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あさきゆめ  作者: yoshihira
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肆話


 風見かざみの姿をした永音ながねに言い諭され、千江ちえは渋々と頷いた。


 永音を襲ったあの退治屋がこの屋敷に滞在すると知って猛反発したのだが、他ならぬ襲われた本人が進んで招き入れたのだから否やがある筈も無い。


 退治屋はアヤカシの動向を監視するために都合が良いと了承し、風見自身も退治屋の少女に興味があるという。

 お互いの利害が一致した結果、しばらく一つ屋根の下で暮らす事になったらしい。


「あたしは永音…風見さまのものだもの。風見さまがそうおっしゃるなら、文句なんてないわ」

「千江…その割には、見事に頬がふくらんでいますよ」


 形の良い長い指でつつかれ、風見の膝の上に座った千江は小さく唸ると、ちらりと目を上げた。


「あの人、退治屋なんでしょ。退治屋って言ったらアヤカシをころす人だもん。

 いつ気が変わって、風見さまをころそうとするかもしれないのに…」

「彼女にはもう私を殺す気はありませんよ」

「うそ。なんで、そんなのわからないじゃない」

「わかりますよ」


 いやに確信のある口調で言葉を紡ぎ、風見は微笑んだ。


「少なくとも私から仕掛けなければ、彼女が刃を向けてくる事はないでしょう。

 千江がいるおかげかもしれませんね」

「…え?」

「あの退治屋は見かけよりずっと甘い。あなたの前で私をあやめる事はきっとないでしょう」











 一体、どうしてこんな状況になっているのか。

 いや、了承したのは他ならぬ自分なのだが。冷静に思い返せば、やはり血迷ったとしか思えない。


 ―――あのアヤカシと同じ屋敷に暮らす事になっているなどと。


 振り上げた刃の先をあの子供に水を差されて、手を出しあぐねていたのは事実だ。

 天狗の真意はみえず、殺気をまとう事もないので、改めてこちらも刃を向けにくい部分もある。


 アヤカシを斃すべきか、斃さざるべきかで問われるなら、迷わず斃すべきとミツは答えるだろう。


 今は狂っておらずとも、アヤカシはかつてのように突然、そのさがを変じるかもしれない。

 あれほどの力持つアヤカシならば、一つの町を壊滅させる事も容易い。アヤカシを滅する退治屋として、そのような危惧を放置する事はできない。

 魔の変革―――アヤカシが急変し、人を襲うようになって早十年以上経つ。

 アヤカシは斃すべきもの。それが正しい認識だと彼女の短くはない経験も裏打ちしている。


 だが―――師の寛斉かんざいならどうするか。


 ―――俺らはな、退治屋だ。慈善家じゃねぇ。けしてただ働きはするんじゃねぇぞ。


 再三の師の言葉が耳に蘇る。


 ―――どうしてあの依頼を断られたのですか、寛斉様。

 ―――ぁあ?

