ。
両親が早逝していると伝えられたのは卒業式の日。
「俺とこれからも付き合ってくれるんなら、家族のことは先に言っておくべきだと思って」
そう告げたミツキの真意を思いやって、サエコは嬉しくて歓声を上げた。
結婚というゴールを、彼が考えてくれていることがわかったから。
きっとそう遠くない未来、ちゃんとした家族になるミツキとの同棲生活は、だから充実に彩られていた。寡黙な恋人の一挙手一投足が、サエコにとっては新鮮な体験だった。
砂糖を乗せたスプーンを所在なげにうろうろとさせている困り顔のミツキ。
その彼の手に、サエコはそっと自分の手を重ねた。
「トマトに砂糖をかけるのって、私にとってはおかしなことだけど、ミツキにとってはふつうのことなんでしょ? なら遠慮しないで」
そう言って、ゆっくりと、一緒にスプーンを傾ける。
白い粉がさらさらと、熟れた濃赤なトマトに落ちた。
瑞々しい果実は、恋人に対して覚えた違和感を、優しく柔らかく包み込んで、ゆっくりとゆるやかに融解していく。
「……俺のお祖母ちゃんね……」
伏し目がちにしたミツキの視線は、トマトではなく、どこか遠くを見ているようだった。
「……よくこう言ってたんだ。甘いものは心がほっとするから、ミッちゃんが寂しくなったときは慰めてもらうといいんだよ、って……」
「…………」
サエコは黙ってトマトの一片を口に入れた。
甘酸っぱくて、なんだか懐かしくって、そして……どうしてだか、胸が締めつけられるような痛みを感じた。
ミツキが以前の一人暮らしのアパートから持ってきたという、大きな透明の砂糖壺。いま、こじんまりした二人用のテーブルで場を取っているそれは、きっと父と母を亡くした少年の食卓にいつもあったものなんだろう。
唯一の肉親であった祖母を、ミツキは昨年に亡くしていた。天涯孤独になった彼は、もしかしたら、現実にはサエコと卓を囲みながらも、もっとたくさんの思い出と同座しているのかもしれない。
砂糖壺を目の高さに掲げながら、サエコは、透明な瓶の向こうに透けて見えるミツキの視線が、自分のほうを向いていることに気づいた。
「トマト……おいしかったよ」
なんとなく照れくさくなってごまかすと、
「うん。……ありがとう」
と幸せそうな表情が返ってきた。
「いまは寂しくない?」
と訊くと、
「おかげさまで」
と恋人は目を細めた。