第1夜 エドラ迷宮の竜
1
「うそ……だろう?」
ぽかんとした表情でギルド長に言い返したのは、冒険者のゲインである。
若いが腕も立つし腹も据わっており、めったなことで驚く男ではないのだが。
「嘘じゃあない。
一千万ハルギラ。
それがこのクエストの報酬だ。
条件は、今日から七日間以内に、エドラ迷宮最下層の竜の体のある部分を依頼者に届けること。
無傷な状態でだ。
それ以外のパーツは、お前が取っていい。
どうだ。
受けるか」
一千万ハルギラ。
それは何人もの人間が一生遊んで暮らせるような金額だ。
そのうえ、竜の死体から採れるそれなりに高価な素材まで、こちらの物にしていいのだという。
依頼者の自宅はこの街の中心部にある。
エドラ迷宮はこの街のはずれにある。
つまり移動時間はあまり必要ではない。
そして期限は七日。
厳しい日程だが、ゲインにとってはじゅうぶんだ。
これだけ高額な報酬が得られるのなら、たっぷりと魔法水を使うことができるのだから。
一も二もなく、ゲインは依頼を受けた。
2
迷宮。
それは大神ポルスが英雄王クレストラの請願に応えて人間に与えたものだという。
ここアルセス大陸の至る所に迷宮はある。
迷宮は不思議な場所だ。
多数の階層から成り、階層ごとに出現するモンスターが決まっている。
そのモンスターは繁殖行為によって生まれるのではなく、湧き出てくるのだ。
各階層には回廊とボス部屋がある。
出現するモンスターは、下の階層に行くほど手ごわい。
モンスターたちの皮や骨は有用な素材であり、また肉は医薬品の原料となる。
大陸に住む人々の生活の少なからぬ部分が、迷宮によって支えられている。
迷宮にはいろいろと不可思議な法則がある。
この地に住む者たちはそれを当たり前のことと受け止めていた。
他大陸との交流が始まり、迷宮の不思議さが再認識されるようになったのは、ごく最近のことである。
エドラ迷宮の最下層は五十階層である。
竜とはこの五十階層のボスモンスターなのだが、正確には亜竜である。
火も吹かないし、空も飛ばないし、魔法も使わない。
それでも、人の倍ほどの身長と強靱な体軀を持っている。
強力な四肢と凶悪な牙と油断ならない尻尾は、人間には相当の脅威だ。
相手取ることは、練達の戦士にしかできない。
そしてこのエドラ迷宮には非常に厄介な制限があり、五十階層まで降りて竜を倒そうとする者は少ない。
ゲインは準備に丸一日をかけた。
装備の手入れをし、ある物は買い換え、消耗品を補充し、そして体調をじゅうぶんに調えたのだ。
二日目の朝、エドラ迷宮に向かった。
十階層までを一気に駆け下りた。
辺りをうかがい敵がいないのを確かめ、赤い魔法水をあおると、効果が出るまで待った。
そして十一階層とのあいだの階段に入り、腰を下ろして休んだ。
階段ではモンスターに襲われる心配がない。
ただし階段では魔法水は効果がない。
それが迷宮の法則なのだ。
十階層までのモンスターなど、ゲインの敵ではない。
とはいえ、相手がまばらであろうが密集していようが委細構わず突き抜けるのだから、それなりに傷も受けるし疲れもする。
その損傷や疲弊を高価な魔法水で癒し、強引に進んでいくのである。
赤い魔法水は、傷を癒やし体力を回復する。
青い魔法水は、体内の魔力を回復する。
黄の魔法水は、精神の抵抗力を高める。
紫の魔法水は、解毒効果がある。
その他さまざまな魔法水がある。
こうした魔法水は、地上で普通に飲んでも大した効果は得られない。
目の玉が飛び出るほどの値段なのだから、地上で使う者は少ない。
だが迷宮の各階層は魔力にあふれており、魔法水は劇的な効果を現す。
ただし、ボスのいる部屋では、魔法水はほとんど効果がない。
ボスが部屋の魔力を吸収してしまうからである。
つまりボスと戦うときには魔法水が使えない。
特に竜は大量に魔力を吸うので、竜と戦うときには魔法水は意味がない。
そのうえ、竜には魔法攻撃が効かない。
だから竜を狩るときには人数ぎりぎりの物理攻撃職をそろえるのが常道である。
問題は人数制限だ。
どこの迷宮でも、各階層のボス部屋に一度に入れる人数は決まっている。
その人数は迷宮によって違う。
同じ迷宮であれば、どの階層でもその人数は一定している。
最大数以上の人間がボス部屋に入ろうとしてもはじかれてしまう。
大人数であるほどボスは狩りやすい。
