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3/4

第3夜 双剣のトランザ

 1


 トランザは女冒険者である。

 それだけなら珍しくないのだが、トランザはソロである。

 女でソロの冒険者というのは、かなり珍しい。


 今日、このルゴスの街に着いたところだ。

 宿を取り、今はその宿の一階の酒場で食事をしている。


「おやじさん、この街には冒険者ギルドはあるのかい」


「ないな」


 トランザの質問に答えたのはカウンターの向こうにいる宿の亭主だ。

 身長は高くがっしりした体つきで、顔には切り傷が幾筋も残っている。

 兵士だったのか、それとも冒険者だったのか。


「じゃあ、冒険者への依頼なんかは、おやじさんが扱ってるのかい」


 よほど大きな街か、よほどめぼしい迷宮がある街には、冒険者ギルドがある。

 普通の街にはない。

 では臨時の護衛やモンスター退治を依頼したいときにはどうするか。

 冒険者が集まる場所、つまり宿の経営者が依頼の取次をするのだ。

 そうした宿は、冒険者の宿と呼ばれる。


「そうだな」


「何かいい仕事はないかい」


 宿の亭主はじろっとトランザを見た。

 女としてはやや大柄だ。

 まあ美人といっていい顔立ちをしている。

 マントの下の手足はすらっと伸びている。

 胸や腰は適度に張り出している。

 赤茶けた髪は短く切り詰められている。

 両肩の肉付きはよい。

 腕の太さは、この女がなかなかの筋力の持ち主だと示している。

 二十代半ばか三十そこそこの年だろう。

 歩く様子や目配りから、そこらのごろつきより一枚上手の腕を持っていることが推察される。

 流れ者の冒険者の腕や性格を見抜いて適当な依頼を振り当てるのが、冒険者の宿の亭主の仕事だ。

 その値踏みは厳しい。


「ないこともないな」


「おい、おやじぃ。

 そいつあ、ねえだろう」


 口を挟んだのは、後ろのテーブルで酒を飲んでいた二人連れの男の片割れだ。

 男はカウンターのほうに歩み寄ると、亭主に文句をつけた。


「さっき俺たちが訊いたときにゃあ、仕事はねえって、そう言ったじゃねえか。

 ああん?

 なめてんのか、おやじぃ」


 そこまで言ってから、男は首の向きを変えてトランザのほうを見た。


「おおっ?

 こりゃあ、べっぴんさんじゃあねえか。

 へへ。

 ねえちゃん。

 今夜の相手は決まってねえんだろう。

 どうだい、俺と」


 顔を近づけて話しかける男の息の匂いを嗅いで、トランザは眉をしかめた。

 臭い。

 酒臭いのはもちろんだが、それを除いても臭い。

 なんとも鼻持ちならない臭さだ。

 それはこの男の存在の臭さだといってよい。

 一瞬男の鼻面に拳をたたき込みたい気持ちになったが、我慢した。


「いや。

 間に合っている」


 もともとトランザは男のような口調なのだが、感情を害したときには一層そうなる。

 彼女を知っている者なら、この口調から、機嫌の悪さに見当がついただろう。


「へへっ。

 いや、まあ、そう言わねえでさ。

 悪いようにはしねえぜ」


 そう言いながら男は、トランザの隣に椅子を引いて、どさりと座った。


「ケツをあげろ」


 トランザはカウンターのほうを向いたまま、感情を殺した低い声で言った。


「えっ?

