ディメンションウェーブ-始動-
ソレが起こったのは俺達が海で生活を始めてから一週間程経った頃だった。
硝子も闇影も船上戦闘スキルを習得して、遠くへ来られる様になった頃……。
「大分沖まで来れる様になってきたな。そろそろもっと先に行ってもいいんじゃないか?」
「そうですね。近頃は陸地よりも船の方が動き易く――」
言葉を途中で止め、硝子は直前までの柔らかだった表情を変えた。
そして海、第一都市の方向に振り返る。
釣られて何かあるのかと俺もそちらを向くが、これといった変化はない。
「どうしたんだ?」
「いえ、風が前からも後ろからも来るので少々気になって」
「確かに、変……」
しぇりるは船の帆を指差して言った。
確かに帆が変な動きを繰り返している。
「どうしたでござるか?」
船の先頭で警戒をしていた闇影が疑問を浮かべている俺達へ近付いて来る。
俺は硝子としぇりるの話を伝えようと言葉を紡ぐ……よりも前に事態は動いた。
「これは……行けません! 絆さん!」
突然硝子が俺を抱きかかえて手短にあった帆に繋がるロープを強く掴んだ。
どうしたんだ? そう訊ねようとした直後。
――ギギギッ!
何かを押し開くかの様な、不快な音。
単純に耳にクル音だ。
痛み、と例えてもいいかもしれない。
近い音というと黒板などを爪などで引っ掻いた音だろうか。
その音を何十倍にも不快にした。そんな音だった。
そして……。
――バリンッ!
鼓膜を破るかの如く、ガラスを地面に落とした音。
方向は硝子が指摘した風がした場所、第一都市の方角。
「なっ!?」
瞳に映った光景。
現実では決して起こらないであろう空間その物にヒビが入った様な黒い線。
直後。
爆発と例えて差し支えない突風がヒビの方向から発生した。
「くぅっ!」
硝子から苦痛に似た声が響く。
それもそのはずだ。爆風が船に直撃したからだ。
船の帆が強く靡く……いや、船その物が浮いている。
それ位凄い風だ。
テレビで竜巻の映像を見た事があるが、それに匹敵するかもしれない。
水飛沫が舞い、辺りは直前までの平和な海を地獄に変えている。
「闇か――」
闇影、そしてしぇりるが爆風に飛ばされていく。
声は暴風で聞き取れなかった。ゲームの仕様上死にこそしないだろうが、人が風に飛ばされていく……トラウマになりそうだ。
――
――――
―――――――
どれ位経っただろうか。
一分か、あるいは数十分か。
時間の感覚が曖昧になり、暴風が収まったのは、それ位経ってからだった。
「……絆さん。大丈夫……ですか?」
「あ……ああ」
硝子の声を聞いてやっと風が止んだ事を実感したのだから相当だろう。
辺りを眺めると俺達は船の上にいた。
帆船その物に被害はないが、海は木材などが浮かんでいる。
これがゲームだという前提が無ければ第一都市から飛んできた、と考える所だ。しかしこれはゲーム。おそらくそういう演出だと思われる。
「ダメージはありませんか?」
ダメージ?
俺は直にステータス画面を表示させて自身の状態を確認する。
幸いどこも異常はない。
暴風が起こる前と何等変わらない状態が映っていた。
いや、そもそもダメージはないか、という質問はおかしい。
まるで自分にはあったかの様な言葉だ。
「硝子にはあるのか!?」
「いえ、500程受けただけで、それ程大きい物ではありません」
「それは良かった。いや良くはないか」
「あれだけの事があったんですから、500で済んだのは不幸中の幸いと言えるでしょう」
「……そうだな」
安堵の息を吐く。
これが千だの万だの言われたら大変だった。
「しかし、今のはなんだ」
「絆さん空を見てください」
「空……?」
見上げると赤。赤い色が瞳に映し出される。
ワインレッドに染まった空。
血に似た色が頭上を染め上げていた。
不安になる色。不気味な雰囲気を醸し出している。
俺は呆気に取られた表情で唯それを見上げていた。
それは俺だけではなく、硝子も同じだ。
いや、今はそれ所じゃない。
「硝子、それよりも闇影としぇりるが先だ」
「そ、そうですね!」
先程風に飛ばされるのを目撃している。
海に落ちたなら風は多少防げるだろうが、闇影は泳げない。
そうなるとダメージを多く受けてしまうだろう。
スピリット的には可能な限り軽減してやりたい。
俺は船の周りだけでなく、遠くも眺める。
あの風じゃあどこまで飛ばされたのか皆目見当も付かない。
……二人とも、無事でいてくれよ。
「いました!」
「本当か!?」
硝子の指差した方向を眺めると浮かんでいる影が見えた。
俺は舵スキルを直に習得すると帆船を動かし始める。
今はエネルギーだの、マナだの言っている時じゃない。
「大丈夫か!」
「……ん。ヤミも一緒」
さすがに今まで舵を担当していたしぇりると比べれば拙い動きだが、船を近づける。
すると確かにしぇりるは闇影を抱えていた。
「しぇりるさん、掴まって下さい!」
「ヤミが先」
「わかりました」
硝子は言われるまま闇影を引き上げて、次にしぇりるに手を差し出した。
上がってきた二人は当然ながら海水で水浸しだ。
各言う俺達も風で飛んできた水で大分濡れている。
「闇影、エネルギーは大丈夫か?」
「……2000程受けたでござるが、ドレインでいつも皆よりもらっているでござる故、問題はござらん。それよりもしぇりる殿の介抱を」
2000ダメージというと正直、かなりのダメージだ。
スピリットは耐久的に問題ないが、しぇりるは晶人。最大HPが何あるかは不明だが、死んでいない所を見るにデスペナルティは避けられたのだろう。
「だいじょぶ。HPゲージが赤いだけ」
「それ大丈夫じゃないだろ」
問題ない事を主張するしぇりるを休ませて、俺は取り敢えず舵を第一へ向ける。
だが、自然とその視線は上空を眺めるだろう。
――ディメンションウェーブ。
俺達全員はその方角を眺めて、誰が言うでもなく確信した。
そう、第一都市の方向には未だ黒いヒビが自己主張していたのだった。