ところがこのエドラ迷宮は、その最大数が一人なのだ。
無茶苦茶である。
ボス部屋に入れるのは一人だけなのである。
だからこの迷宮は人気がない。
下層のほうなど、がらがらといってよい。
ここの最下層のボスにソロで勝てる物理職なら、もっといい稼ぎ場がある。
最下層にまで降りて上がってくる日数も馬鹿にはならない。
だがゲイルはこの迷宮が気に入っている。
他人を気にせず攻略できるからだ。
階層と階層のあいだの階段にはモンスターが出ない。
冒険者たちは、食事や休憩を階段でとる。
人気のある迷宮では、階段は人でひしめきあっている。
この迷宮ではそんなことはない。
誰にも邪魔されないその静かな時間が、ゲインは好きだった。
今までにすでに八回、最下層の竜を倒している。
だからこのクエストをゲインに振ったギルド長の判断は、しごくまっとうなもので、怪しむべき点はない。
3
十一階層からは少し速度をゆるめた。
それでも早足での移動である。
なにしろ二日で五十階層にまで到達する予定なのだ。
岩蜘蛛。
人食いヅタ。
両頭犬。
出合うモンスターをなでぎりにしながら下に降りる。
他の冒険者たちとも出合った。
戦闘中であることも多い。
非礼は承知で、ごめんよと声を掛け、モンスターを斬り倒しながら進む。
戦闘の邪魔でもあり横取りでもあるのだが、モンスターの死骸は残していくのだから、ある意味手伝いでもある。
小刻みに魔法水を飲み、休憩を取った。
4
三十六階層と三十七階層のあいだの階段で、ゲインは一日目の睡眠を取ることにした。
この階段は段の幅が広く、身を横たえて寝るのにぴったりなのだ。
背嚢から弁当の包みと水筒を出した。
今夜の弁当は、パンで豚肉の塩漬けとトランタの葉をはさんだものだ。
目抜き通りの一流店で買ったもので、ゲインの最近のお気に入りである。
いい香りだ。
トランタの葉のすうっとする香りが気を静めてくれる。
肉の油とソースの匂いが鼻の奥を刺激し食欲をかき立てる。
ぱくり、とかじりついた。
しっとりした肉汁とソースの複雑な味が口の中で舞い踊る。
ああ!
この瞬間の幸せこそ、ゲインが求めるものである。
肉には香辛料と二種類のソースが掛けてある。
茶色と白色のソースだ。
白色のソースはすべすべしていて、すうっと染みてくる味だ。
茶色のソースはこくと深い甘みと少しの苦みがあり、じんわりと染みてくる味だ。
二種類のソースと肉の脂がほどよくパンになじんでおり、かみしめるほどに色合いの違ううまみが染みだしてくる。
水筒の中身をぐいとあおる。
エールである。
ひんやりとしている。
喉の奥でかすかに泡立つ。
口の中に残ったパンとトランタの葉が、エールに押し流されて喉の奥に消える。
喉に残る余韻をしばらく味わった。
ゲインは、自分が変わり者だと思われていることを知っていた。
冒険者などになる人間は一攫千金を狙うものだ。
大金を得ては派手に使い、そしてまた危険なクエストに身を投じるのだ。
だがゲインは武具以外に大金を使うことがない。
酒も女もほどほどにしか興味を示さない。
お前は何がおもしろくて生きているんだ、と正面切って訊かれたこともある。
そんな質問をしてくる者たちはこの幸せを知らないのだろうな、とゲインは思う。
迷宮という魔力にあふれた場所。
その魔力により底上げされた体力で、技で、モンスターを狩り回廊を駆け抜け。
くたくたに疲れた体に流し込む一杯のエール。
一切れの肉はさみパン。
そのうまさを知らないのだ。
それは街の高級料理店では絶対に味わえないうまさなのだ。
存分にパンとエールを味わって、ゲインは眠りについた。
5
「あら、ゲインじゃない。
相変わらず一人なのね」
ここは四十二階層である。
こんな所でこの女に会うとは。
スラサは女ながら一流の剣士だ。
右後ろにはラナ神殿の神官戦士アグ。
左後ろにはヤーマ神殿の施療神官ウー。
この三人はもう長いことチームを組んでいる。
だがこの迷宮ではほとんど見かけたことがない。
それがどうしてこんな深い階層にいるのか。
「こんな所で会うとは偶然ねえ。
そうそう。
いいこと教えてあげるわ。
ヤンガガが、あんたに目を付けてるみたいよ。
なにしろ、あのごうつくばりのアンジャシュア男爵が目の玉が飛び出るような大金を出しての依頼だもんね。
おこぼれに預かろうっていう人間が出てきても無理はないわよね」