 何だって?」


 男がトランザの声を聞き取ろうと顔を寄せてきたのが、さらにトランザの怒りをあおった。


「あたしの帽子からその汚いケツをどけろ、と言っている」


 と言われて男も自分が座った椅子にトランザの帽子があったと気付いた。

 だが申し訳ないという気持ちより、トランザの言い方への怒りが(まさ)った。


「てめえっ。

 誰に向かって物を言ってる。

 なめるんじゃあねえぞ!」


 男は立ち上がって右手でトランザの胸ぐらをつかんだ。

 そしてぐいとトランザを引き寄せた。

 二人の顔が接近する。

 と、トランザは身をひねって右肘で男の左のこめかみを撃ち抜いた。

 男は気を失ってカウンターに倒れ込んだ。

 店の中はしんと静まりかえった。


「こ、このあまっ。

 なめたことしやがって!」


 男の連れが威嚇の声を放って腰からダガーを抜いた。

 そしてトランザに近づいて来ようとした。

 トランザはマントをはねのけ、両の手で、左右の腰に提げた剣をそれぞれつかんだ。

 それを見て、近づこうとした男の足が止まった。


「そ、双剣のトランザ……」


 どうやらトランザの悪名は、こんな街にまで届いていたようだった。






 2


「ここか」


 トランザは大きな店の前で足を止めた。

 冒険者の宿のあるじから指定されたのは、確かにこの店だ。

 店は閉鎖されていて、正面の入り口は閉じられている。

 だが脇の小さな出入り口が出入りできるようになっているという。

 近寄って小さな戸をたたこうとしたら、中から戸が開けられた。


「トランザ殿ですね」


 老境に入った男だ。

 だが引き締まったよい顔をしている。

 この男がエガートだろう。

 トランザは、そうだ、と答えた。


「こちらにお回りください。

 出発の準備はできております」


 男に案内されて店の裏手に回った。

 そこには荷馬車が一台と、一人の少女がいた。

 その少女を見て、トランザは胸を撃ち抜かれたように思った。


(な、なんて。

 なんて、かわいい!)


 年の頃は十三、四。

 旅に備えて男物の服に身を包み、長い髪は縛ってある。

 わら帽子をかぶってトランザを見上げているその顔。

 つぶらな瞳。

 すっきりした顎の輪郭。

 生まれたての赤子を思わせる、みずみずしい肌理(きめ)


 粗末な服ですっかり身を覆っているが、その下にしなやかな体が隠されていることは明らかだ。

 女としての肉付きが豊かになり始める直前の、少年のように無垢(むく)でなめらかな手や足が。

 この服を引きはがしてしまえば、そこにはさぞ美しく手触りのよい肌膚が現れるだろう。

 膨らみかけた乳房は、さぞ心地よい手触りだろう。

 その乳房には、スフラの実のように透き通った赤い乳首が付いていることだろう。


 しかも、何といえばいいのか。

 その顔から、体全体から漂ってくるものがある。

 夢見るような、匂い立つような。

 それは男を知る前の少女だけが放つことのできる、青い色香である。

 トランザは、目がくらくらとくらむのを感じた。

 思わず少女の小さな唇におのれのそれを重ねたい衝動に襲われた。

 だが鉄の自制心を発揮して、帽子を右手で脱いで少女の前に片膝を突いた。

 そしてかすかに頭を垂れて、


「ネスフィア様ですね。

 冒険者のトランザです。

 隣町まであなたの護衛につかせていただきます」


 と言った。

 およそトランザに似つかわしくない上品な言葉だ。

 だがトランザは、自分が今何をしゃべったかなど、ほとんど意識していない。

 意識しているのは、少女の体臭だ。

 そもそも依頼者に片膝を突いてあいさつをするような気障な習慣を、トランザは持っていない。

 こんなまねをしたのは、怪しまれずにできるだけ少女に近づくためだ。

 今トランザの鼻は少女の胸元にある。

 トランザは胸深く少女の香りを吸い込んだ。


 ああ!