 ―――報酬なら、十分に金子で支払ってくれたと思いますが。


 師の退治屋としての評判は高い。

 それゆえ舞い込んできたアヤカシ退治の依頼だったのだから、退治屋に対する心づけは相手も心得ていた筈だ。


 ―――俺の気が乗らなかった。それだけだ。ほっとけ。


 素っ気無くそう言い、寛斉はアヤカシを退治ず、その村を通り過ぎてしまった。


 ―――退治屋であれ。いいな? ミツ。


 あれほど何度も念を押された。戒めるように。


 その言葉の意味は。


 ―――まだ自分には答えなど見出せていない。











 それから三日が経った。

 日課としてミツは町の周辺を確かめて廻り、時に襲い掛かってくるアヤカシを斬り捨てる日々を送っていた。


 それが済めば、問題のアヤカシたる天狗の動向を探っているが、そちらには特に目立った動きがあるわけでもない。


 ただ時間だけが黙って過ぎるような、とりとめのない日々だった。


「…」


 既に馴染みとなった表玄関から、内側の木戸を通り、自分に用意された屋敷の室へと向かう。

 その途中、屋敷の影からこちらを伺う気配に目を上げた。


 ミツや風見の室がある棟とは対角にある、屋敷に突き出た対の屋の一角にたむろしているアヤカシども。

 あの天狗の同胞らしい。人の姿に変じてはいるが、その本性は一目瞭然だ。

 風見に何ぞ言い含められてでもいるのか、退治屋であるミツを疎ましそうな目付きで見るものの、直接、何をするわけでもない。

 が、その場に居合わせれば、ちりちりと首裏にむず痒さを覚える。


 風見の話によれば、彼らの目当ては白白の花街で、いたく気に入って出入りしているらしい。

 あちらも騒ぎを起こすつもりはないらしく、ミツも今は黙って捨て置いているが。


 ―――だが、いずれ。


 衣で隠れた左肩の傷があやしの気配に疼いている。

 既に慣れた疼痛に眉をひそめるでもなく、ミツは平然と歩調を進め、背にこびりつくような視線を感じつつ、その場を歩き去った。


 その次に続いて顔を合わせたのは、あのアヤカシ贔屓の変わった女童めのわらわだった。


 普段、風見が篭もる室へと向かう途中だったのだろう。

 渡り廊下でばったり出くわした千江はミツに気付くと、弾むようだった笑顔を消し去り、瞬く間にしかめ面に変わった。


「…なによ?」


 千江は退治屋であるミツに敵意を隠そうとしない。


「いや―――あのアヤカシの所へ行くのか」

「それがなに? 言っておくけど、永音さまを殺そうとしたら、あたしがあんたを殺してやるから」


 幼子とは思えぬ陰々とした眼光で睨みつけてくる。その気迫にはミツも感心させられるばかりだ。

 余程、あのアヤカシに心酔しているらしい。大の大人でもアヤカシと聞けば、一目散に逃げるか、怯えて泣くか、恐怖に顔を歪めるものだろうに。


 不思議な子供だと思う。


 千江の後姿を見送り、ミツはふと問題のアヤカシの事を思い返した。











 事の首謀者だろう天狗といえば、永音になる事もあれば、風見の姿のまま寛いでいる時も見かける。

 永音が客を迎え入れる所を見たのはただの一度きり。

 傍目にも噂の白拍子に舞い上がっている男を適当にあしらっているようにしかみえなかった。


 最初は興をそそられたのですけれどね、そう言って、アヤカシは美貌に冷笑を浮かべていた。

 人ではない本性を伺わせる、ちっぽけな虫けらを眺めるようなその貌。


 あの寡婦の夫の事も聞けば、そんな事もありましたね、と、悪びれる様子もない。

 特に何をしたわけでもありませんよ、と、アヤカシはただ微笑する。

 意図して人を殺める事はないようだが、人の心をいたずらに暴いて愉悦するその姿は魔性そのものだろう。血に飢えたアヤカシより、ある意味、たちが悪い。


 人の心は時に積み上げた小石を崩すよりも簡単に脆く崩れ去る。

 それを己の好奇心を満たすためだけに天秤を揺らすというのならば罪深い事だ。


 弄ぶ事は止めろと苦言を呈したミツに―――しかし、あっさりと風見は首を縦に振った。


「…は?」


 そう簡単に頷くまいと思っていたミツとしては意表を突かれる反応だった。


「いいですよ。あなたがそう言うのなら止めておきましょう」

「…」


 だが。


「あなたの願いを一つ聞く代わりに、私の頼みも聞いてくださいますか」


 やはり―――このアヤカシは油断ならない。


 警戒して表情を一気に険しくさせたミツに向かって、青年姿のアヤカシは悪戯っぽく微笑んだ。












 一緒に芝居を観に行きましょう。

 その一言で騒動は始まった。

 

 そのまま芝居屋へ向かうのかと思いきや、風見はその格好では目立つと主張して、ミツを馴染みの呉服屋に連れてきた。

 何故、服を替えねばならん、と、苦虫を噛み潰した顔になるミツに、その姿では下手に悪目立ちをしますよ、と、しれっと風見は主張した。


 千江も風見にくっつくようにして隣にいる。


 店で色とりどりの着物を並べられ、修繕を重ねた網代笠の下にあるミツの顔が引き攣った。

 勿論、女物だ。紅色に萌黄色、淡紅色に紫と、目にも鮮やかな上質の衣を引き出されるも、これを本当に自分が着るのかと思うと気分が悪くなってくるばかりだ。


「…」

「やはり、あなたには緋色が映えますね。それも色味の濃いものが。

 ほら、千江も久しぶりでしょう。どれが良いですか。好きなものを選びなさい」


 何故、こやつはこんなにも上機嫌なのだ。


 天狗の手のひらの上で転がされているようで正直、不愉快どころではなかったが、相手が名に懸けて誓ったのでミツとしても譲歩する気になった。

 名は魂魄こんぱくに通じる。アヤカシとて、その誓いは軽くはない。


「どうぞ、これを」


 しばらく意識を飛ばして目の前の光景を受け入れる事を放棄していたミツに、風見が着物を押し付ける。


「…」

「私の見立ては確かですよ。安心してください」


 そういう心配はしていない。


 だが、拒否以外他に何を言えば良いのか、思いつかなかったミツは黙って受け取り、仕方なく奥の着付け部屋へと向かった。

 女物など最後に袖を通した時がいつであったかすら憶えていない。

 着方も当然、忘れ去っているくらいで、いささかならぬ苦労をして身につけ、半ば捨て鉢な思いで外に出れば、目が合った風見の表情が珍妙に歪んだ。


「あなたは…」


 やるせなく額に手を当てて首を振り、つかつかと歩み寄ってくる。

 この青年には珍しい険しいと言ってもよいほどの真剣な面持ちに、ミツは若干たじろいだ。


「ちょっとこちらへ」


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