妙に蠱惑的な目つきをしながら、スラサが言った。
ゲインはむっつりとした表情を崩さなかったが、心の中では渋い顔をしていた。
情報が漏れている。
ギルド長はわざわざ人払いをしてゲインに依頼したが、無駄だったようだ。
このクエストにゲインを選んだのは、ゲインが〈エドラ迷宮の竜狩り〉として名をはせているほか、ソロで人付き合いが悪いという理由があったはずだ。
つまり情報が漏れにくいからだ。
情報が漏れれば、邪魔や横取りを考える者も現れないとはいえない。
「これも何かの縁ね。
サービスしてあげるわ。
アグ」
神官戦士のアグが、ラナ神に祈りを捧げ、移動速度付加と攻撃力付加の支援呪文をゲインに掛けた。
これは助かる。
ゲインは礼を言って先を急いだ。
支援呪文が有効なうちに距離を稼ぐために。
その背後でスラサが言った。
「今五十階層に出てる竜。
ユニークなんじゃないかって噂だわ」
6
モンスターたちをやり過ごし、時に切り伏せながら、ゲインはスラサの言葉を思い出していた。
”ユニークなんじゃないかって噂だわ”
そうかもしれない。
各階層のボス部屋のボスは、倒せば同じ種類がリポップする。
だがその一匹一匹には微妙に個性というものがある。
妙に力の強いボス。
妙に素早いボス。
とはいえそれは微妙な誤差の範囲内であって、同じ場所に湧くボスはほぼ同じ強さであり、同じ能力だ。
だがまれにユニークと呼ばれる個体が発生する。
通常の個体と比べ、姿形や能力に何か突出した特徴が現れるのだ。
有名なところでは、マシガリ迷宮の黄金竜や、ガニシ洞窟の不死猿などがある。
黄金竜は色からして特殊であり、その攻撃力は異常なほど高かった。
実に大きな犠牲を出して討伐されたが、本当の争いは、その心臓の特性が知られたとき始まった。
この心臓を一かけら口にすれば、どんな難病も大けがも完治したのである。
失われた目や手足も元に戻ったというのだから、その効果はすさまじい。
たちまちこれをめぐって凄惨な奪い合いが起きた。
不死猿はどんなに深い傷を付けても一瞬で治してしまう怪物だった。
苦労して倒したところ、その肉を食うと若返りの効果があることが分かった。
討伐隊の生き残りは全員大金を得た。
黄金竜や不死猿ほどではないにせよ、たまに見つかるユニークには、それなりの手強さがあり、そして何らかの特別な価値があった。
なるほど、ユニーク個体だとすれば、一週間という厳しい期限が設けられていることもうなずける。
先に誰かに狩られてしまえば、次に湧く個体を倒しても何の益もないからである。
だがゲインは、今回の対象がユニークだとは思わなかった。
ギルド長から何も言われなかったからだ。
ユニークだとすれば、通常の個体とは強さが違う。
通常の個体だと思ってかかれば、討伐は失敗し冒険者は死んでしまう。
せっかく依頼をしておきながら、その依頼の達成が困難になるようなことはしないだろう。
報酬があまりに高額であるのは気になる。
しかも依頼主が、よりによってアンジャシュア男爵である。
カント男爵アンジャシュア・ベルハルム。
いや、男爵ではなく、前男爵か。
爵位と家督を長男に譲って引退したと聞く。
名うての守銭奴である。
容赦ないやり口で資産を増やし、巨万の富を築いた。
その男が大金を出すというのだから、それに見合う何かがあるのだ。
それは、何か。
7
二日目の夜は、四十九階層と五十階層のあいだの階段で眠った。
起きてから、軽い食事を取り、カールス茶を飲んだ。
ゆっくりと飲んだ。
じゅうぶんに腹がこなれてから、体を動かし運動をした。
そして、五十階層に出た。
途中、二度モンスターと遭遇し、戦って倒した。
ボス部屋の前まで進み、辺りを見回した。
安全を確認してから、赤い魔法水を取り出し、ぐいとあおった。
この中にいるものは、いつも通りの亜竜であるはずだ。
だが違うかもしれない。
ゲインは右手に握る剣の感触を確かめた。
いける。
体調は万全だ。
意を決して中に入った。
竜は、いた。
見たところ、いつもの通りだ。
何の変わったところもない。
ユニークではないだろう。
そうだとは思っていたが、確認してほっとした。
この竜は、体中に傷を負っている。
竜の回復力をもってしても完全に治っていないのだから、相当に手強い敵と戦ったのだろう。