 それは何という甘い香りか。

 南の国の果物のように鮮烈で豊かで蠱惑的だ。

 トランザは、匂い、というものでおのれとの相性を計る。

 この少女は自分と抜群の相性だ。

 トランザの頭は(よこしま)な欲望で一杯になった。

 そのときトランザは、冒険者の宿の亭主の言葉を思い出した。


「いいか、トランザ。

 依頼者は美しい少女だ。

 絶対に手を出すな。

 それがお前にこの仕事を回す条件だ」


 その言葉を頭の中で反芻(はんすう)して、トランザは渋い顔をした。

 〈双剣〉の名の由来が、両腰に提げた二本の剣だけではないことを、あの亭主は知っていたわけである。





 3


 夜明け直後のルゴスの街を出発した。

 目的地である隣街までは、朝早く出発すれば夜には着くほどの距離だという。


 ネスフィアの父親は商人だった。

 ルゴスの街でも中堅どころであったらしい。

 だが、三日前に突然死んでしまった。

 葬式の準備を始めたところ、衛視が踏み込んできた。

 死んだ父親に違法な取引の疑いがあるということで、店の品は差し押さえられ、店員たちは拘留された。

 エガートは二年前まで父親の側近だった男だ。

 何か事情があって店をやめ、ルゴスの街も離れていた。

 駆けつけたエガートは、ネスフィア一人をこのまま残してはおけないと、隣街に連れていくことにした。

 隣街には親戚があり、そこでならネスフィアは安心して暮らせるのだ。

 その親戚の力を借りて父親の遺体を下げ渡してもらい、一日も早く葬儀を行いたい、というのがネスフィアの願いである。

 そのための護衛の手配を、エガートは冒険者の宿の亭主に依頼した。

 たまたまその日のうちに、トランザが現れたというわけである。


 荷物は身の回りの物だけだというが、それなりの量がある。

 荷物を積んだ荷車にちょこんとネスフィアが座り、エガートは馬を御す。

 トランザは徒歩で先導することになった。


 知らない道なのだが、ほとんど一本道である。

 トランザは特に不安を感じることもなく歩いた。


 昼前に休憩を取った。

 トランザは二人に軽い食事を取っておくよう言い、自分も石と枯れ枝を集めて小鍋に水を沸かした。

 そこにザッポスの葉を入れ、煮た。

 非常な手際のよさである。


「あの、わたくし、疲れていません。

 わたくしの体調を気遣ってくださるのでしたら結構です。

 それより少しでも早く隣街に着きたいです」


 おずおずと話し掛けてきたネスフィアに、トランザは優しい笑顔を向けた。


「急ぐ気持ちは分かるけどね。

 こういうときほど休憩はきちんと取ったほうがいいのよ。

 移動するときは緊張してるけど、人間の緊張感というのはいつまでもは続かないからね。

 肝心のときに敵の接近に気付かないようなことになったら困るでしょ。

 それに無理して進んで行って、いざ夕方ごろ獣なり野盗などに襲われて、そのとき腹が減ってたり、足がくたくたに疲れていたんじゃ、逃げることも戦うこともできないわ」


 トランザが女言葉を使っているのは、相当に機嫌がよい証拠である。

 口調もすっかりこなれている。

 トランザは沸かした茶の半分をカップに移して香りを嗅いだ。

 すうっとする独特の芳香が鼻の奥をしっとりとなだめてくれる。

 いい香りだ。

 それから干し肉を出して鍋に入れ、少し柔らかくなったところで堅パンに乗せてかじった。

