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あさきゆめ  作者: yoshihira
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弐話



 白白はくはくの女は間違いなくアヤカシだった。

 どんなに精巧に化けようが、ミツには持って生まれた才として、それを見抜くだけの目があった。


 その正体は本性を暴かねば測れぬが、人の形を取り、言葉を操れる知能を持つとなれば、水妖すいようか年経た妖狐ようこ、はたまた天狗か。


 いずれにしろ、このアヤカシは今まで出会った中でも稀な大物である事は間違いない。強大な妖力に裏打ちされた術の使い手だった。

 風の刃を叩きつけられる寸前、ミツはそれを剣で斬って捨てた。


 女が目を瞠る。


「素晴らしい剣ですね。凄まじい神気を帯びている。何処で手に入れたものですか」

常磐ときわの山神からの預かりものだ」


 律儀に答えて、地を蹴る。


 様子見から段違いの速さに切り替えても、白拍子の女は余裕綽々で交わし、今度は幾つもの疾風の刃を縦横無尽に解き放つ。

 不可視の刃は周囲の襖や壁をずたずたに切り裂くほどの壮絶な威力を発揮した。―――だが、ミツはそれを避けずに、腕をかざしたまま正面から突っ込んだ。己の身を省みない恐るべき無茶に、女の顔が驚愕に染まる。


 銀の光が奔った。


「くっ」


 女は肩を押さえて、片膝をついた。左肩の装束がみるみるうちに朱に濡れていく。


 一方、退治屋の方も当然、無傷で済む筈がない。

 顎で結んでいた笠の紐がとけ、ますます悲惨な有様となった古笠がぽとりと落ち―――笠の下から現れた白い顔を見上げて、女は目を瞬いた。

 服装からして少年だと思っていた相手が、年端もいかない若い娘のものと知ったからだ。


 頬からも二の腕からも腿からも真紅を滴らせた少女は、痛みを覚えた様子も無く、無表情で神剣を振りかぶる。


 ―――その刹那、魅入られたかのように、自分を屠らんとする相手から目が逸らせなくなった。


 強い。内包する魂魄の輝きが今まで自分を討ち果たさんとして返り討ちにしてきた同業者とは桁違いだ。

 少女の容貌は間違いなく整っており、着飾れば溜息が出るほど美しくなるだろう。特に心惹かれるのは、取り出して飾っておきたいと思わせるほどの、純度の高い漆黒の瞳。

 アヤカシは本能的に強い者に従う。それは白白のアヤカシも例外ではなかった。


 ―――この血濡れの美しい生き物にならば殺されても悪くはないが。


 そう考えて思わず―――微笑が零れ落ちた。


 それを目にして、初めて少女の表情が動いた。怪訝そうに、眉がひそめられる。


「…何故、抵抗せぬ」

「ひとに刃を突きつけて言う台詞ではありませんねぇ」


 透徹した眼差しで見下ろす少女は二十歳も越えていない若さだ。

 だが、声も瞳も若いばかりの娘のものとはあまりに違いすぎる。


「私を殺しますか」


 率直に尋ねれば、少女は無表情に立ち戻る。

 女は美しい顔をそっと微笑で彩った。












「だめ―――――っ!!!」






「!?」


 突然、辺りに響き渡った大音声に、ミツは剣を止めて硬直した。


 幼い子供の甲高い声。探す間もなく、闖入者の正体は知れた。山吹色の着物を着た女童めのわらわが息を切らせて割り込んできたからだ。


「だめっ! 永音ながねさまにひどいことするな!!! このぶさいくおとこおんな!」

「…は?」


 今まで耳にした事のない罵倒を聞かされ、ぽかんとする。


 永音とはこのアヤカシの名だろう。

 それは理解できる。が。


 子供の後ろでその女が目を見開いた後、徐々に肩を震わせた。あまりの状況に顔を伏せて笑い出している。


 どうやらアヤカシを庇いたいらしい幼い子供がきつく睨み据えてくるのを、ミツは黙って見返した。


 どうみても人の子供だ。アヤカシではない。

 アヤカシではないが…。


「お前はこの女がアヤカシである事を知っておるのか」


 正体を知らぬがゆえの事だろうと思っていたミツの予測は外れた。


「知ってるよ! 永音さまがアヤカシだって!」

「アヤカシだと知っているなら何故庇う」

「それがどうしたって言うのよ! あたしを助けてくれたのは他でもない永音さまだもん!

 アヤカシだろうと人だろうと、関係ないの!」

「…」


 目を見開く。

 肩から力が抜けた。


 その真直ぐな一言は、まるで闇を切り裂く稲光のように鮮烈な言葉だった。

 それこそ師の寛斉かんざいが言葉を変えてミツに何度も言い聞かせていた事だ。それを頭ではとっくにミツは理解していた。ただ、その事実を受け入れる事を拒んでいただけで。


「永音さまを傷つけるやつはあたしが許さない!」

千江ちえ


 永音が手を伸ばして、子供の丸い頭をなだめるように撫でた。


 ―――これではまるで茶番だ。


 酷いしかめ面になったミツは袖の裾で神剣を拭うと、鞘に戻した。

 それを見て、永音が首を傾げる。


「いいんですか?」

「死にたいなら自分で死んでおけ」


 部屋の中に転がっていた網代笠を拾うと、踵を返した。

 外はすっかり夜陰に沈み、退治屋である少女の姿はあっという間に闇にとけ込んで、見えなくなる。


 その後姿が消えるまで追っていた永音は目を戻し、惨憺たる部屋の有様に気付いて苦笑した。


「永音さま! 怪我の手当てをしなきゃ!」

「大丈夫ですよ、千江。私はアヤカシですから。明日には傷痕も残らないでしょう」


 アヤカシは人とは異なる。治癒力も人の速度とは比べ物にならない。


 だが、あの退治屋の少女は。


「…手負いでなければ確実に仕留められていたでしょうね」


 低く呟かれた真実は誰に受け取られる事もなく、消えた。


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