竜にこの傷を負わせた者がいた。
その者は、この部屋で死んだ。
死んで竜に食われるか、迷宮に吸われた。
生きて逃げ帰ったということはない。
なぜなら、迷宮のボス部屋は、一度誰かが中に入ったならば、ボスモンスターが死ぬか、侵入者全員が死ぬまで、外に出ることも次の誰かが入ることもできないからだ。
竜と戦ってよい勝負をし、この竜を追い詰め、傷を負わせたけれど、ついに敗れた誰かがいた。
その誰かが付けた傷はゲインを有利にしてくれる。
しかも今回、ゲインは依頼達成のために、肉も皮も捨てて掛かるつもりだ。
つまり皮はずたずたに切り裂いても構わない。
肉は毒を使って構わない。
傷の少ない皮や毒を与えていない肉なら高く売れるのだ。
その利益を捨ててでも、確実に依頼を果たすつもりだった。
ゲインは剣を振り上げ、うなり声を上げて襲い来る竜に向かって走り寄った。
8
半日後。
へとへとになったゲインがボス部屋から出てきた。
入り口の前にへたり込む。
きつい戦いだった。
ユニークではなかったろうが、格別に強い個体だった。
あわや、という場面も何度もあった。
それでもこれほど時間がかかったのは、ほとんどは死体の解体のためである。
牙や骨は高く売れるし、毒も使い体中ずたずたにしたといっても、肉も皮もやはりそれなりの高額で売れる。
戦いのあとの疲れた体にむち打って、その作業をしていたのだ。
いったん部屋から出て魔法水を飲めばよいようなものだが、それをやるともう一度部屋に入ったときには、もう倒した竜の死体はなくなっていて、少し時間がたてば新しい個体がリポップするばかりなのだ。
どうしても死体の解体は、倒したその場でやらなくてはならない。
それに時間がかかったのだ。
といっても、たった一人なのだから、持っていける量は限られる。
その限られた量の中で、よい部位を選定し、荷造りして背に負った。
ずっしりと重い荷物だが、大金になると分かっているのだから足腰に力も湧いてくるというものだ。
中身の少なくなった背嚢は体の前に回した。
辺りを見回して、安全を確かめた。
近くにモンスターの気配がないことを確認してから、壁にもたれかかり、剣を壁に立て掛けた。
そして背嚢に手を突っ込み、赤い魔法水を取り出した。
それを飲もうとしたとき。
誰かが襲い掛かってきた。
ゲインは魔法水を投げ捨て、剣をつかんでその攻撃を受け止めた。
激しい金属音が鳴り響いた。
ゲインに打ち掛かってきたのは、大剣使いだった。
「へえー。
疲れ切っているところに、完全な不意打ちだったはずだがよ。
さすがは〈一閃〉のゲイン。
やるねえ」
ヤンガガだ。
腕のよい冒険者なのだが、黒い噂も多い。
だが、どうやって。
そうか。
隠蔽アイテムか。
姿と気配を包み隠してしまうアイテムを使っていたのだろう。
だが、いったいいつから。
ゲインがいつボス部屋を出てくるかは分からないはずだ。
いったいどれほどの時間、ゲインを待っていたのか。
危ないところだった。
だがこうやって一対一で戦うなら、疲れているとはいえ勝てない相手ではない。
ゲインはぎりぎりとヤンガガを押し返していった。
そのとき、近くで魔法の呪文を唱える声が聞こえた。
そして壁からもう一人の男が現れ、ゲインに向けて魔法を放った。
とたんにゲインの体は痺れた。
身体麻痺の魔法を受けてしまったのだ。
ゲインはぐらりと揺れ、そのまま地に倒れた。
ヤンガガは、ゲインの腹を蹴った。
「へっ。
こうなっちゃ〈一閃〉もかたなしだな。
おい、ゲイン。
ちゃんと聞こえているな」
ゲインは、強い目線でヤンガガをにらみつけた。
「おお、こわ。
ま、聞こえてりゃ、いいんだ。
聞こえてりゃな。
ゲインさんよう。
不思議かい。
こんなことをして何になる、って思ってるかい。
へっへっへっ。
そりゃ、そうだ。
俺は依頼を受けたわけじゃないから、報酬の金は受け取れねえからな。
だがなあ、ゲイン。
お前の知らないことがあるんだぜえ。
コルグトのやつさ。
やつ、五日前にここのボス部屋で死にやがったのさ」
コルグト。
ゲインと同じくソロで迷宮を探索する変わり者の冒険者だ。
ここの竜を何度も狩っている。
強い剣士だ。
だが、そうか。
コルグトは死んだのか。
ゲインは一抹の寂しさを感じた。
「死ぬ前に、コルグトのやつは何か重要な情報をアンジャシュア男爵に伝えた。
え?