 干し肉に染みこんだ茶が堅パンを柔らかくしてくれて、なかなかおつな風味だ。


 ネスフィアはトランザの真向かいに座り、エガートの出した丸餅を食べ、水筒の水を飲んだ。

 淡いピンクの唇が小さく開いて丸餅をかじる姿が愛らしい。

 トランザは、腰の奥がきゅうと締まるのを感じた。

 この娘を押し倒してかわいがりたい。

 だが亭主との約束がある。

 それは破るわけにいかない。

 今のところは眺めるだけで我慢しておかなくてはならない。

 今のところは。


「うん。

 お腹が一杯になったら、なんだか元気が出てきました!」


 ネスフィアが向ける笑顔に、トランザも笑顔を返した。






 4


 午後にもう一度休憩を取った。

 今は谷底の一本道を進んでいる。

 もう三分の二ほど歩いているそうで、この休憩が終わったら一気に目的地を目指す。


「さっき通り過ぎたのは、ありゃあ迷宮だったんじゃないのかい」


「ええ、そうですよ。

 ああ、トランザ殿はご存じなかったですかね。

 ルゴスの街はもともとあそこにあったのです。

 迷宮の周りに集まった十世帯ばかりの小さな村だったそうです。

 ところが川が枯れてしまったために今の場所に移り、それから段々発展したのだそうです」


 エガートの説明を聞きながら、トランザはなるほど、と納得した。

 いかにも迷宮らしい洞窟の周りには、かつては集落があったらしき草むらがあった。

 今トランザたちが歩いている一本道が、枯れてしまった川なのだ。


「ふうん。

 迷宮かあ。

 もうずいぶん潜ったことがないねえ。

 ここの迷宮は深いのかい」


「いえ。

 確か八階層です。

 そう金目の物は出ないけれど、生活に便利な物が出たらしいですよ。

 それと肉と」


 ということは徘徊モンスターが植物系で、ボスモンスターが動物系だったのだ。

 浅い迷宮にはよくみられる組み合わせである。

 元手いらずの農場と牧場のようなものである。

 ただし戦って勝たなければならないが。


「人数制限は。

 何人だい?」


「さあ、よく知りません。

 六、七人だったかと思います」


 迷宮には各階層にボス部屋があって、ボスモンスターがいる。

 その部屋に一度に入れる人数には迷宮ごとに制限がある。

 それ以上の人数が入ろうとしても、はじかれてしまうのである。

 二人の会話を、ネスフィアは静かに聞いている。

 黙っている姿もまたいいねえ、とトランザは思った。





 5


 賊だ。

 三人。

 しかも馬に乗っている。

 遠くにいるうちに発見できたのは幸運だった。

 ここら辺りはろくに草も生えておらず、賊も姿を隠す場所がなかった。

 トランザはエガートに命じて、今来た道を戻らせた。


「お嬢様。

 しっかりとしがみついていてください」


 エガートはネスフィアにそう声を掛けると、馬を駆って走り出した。

 そのあとを追ってトランザが走る。

 荷物は荷車に積んであるし、いざというときには早駆けの一つもできなければ冒険者とはいえない。

 少し走ってトランザは賊の動きが妙に鈍いことに気付いた。


(おかしい)

(やつらの速度が遅い)

(本気で馬を走らせていないみたいだ)

(あたしたちが疲れ果てるのを待ってるのか)

(それとも)


