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あさきゆめ  作者: yoshihira
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陸話

 均衡は破られる。それは思いも寄らぬかたちで。












 白白はくはくの町中にアヤカシが現れた。その事実は俄かに町を騒がせたが、臭いものに蓋をするように惨劇の痕跡が片付けられると、町は呆れるほど早くに元の雰囲気を取り戻す。

 

 アヤカシが人を襲うように変じて、少なくない年月が流れている。

 その間に命を落とした犠牲者は数知れず。アヤカシの襲撃を非日常と思わぬほどに、それはありふれた日常へ姿を変えている。


 只人は異形のアヤカシに敵わない。通常の武器は彼らに傷をつける事すらできないのだ。


 くだんの白拍子はこの町の守り神ではなかった。そう悟っても、何をするでもない。諦めに慣れた人々は、全てを忘れてしまおうと目先の享楽にのめり込む。

 白白の町は、より一層淫靡な熱に浮かされ、花街周辺の見世物も以前にもまして賑わった。


 そうして元に戻ったかにみえた町は、しかし、徐々に不穏な影に包まれようとしていた。











「脱いでください」


 また、例の如く町の見回りを行い、屋敷へと戻ってきたミツを部屋で待ち構えていたのは、青年の姿をした天狗だった。


「藪から棒に何を言う」


 また訳のわからぬ事を言い出しおって、と、眉をひそめれば、風見は端整な面に相応しい微笑を浮かべた。

 ミツの眉間がますます深い谷をつくる。短い間に、この笑顔が曲者以外の何物でもないとしかと学んでいる。


「また血の匂いがしますよ。あなたは強いくせに、どれだけ傷をつくるんですか」

「…お前には関係なかろう」


 アヤカシが敵である退治屋の傷を気にしてどうする。

 むしろ、退治屋の不調は歓迎すべき事態であって、そのような顔をして憂慮すべきものではなかろうに。


 まるで自分の身を案じているかのような。

 そこまで思い巡らせたミツは、我ながらどうかしていると思考を停止させ、思わず一つ頭を振った。


 手当ての申し出を無用だと言い捨てて、あてがわれた室に入り、神剣の手入れでもしようと腰を落ち着けたその時。


 突然、千江が部屋に入ってきた。


 その行動自体は特に問題ではなかった。この屋敷はミツのものではないし、誰が立ち入ろうとミツは頓着する気はない。

 だが。


 手元に影が差して、剣を検分していた目を上げた。

 その瞬間―――頭から派手に水浴びをする事になった。


「あー、手がすべった」

「……………」


 全身ずぶ濡れとなったミツは目を瞬いた。雫が後から後から流れてくる。


 その前で、唇をへの字に曲げた千江が空になった桶を手にして仁王立ちしていた。


「なによ。手がすべったのよ。なにか文句ある?」


 怒るべきところなのだろうが、あまりにも堂々と居直られて、その時機を逸してしまった感がある。

 ミツはひたすら言葉を失って、無言になるしかなかった。


 ―――そうして、誰かの思惑通りに、ミツは強制的に衣を着替えるはめになった。












 新しい袴に着替えて体を拭き終え、上半身に巻かれたさらしも取り替えねばとその手間を憂鬱に思っていた所に、風見が乗り込んできた。

 傷薬や血止めなどの道具を持参して、楽しげに。


 …こうまでして自分の手当てがしたいのか。

 もはや、理解不能の域を超えている。


 何かが間違っていると思わなくもないが、それくらいの事に意地を張るのも面倒臭くなったミツは、手っ取り早く追い払うためにも好きにさせる事にした。

 肌をみせる事に抵抗のない少女は、風見が呆れるほど潔くさらしをほどき、白磁の背をさらした。


「…」


 その背や腕に、無数の傷が刻まれているのを目にして、思わず息を呑む。

 大半が古傷ではあるが、これほどまでとは思わなかった。

 ―――それに注目すべきは。


 手早く胸元まで新しいさらしを巻き終えたミツは、許可を出したのに動かない相手を肩越しに見やった。


「…退治屋殿」

「何だ」

「よく動けますね」


 畏怖が篭もった声だった。


「その左肩に何を封じ込めているのですか」


 衣の下に隠れていた、見るも無残に赤黒く腫れ上がった左肩、その上を何枚もの札が覆っている。

 恐ろしく厳重な封術である事は一目でわかった。絶大な霊力を秘める少女の身そのものを呪具とするなど只事ではない。


 風見の表情からいつの間にか微笑が消えていた。


妖狐ようこだ。齢数百年を経た」


 既に慣れた疼痛に何を思うでもなく、札の具合だけを確かめて、ミツは上の衣を羽織った。


「妖狐、ですか」


 それまた厄介なアヤカシを相手にしたものだ。

 元々、東国古来のアヤカシではなく、西国から渡来したと伝えられる妖狐は、その名の通り狐が変化した、狡猾な性情を持つ残忍なアヤカシで知られている。

 自分も含め、アヤカシが齢数百も生くるは珍しい事ではないが、歳月と比例して、それでは恐るべき妖力と技の使い手であった事だろう。けして斃すのに容易い相手ではない。


 今のこの有様を見る限りも、この退治屋とて相当、梃子摺てこずったに違いない。

 その身に封じるとは思い切った事をしたものだ。これほどの邪気を発していれば、その身をよじらんばかりの苦痛があるだろうに。 


「あ、ちょっと待ってください。手当てをしていないのに、もう上を着てしまったんですか」

「お前がもたもたしているからだ―――って、脱がすな!」

「一度、了承したでしょうに、往生際が悪いですよ。ほら、暴れないでください。酷い事をしたくなります」

「たわけ!」


 ―――あなたは、どうしてそこまで。


 何を口にするつもりだったのか、自分でもわからない。

 口の端に上りそうになった言葉を押し殺し、不可思議な惑乱を覚えつつも、天狗は何事もないように振舞ったのだった。












 すぐそこの二人の様子を部屋の隅から窺って、千江は唇を噛んだ。

 美しい娘と華やかな青年が並ぶ様は、文句のつけようが無く似合いの一対にみえる。


 どれほど自分が望もうとも得られない。

 手が届くような距離にみえようとも決して。

 わかりすぎるほどわかっていた。


 ―――風見さま。


 アヤカシであるの存在が、永音ではなく青年の姿ばかり映すようになった理由、それに気づいているのは自分だけだろう。


 聡い娘は、それでも目を逸らして、大丈夫だと言い聞かせる。

 風見は自分を見捨てたりなどしない。…自分を疎んだ両親のように、枯れ井戸に投げ捨てたりなどは。


 何も考えないよう一心不乱に足を動かせば、いつの間にか、普段は近付かない屋敷の対角まで来ていた。


 ―――千江、あちら側には行ってはなりませんよ。


 ずっと前に、永音が気だるげな声でそう告げたのを思い出す。


 ―――天狗は本来、好奇がとても強いもの。あれらはしかも、とにかく青い。愚かな事をすまいとも限りませんから。


 同じ屋敷の対だというのに、こちら側は雰囲気とて何かが違う。


 ざわりと背筋を撫で上げるような悪寒に、千江は硬直して目を見開いた。


 背後を振り返れない。


 幾つもの嗤いが場を悪意に染めていく。


 ―――幼い娘の脳裏にただ一つの面影が翻り、消えた。



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