壱話
二人の出会いはどのようなものだったのか。
そう問われた二人は顔を見合わせた。
答えは簡潔だった。
「…それは勿論」
「殺し合い、じゃな」
***
花街に灯が宿る。
東国中央、島の西方に位置する安和の都、その中に白白の宿場はある。安和でも一際、大きな花街を抱える事で有名な色町だ。
南の萩の都を農民の都だとすれば、こちらはその対極、退廃的な遊興者の都とでも言おうか。
町の中を見回しても、小奇麗な商店が多く並び、通りを歩く男女も一風変わった洒落た着物が目につく。それでいて華やかというより、何処か正体の見極めきれぬ空疎な印象がつきまとう、町。
まだ行灯が灯されるには早い時分であるものの、花街近くは既に盛況だった。
深くかぶった網代笠の下から視線を巡らせれば、一際目を引くのが花街唯一の出入り口となる大門だ。開門の時刻を迎えたばかりで、まだ門に吸い込まれていく客もまばらではある。
その横を固める目抜き通りでは、種々の芝居小屋や奇天烈な見世物小屋が派手な喧伝を飛ばし、大きく賑わっていた。これも、町の名物として数えられるだけはあり、黒山をつくった人だかりから、時折、驚嘆のどよめきが湧き起こる。
大門の向かいの軒先からしばらく様子見を決め込んでいたミツは、興をそそられる事もなく、目的の気配を探ろうと一つ一つ検分していたが、長く続ける事はやめにした。
この白白の町では、どうにも自分の姿が浮いている。いや、逆に馴染みすぎているとでも言おうか。
着る物などや自分の外見に頓着しない性分だとて、三度以上も同じ事を繰り返せば意識せざるをえない。
周囲の華やかな色合いと馴染まぬ、色褪せて灰がかった白の装束に紺の袴、腰には一振りの古めかしい黒の鞘。
一揃いの地味な衣装は明らかに男装のものであったが、その人物を男と断じるにはあまりに背丈が足りぬ。ぱっと見は元服から幾らも経たぬ少年のようにみえる。
花街の大門が開かれ、芝居や見世物の客入りも最高潮となる薄闇の今時分、自分もその一芸の一人と思われているようで、さっきから見世物は何だと尋ねられては、首を振って否定していた。
年季の入った網代笠で顔が隠れているのも、興味を持たれる一因かもしれない。
ミツとしては単に師の形見の品を持ち歩いているだけのつもりだったが。
―――この辺りに並ぶ芝居小屋では無いようだ。人に訊くか。
その姿はすぐに人波に紛れ、見えなくなった。
***
その町には、美しい女がいた。
女は白拍子だった。白の水干に黒袴を合わせ、芝居小屋の舞台の上で舞う男装の舞手。
その髪は射干玉の漆黒。
女が舞えば、しなやかに女の肢体に絡み付き、男のものである白の水干を息を呑むほど艶めかせる。
その瞳は濡れたような黒曜石。
女の瞳に映れば、天にも昇る心地を覚え、再びその瞳に映る事を望まずにいられない。
花街に溢れるどの花にも比類なき美しさを持つ女が、舞台の上で舞ったのはただの一度きり。
そのひとさしの舞いで、数えきれぬ男を虜にすれど、女は二度と舞台の上に立たなかった。
女と再びまみえるには、とある屋敷、その奥の座敷のみ。
その知らせを得て、女を我が物にせんと請い願う男たちが殺到するも、されど女と再会が叶った者たちはほんの一握り。
女の許しがなければ、声を聞く事さえできぬ。いくら金子を積もうとも、恋文を万と送れども、なしのつぶて。
屋敷に忍び入ろうとしても、屈強な護衛の前に、あっという間に追い払われる事になる。
決して誰のものにもならぬ、それゆえ、皆人の興味をそそる、一輪の華。
ゆめまぼろしかと思えども、女の存在は確かに現実であった。
その女を町で知らぬ者がいなくなった頃、不可侵の華と呼ばれる女に二つ名がついた。
その女が舞台に現れてから、町中でアヤカシに襲われる者がいなくなったのだという。
噂の域を出ない事とはいえ、その風評はまことしやかに囁かれ、女は一躍、町の守り神として崇められるようになる。
***
「夫はあの魔性の女に取り憑かれて、殺されたんです…!」
昼だというのに明かり取りが締め切られた陰気な室内で、涙ながらに村の女は訴えた。
女はひと月前に夫を亡くしたばかりの寡婦だった。
彼女の話によれば、この村からさほど離れていない白白の町に、男を誑かす傾国の女郎がいるのだという。
魂を奪われるほどに美しい女は人ではなくアヤカシや魔性の類だと、夫を奪われた女は頑なに主張した。
彼女の夫はたった一度、女にまみえる事を許された。―――たった一度だけ。
その後の再会は叶う事がなかった。何度訪ねても門は堅く閉ざされ、男のために開かれる事はついぞなかった。
それでも狂おしく忘れ難く、諦めきれなかった男は、どうしても自分のものにならぬ相手についには絶望し―――最期は女の屋敷の前で自ら命を絶ったらしい。