 ひょっとしたら賊は二手に分かれていて、前方には別の一隊が、というより本隊が待ち受けているのではないのか、とトランザは推測した。

 ネスフィアを見た。

 揺れる荷車にひっしでしがみついているが、こんな状態をあまり長く続けるわけにはいかない。

 荷車も、長くはもたないだろう。

 だめだ。

 逃げるだけではだめだ。

 どこかにエガートとネスフィアを隠し、こちらから攻撃に転じる必要がある。

 だが、どこに。





 6


「こりゃ、迷宮だな。

 やつら、ここに入ったのか」


「へい。

 荷車と馬がこの通り迷宮の入り口の前に残ってますからね。

 間違いありやせん」


「ふうん。

 面倒な所に逃げ込みやがったな。

 皆殺しにして荷物はすべて奪えという命令だからな。

 身につけている荷物もだ。

 さてと。

 どうしたもんか。

 いつまでもは中に入ってられねえだろうから、ここで待つか」


「親分。

 迷宮の階層と階層のあいだの階段には、モンスターは入って来ないって聞きますぜ。

 やつら、階段で息を潜めてるんじゃ」


「何っ。

 そうなのか。

 ちくしょうめ。

 モンスターが入って来ない場所があるんじゃ、まずいな。

 明日になれば定期馬車も通る。

 くそっ。

 仕方ねえ。

 中に入るぞ。

 モートとジャンゴはここに残って見張ってろ。

 ほかの者は俺に続け」


 こうして四人が迷宮の中に入って行った。

 その様子を、草むらに隠れてトランザはうかがっていた。

 やはり敵は反対側からも来た。

 三人。

 そちらに親玉らしき男もいた。

 つまり賊は計六人である。

 一度に相手にするのは厳しいが、ありがたいことに敵は二手に分かれてくれた。


 トランザはじっくりと時を待った。

 残された二人は、迷宮の入り口ばかりを気にしている。

 いつトランザたち一行が出てくるかもしれないのだから、それは当然である。

 中に入った賊たちは、一階層と二階層のあいだにトランザたちがいないことを知れば、その下の階段に探しに行くだろう。

 その下の階段にいなければ、さらに下の階段を探すだろう。

 二階層から下の徘徊モンスターが何かは知らないが、下に降りれば降りるほど出現するモンスターは手ごわい。

 だから中に入った賊たちが出てくるには、かなりの時間がかかるはずだ。

 そう信じて、じっくり待った。


 やがて太陽が沈みかかるころ、トランザは動き始めた。

 じりじり、じりじりと、居残り組の二人に近づいていく。

 ついに真後ろの位置にまで近寄った。

 トランザは身を起こした。

 遠いほうの敵がこちらを向く。

 その心臓目がけ、右手に握った剣を投擲(とうてき)した。

 手前の敵が振り向いた。

 その喉首を、左手に持った剣でかき斬った。


 よし。

 ここまでは上出来だ。

 トランザはにやりと笑って、二人の賊の荷物を見た。

 うまいことに、弓と矢があった。






 7


 迷宮の中に入った賊たちが出てきたのは、もうすっかり日が落ちてからである。


「ちくしょう。

 どこに隠れやがった」


「親分。

 やっぱりやつら、ボス部屋に隠れてるんじゃねえですか」


「くそっ。

 やっぱりそうか。

 ボスモンスターが次々に湧いてくるような場所に、じじいと小娘を連れていつまでもいられるもんじゃねえと思ったが。

 ちくしょうめ。

 もう一度降りて、ボス部屋をしらみつぶしにするしかねえか。

 ……ん?

 モートとジャンゴの野郎、どこに行きやがった。

 あ、あんな所で寝てやがる。

 まさかやつらを見逃したんじゃあるめえな。

 おい!

 モート!

 ジャンゴ!」


 少し離れた斜面で、ぐったりと倒れ伏している手下に、親玉が近づいていく。

 ほかの手下もそのあとをついていく。

 その様子は月明かりではっきりと見えた。

 トランザは、入り口の上の岩棚で弓を引き絞った。

 立て続けに矢を放つ。


「ぐえっ」


「ぎゃっ」


「いてえっ」


 二人の敵に相当の深手を負わせ、一人の敵には軽い手傷を負わせた。

 四本目の矢を親玉に放ったが、親玉は倒れた子分を盾にした。

 矢は盾にされた子分の背中に突き立った。

 これで矢は品切れである。

 トランザは斜面を駆け下りた。


「て、てめえっ!!」


「ぶっ殺してやるっ」


 親玉と手傷をおった賊の二人は、それぞれ剣を抜いてトランザを迎え撃った。

 トランザは手前の賊に走り寄り、右手に順手に剣を構えた。

 賊が剣を振り下ろしてくるのをひらりとかわし、その心臓に剣を突き立てた。

 賊は大きく目を見開いてけいれんを始める。

 トランザは右足を持ち上げて賊を蹴り飛ばし、その反動で剣を抜いた。


 親玉が近づいて来る。

 大柄な男である。

 剣も長くて太い。

 歩く姿に隙がない。

 なかなかの手練れのようだ。

 トランザは右手に持った剣を逆手に持ち替えた。

 そして左手で、左腰につった剣を抜いた。

 やはり逆手の構えになる。

 いったん身を沈めると一気に飛び出した。


 剣には間合いというものがある。

 一番単純にいえば、腕の長さと剣の長さを足したものだ。

 相手を自分の間合いに呼び込まなければ攻撃を当てることはできない。

 親玉の剣は長く、トランザの剣は短い。

 むやみに突っ込んだのでは、トランザは一方的に攻撃されるばかりである。

 しかも親玉が剣を構えたその威圧感と安定感は相当のものである。


(こいつ、騎士くずれか?)