なんでアンジャシュア男爵とコルグトがつながってるかって?
簡単さ。
コルグトのやつは、アンジャシュア男爵の隠し子なのさ。
やつは若造のくせに、やけにいい装備を持ってやがったろう。
アンジャシュア男爵様から支援を受けてたってわけさ。
へっ。
むしずが走るぜ。
だから高っけえ高っけえ遠話アイテムも持ってたんだろうさ」
ボス部屋の中に入っていても外と連絡できるようなアイテムは存在する。
また、死んだことを伝えるようなアイテムもある。
コルグトがアンジャシュア元男爵の庶子だったとすれば、そういうアイテムも持っていたかもしれない。
「それを聞いたアンジャシュアはどうした?
とんでもねえ大金を払って、竜の討伐を依頼した。
あのアンジャシュアがだぜ。
つまり、そんだけ払ってもじゅうぶん釣り合うだけのもうけがあるわけさ。
ユニークモンスターだ。
ユニークが出たのさ。
とてつもねえお宝を抱えたユニークがな。
依頼の部位を依頼主に届けるって?
とんでもねえ。
その部位には依頼の報酬の何十倍何百倍の価値がある。
でなけりゃアンジャシュアが、そんな博打を打つわけがねえ。
さあ、ゲインさんよう。
出してもらおうかい。
その依頼された部位をよう」
ゲインに話しかけながらヤンガガは手を動かした。
ゲインの剣を遠くに投げ捨て、ゲインの足を縛った。
ゲインの右手を後ろに回して鎧に縛り付け、それから体を起こした。
なすがままにされながら、ゲインは窮地を脱する方法を考えた。
依頼部位がどこであるかを、ヤンガガは知らないようだ。
何とかごまかさなくてはならない。
だがそれはかなわないことだと知らされる。
「そろそろ痺れも引いてきただろ。
おい、メナノス、頼むぜ」
魔術師が近寄って来て、ゲインの目をのぞき込んだ。
ゲインは、はっとした。
邪眼だ。
人の意識を支配し、思い通りに操る邪法を修めた者の目だ。
駄目だ。
邪眼を見ては駄目だ。
ゲインは慌てて目線をそらし、目を閉じた。
だが、もう遅かった。
ぎりぎりと、見えない何かに引っ張られるように、ゲインは顔を邪術師に向け直した。
必死で目を閉じようとするのだが、もう一人の自分が開けさせようとする力のほうが、わずかに強い。
ついに邪術師の目と向き合うことになってしまった。
邪術師の目が怪しい光を増した。
そのとき。
バトルハンマーが邪術師の頭を横殴りに吹き飛ばした。
気配に驚いて振り返りかけたヤンガガの頭をメイスが直撃した。
「駄目だねえ、ヤンガガ。
悪いことするときは、いつも四方八方に気を配らないと。
人を狙ってるやつを狙ってるやつもいるんだからね」
スラサの言葉は、すでに気絶したヤンガガには聞こえないだろう。
邪術師を殴り倒したのは神官戦士アグ。
ヤンガガを気絶させたのは施療神官ウーだった。
9
スラサが要求したのは、ずばり報酬の半分。
つまり五百万ハルギラだ。
ゲインとしても、これは断れなかった。
ヤンガガは、必ずゲインを殺すつもりだったはずだからだ。
ゲインが生きて地上に上がってギルドに訴え出れば、ヤンガガは犯罪者として手配される。
そんな危ない橋を渡るぐらいなら、ゲインを殺しておいたほうがよいに決まっている。
だからスラサは命の恩人である。
施療神官のウーは、契約の呪文が使えた。
ウーの立ち会いのもと、ゲインは無事報酬を受け取れたらその半分をスラサに差し出す、という契約をした。
契約に背けばヤーマ神の報復を受けることになる。
「ところで、あたしには教えてくれてもいいだろう。
ごうつくばりのアンジャシュアは、竜のどの部位をご所望なんだい?」
ゲインは、それには答えられない、と言った。
「ちぇっ。
こんなときにも秘密厳守か。
まあ、そんなところがギルド長にも信頼されるんだろうね。
それにしても、よっぽどのお宝なんだろうねえ。