一通りの話を聞いたミツは、微塵も表情を変えずに言った。
「わかった」
「ひ、引き受けてくださるのですか!?」
「どうせ通り道にある町だ。女の正体を確かめるくらい、別に構わぬ」
―――いいか、ミツ。退治屋は商売だ。俺たちは商売人だ。けしてただ働きするんじゃねぇぞ。
ミツは退治屋だった。何の、かと言えば、化生の類であるアヤカシの、だ。
他の呼び名は使った事が無い。退治屋としての先達、彼女の師匠曰く、アヤカシ退治は商売事なのだという。
それゆえ、退治『屋』と名乗るのだと。
実際、彼が取引無しにアヤカシ退治を行う事はまず無かった。
―――ですが寛斉様、アヤカシは斃さねばならぬもの。報酬が得られないからといって、即刻斬らずに捨て置いてどうするのです。
生真面目にそう反駁する弟子に、口より先に手が出る師匠は平手でミツの頭をはたき、呆れ混じりに一言返したものだった。
―――阿呆。アヤカシは魔じゃねぇぞ。
ミツを退治屋として鍛え、育てた師―――寛斉はもうこの世にいない。
二月ほど前に鬼籍に入り、ミツは一人で退治屋を始める事になった。
―――けれど、寛斉様、やはりわしはアヤカシを捨て置けない。斃さずにおくなぞ。
寡婦である女は、命がけのアヤカシ退治の対価としてはあまりに微々たる銭を差し出したが、ミツは受け取らなかった。
まだその女がアヤカシと決まったわけではない。そう言って、律儀にも断った。
―――もしその町の女が何かを企むアヤカシであるならば。
アヤカシとの邂逅、それ自体が自分への対価となろう。
アヤカシを追い求め、斃し続けると決めた退治屋の少女にとって、それこそが報酬に相応しい対価となる。
***
問題の女が住まう屋敷の場所はすぐにわかった。町中で知らぬ者はいないらしい。
女が白白の町に滞在してより、アヤカシが姿を見せなくなった。そう信じて、アヤカシを寄せ付けぬ守り神として、他の都から屋敷を拝みに来る旅客もいるのだと言うのだから、相当なものだ。
町の外れと呼び換えてもよい静かな一角に、その屋敷は構えられていた。
そう大きくは無い敷地だが、正面の門は堅牢な造りで両脇を土塀が固めている。ミツの背丈ほどの塀から緑の木立が溢れ、奥に入るほど山手の丘陵地に差し掛かっているようだ。
ミツは無造作に門に手をかけた。
予想を外れた事に、門は施錠されていなかった。
だが、中に入り込めば、すぐに用心棒らしき太刀を佩いた男たちが、屋敷前の木戸から顔を出した。
「小僧、誰の許しを得て入った?」
男たちは三人。
歯を剥き出しにして嗤う。
網代笠を下ろしたままの人物は、なりからして童子と変わらぬ年の少年にみえる。
追い払うに梃子摺る相手には到底思えない。
面倒臭げに舌打ちをした一人が、つまみ出そうと相手の腕に手を伸ばし―――。
「な!」
その手は空を切る。
目の前にいた相手が忽然と消え、驚愕した男は次の瞬間、苛烈な一撃を首裏に喰らい、白目を剥いて悶絶した。
それを目の当たりにした他の男たちの顔色が愕然と変わる。
「通らせてもらうぞ」
網代笠の下からの低い宣告に、男たちは音を立てて息を呑み込んだ。
―――その室からは、今までに嗅いだ事のないような、あえかな蜜のような薫りがした。
外庭に面した渡り廊下を進み、何者かの気配のある戸の前で立ち止まった。
ミツは躊躇いもなく、黒の格子が入った障子戸を滑らせた。
室内を見やる。
室の隅には行灯が置かれ、広がり始めた薄闇の影をくい止めている。
手前横には一段高さの積まれた床の間がしつらえられ、一輪の菖蒲が花器を飾っている他は畳が広がるばかりの、簡素な部屋だった。
ミツは無遠慮に部屋を横切り、その奥を閉ざす襖を開け放った。
はたして、脇息にもたれるようにして、供もなく一人の女がそこにいた。
噂通りの白の水干に身を包み、烏帽子はつけず、豊かな黒髪が女の足元まで流れ落ちている。
少し目を細めて微笑みかけるその顔は、確かに絶世と呼ぶに相応しく、艶な美しさを帯びていた。
「今日は誰も通さぬようにと申し付けた筈ですが、あなたは招かざる客のようですね」
そう言って、ゆらりと立ち上がる。
まるでその一部屋だけ別世界に区切られたかのように、外の気配も何もかもが遠のくかのような静寂が場に満ちる。
ミツは腰の太刀を引き抜いた。
「―――お前、アヤカシだな?」
女はただ小首を傾げて、微笑した。
「名乗るのが礼儀というものですよ。私を訪ねていらしたあなたは一体、どなたでしょう」
「―――退治屋だ」
言い放った後、正面の女に切っ先を定められた剣が霊気を宿し、白く輝いた。
7/21 最後の一文を改訂。