 だが、それはむしろ好都合だ。

 正統派の剣筋を持つ敵のほうが相手をしやすい。

 トランザは勢いを弱めるどころか、加速しながら突進した。

 そのトランザの左肩めがけて親玉の剣が振り下ろされる。

 素晴らしい速度だ。

 威力も相当のものだろう。

 トランザは左手の剣でそれを受けた。

 というより左手全体で受けた。

 トランザの両手には厚く頑丈な革鎧が着けてある。

 しかもその下には鎖かたびらを仕込んである。

 二の腕が裸同然だから防御力は低いような印象を与えがちだが、この部分には手厚い防御を施してあるのだ。


 そして親玉の剣を受けきった瞬間、トランザの体は相手の懐に飛び込んでいた。

 間合いの長い武器では自分の懐に入った敵は攻撃しにくい。

 それに対してトランザは双剣を逆手に持っている。

 体と体が接するほどの距離こそ、トランザの間合いなのである。

 トランザは右の剣を敵の首元に押し当て、肘を振り回したその勢いでかき斬った。

 そしてするりと身をかわして、噴き出す血から逃れ、相手の体が地に倒れ伏すのを見守った。






 8


 危機を脱すると、急に体が重くなった。

 荷車の所に行き、水筒を取ると、入れてあった茶をごくごくと飲んだ。

 そして荷車に背を預けてへたりこんだ。

 しばらくそうして元気を取り戻すと、生き残った賊を尋問した。

 それから迷宮に入った。


 ここにたどり着いたとき、三人はまっしぐらに一階のボス部屋に飛び込んだ。

 途中の徘徊モンスターはなで切りにしながら進んだ。

 エガートとネスフィアが部屋に入るのを確認してから、トランザはボスを倒した。

 一階層のボスなど相手にもならない。

 それから二人をボス部屋に残したまま、素早く迷宮を脱出し、草むらに身を隠したのである。


 ボス部屋のボスと交戦中であっても、倒してしまう前ならば、ボス部屋に新たに人が入ることはできる。

 制限人数以内ならば。

 では、ボスを倒してしまったあとは、どうか。

 ボスを倒してしまったあとは、たとえ制限人数に達していなくても、新たに人が入ることはできない。

 中にいる人間が出てくることはできるが、いったん出ればもう中には入れない。

 いったんボスを倒してしまうと、最後の一人が外に出るまでは、誰も中に入れないのである。

 そしてまた、最後の一人が外にでるまでは、新たなボスはリポップしない。

 だからトランザは安心して二人をボス部屋に残すことができたのである。


 八テールたったらボス部屋から出るように、ネスフィアには言った。

 ネスフィアは時計を持っているが、トランザは持っていない。

 まだ時間はあると思うが、早めに入り口の前に迎えに行こう、とトランザは思った。

 ボス部屋から出てトランザを見つけて見せるだろう笑顔を思うと口元がゆるんだ。


 やがて二人はボス部屋を出て来た。

 やはりネスフィアはトランザの姿を見て笑顔を見せた。

 トランザは背筋がぞくぞくするような喜びを感じた。

 迷宮を出た三人は、月明かりの中、少しだけ道を進んだ。

 六人もの死体がある場所ではくつろげなかったし、死体を狙って出るだろう獣たちと鉢合わせするのも願い下げだったからである。

 少し進むと枯れ木やわずかな草地がある場所があった。

 そこで休憩を取った。

 焚き火に照らされるネスフィアもすてきだった。


 トランザは決心していた。

 ネスフィアを襲う。

 隣街に着き、依頼料を受け取ってしまえば、依頼は終わる。

 そのあとの行動には何の制限もないはずだ。

 ネスフィアが身を寄せるという家に、一晩の宿を頼もう。

 まさか嫌とはいわれないだろう。

 そして夜、ネスフィアの寝所に忍んで行く。

 少しでも好意を感じてくれているなら、大声は上げないだろう。