アンジャシュアのやつ、またとんでもなくうまい商売をするってか」
そうではないだろう、とゲインは思った。
あの部位を使って何をするのかは分からない。
だがそれはたぶんもうけ話などではない。
帰路はスラサとアグとウーと合計四人で上って行った。
実に楽な行程となった。
ヤンガガと呪術師は五十階層に倒れたままだ。
モンスターに襲われて死ぬだろう。
たとえ地上に戻れたとしても、事の次第はゲインとスラサがギルドに報告する。
ヤンガガは罪人として罰を受けることになる。
地上に上がったときは六日目の夜だった。
丸一日残して依頼を達成したわけだ。
10
「よくやってくれた。
早速依頼の物を見せてもらおう」
前カント男爵アンジャシュア・ベルハルムは、やせぎすで目の鋭い老人だった。
老いてはいても油断すれば斬り付けられるような、鋭い気配を持っている男だ。
ゲインは袋に入れた品を差し出した。
「これが、そうか。
ウトルスノー」
ウトルスノーと呼び掛けられたのは、アンジャシュアの後ろに控えていた魔術師だ。
呼ばれて前に進み出た。
その手にアンジャシュアは袋を乗せた。
袋を受け取ったウトルスノーは、袋を開いて中をのぞき込んだ。
「よい状態のようですな」
そう言って、隣の部屋に消えた。
「中身を確認させてもらう。
確かにそうだとはっきりしたら、依頼達成のサインをする」
アンジャシュアの言葉に、ゲインはうなずいた。
二人はしばらく無言で時を待った。
やがて魔術師ウトルスノーが隣の部屋から顔をのぞかせ、言った。
「間違いありませんでしたな。
まさにあの竜の物でしたわい。
取り出しも無事成功しましたぞ。
必要な部分以外を消去し、定着化の作業を行いました。
魔力蓄積量は豊かで、非常に鮮明に残っていますな」
「おお」
アンジャシュアはうめくような声を上げ、隣の部屋に行った。
ゲインもそのあとに続いた。
隣の部屋は薄暗く、正面の壁には白いカーテンが引かれていた。
反対正面にはソファーが置かれており、アンジャシュアはそれに座った。
ゲインは扉を閉めてその前に立った。
「では、始めます」
魔術師ウトルスノーはそう言って、中央のナイトテーブルの上に置かれた品に両手をかざした。
その品。
今回のクエストの依頼品。
それは、目だ。
エドラ迷宮五十階層の竜の目である。
迷宮最下層の濃密な魔力を吸い込んだ目。
その魔力は目が見た物の記憶を刻むのではないか。
そして老練な魔術師の手に掛かれば、おそらく……。
竜の目から光があふれ、白いカーテンに映像が浮かび上がった。
地下五十階層のボス部屋だ。
やはり。
やはり魔術により、あの竜が見た光景を絵のように映し出すことができるのだ。
それにしてもなんと正確で緻密で生々しい絵か。
だがその次に映し出されたものは、まったくゲインの想像を超えていた。
そこに入ってくる者がいる。
人間だ。
若くたくましい剣士だ。
その人間が動くさまが、ありありとカーテンに映し出されたのである。
動く絵。
それは生きているかのように動き回る絵だった。
竜の目からは、こんなものが引き出せるのか。
ゲインは驚きで言葉もなかった。
絵の中の男はコルグトだ。
誇り高く、気立てがよく、そして強い剣士だった。
だがコルグトがアンジャシュアの子どもだとは知らなかった。
ずいぶん年の離れた親子である。
晩年にできた子なのだろう。
それだけに、可愛かったはずだ。
アンジャシュアが大金を払っても手に入れたかったのは、息子が人生の最後に戦うその姿の映し絵だったのだ。
「おお!
おお!」
アンジャシュアの目から涙があふれ出ている。
映像の中のコルグトは、躍動感にあふれている。
竜を攻撃しては引き、竜の攻撃を危なげなくかわしている。
戦いは続いた。
コルグトは、見事な動きをみせ続けた。
(了)