 あれこれとその瞬間のことを想像しながら、幸せな気分でトランザは眠った。






 9


 夜が明けてから三人は出発した。

 隣街に着いたとき、ちょうど門が開いたところだった。

 そのまま三人は目抜き通りをまっすぐに進み、ひどく大きな商家の前に立った。


(親戚ってのは、これか)

(ずいぶん羽振りのよさそうな家じゃないかい)


 エガートが店の使用人に声を掛けると、しばらくして若い男が店の外に飛びだしてきた。


(やだっ)

(なんて、なんていい男)


 トランザは胸がきゅんとするのを押さえられなかった。

 それほど見目よく、りりしい若者だったのだ。

 彼女は、男でも女でもいける口なのである。


「クレベル様!」


 声を上げたのはネスフィアである。

 ネスフィアはまっすぐに若者の胸に飛び込んだ。


「ネスフィア。

 ネスフィア。

 ああ、なんてことだ。

 こんな時間に着くなんて、夜の谷を通ってきたのかい。

 なんて無茶を。

 お父さんのことは昨夜聞いた。

 これからルゴスの街に向かうところだったんだよ」


「だって。

 だって。

 クレベル様に会いたくて会いたくてたまらなかったんですもの」


 固く抱き合う若い恋人たちを、エガートはにこにこと、トランザは呆然と見つめた。






 10


 次の街に向かう山道を、トランザは歩いている。

 結局ネスフィアの親戚とやらの店には泊めてもらわなかった。

 依頼料に加え、事情をきいたクレベルから高額の礼金を受け取ったため、懐は温かい。

 懐は温かいのだが、何かしら胸をすうすうと吹き抜けるものがある。

 次の街ではちょっと豪遊しようかと思う。


 野盗が死ぬ前にしゃべったところによると、今回の襲撃は、なんとルゴスの街の衛視長からの依頼だという。

 街の治安を守るべき衛視長が野盗とつながりがあったばかりか、住民の襲撃を依頼したというのだから、これは驚くべき話だ。

 いったいどういうことなのか、トランザは想像してみる。

 ネスフィアの父親の死因は、本当は何だったのか。

 父親が違法な商品を扱ったというのは、本当だったのか。

 事実は逆ではなかったのか。

 違法な商品を扱った商人がいて、ネスフィアの父親はその証拠をつかんだ。

 その商人は衛視長とつながりがあった。

 それでネスフィアの父親は殺され、ぬれぎぬを着せられたのではないか。

 だがその証拠の品は、店からは見つからなかった。

 どこにあるのか。

 ネスフィアの私物の中ではないのか。

 衛視長はそう考えた。

 それでネスフィアを襲わせた。

 そうでなければ、身につけた物も含めて荷物をすべて回収してこいという衛視長の指示が意味をなさない。

 そんなところが事実なのではないかと、トランザは推測した。


 だが、まあ。

 あとのことはあのクレベルとかいう若者がいいようにするだろう。

 クレベルはあの大きな店の若主人であるという。

 目端の利く若者のようにみえた。

 野盗から聞き出したことは、エガートに伝えてあるから、当然クレベルにも伝わるだろう。

 取り戻せるものであるなら、ネスフィアの父親の名誉も財産も、クレベルが取り戻すだろう。

 そこにはトランザの役目はない。


 道の脇にスフラの木があった。

 赤い実を一つつまんで口に入れた。

 新鮮な水気が口の中を浸した。

 ほんのりとした甘みと、強烈な酸味が舌の上に広がった。





(了)

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― 新着の感想 ―
 トランザは決心していた。  ネスフィアを襲う。 草不可避なのです。ビショップ先生はこんな性癖の持ち主も書けるんですね。
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