9.
目が覚めたときは、もう昼近くになっていた。
リゼットは朝の礼拝を寝過ごしてしまったと思い、慌てて飛び起きる。
けれどここは、見慣れた教会の部屋ではなかった。
目の前の光景に、今までのことを思い出す。
(私はもう、聖女ではないのね……)
それでも両手を組み合わせて、静かに祈りを捧げた。
そうしているうちに、部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。
返事をしようとして、声が出ないことを思い出して慌てる。
(どうしよう……。まだ起きたばかりで……)
待たせてはいけないと思うが、こんな姿で出る勇気もない。
扉を開けるかどうか迷っていると、その様子が伝わったのか、向こう側から声がした。
「聖女様。私はソフィーと申します。朝食を準備させていただきましたので、一階までおいで下さいませ」
聞こえてきたのは、予想に反して優しい女性の声だった。アルだと思っていたリゼットは驚く。
(もしかしたらあの声の方が、ソフィーさん?)
王太子が言っていた、手伝いの女性なのだろう。リゼットは急いで身支度を整えて、一階に向かう。
すると、三十代後半くらいの優しそうな女性が、リゼットを迎えてくれた。
茶色の髪を緩く纏めた、背の高い女性だった。服装もきちんとしていて、薬師の手伝いの女性というよりは、貴族の邸宅に勤める侍女のように見える。
もしかしたら、王太子が派遣したのかもしれない。
「おはようございます、聖女様。昨日は夕食も準備せず、申し訳ございませんでした」
そう言って頭を下げられて、リゼットは首を横に振る。
家の至るところに筆記用具が置かれていたので、それを手に取った。
――私の方こそ、遅れてしまって申し訳ありません。私はもう聖女ではないので、どうかリゼットと呼んでください。
そう書いてみせると、ソフィーは少し躊躇ったようだが、笑顔で頷いてくれた。
「承知いたしました、リゼット様。私はこれからリゼット様のお世話をさせていただく、ソフィーと申します」
そう言って、丁寧に挨拶をしてくれた。
――こちらこそ、よろしくお願いします。
そう書いて、リゼットも頭を下げた。
一階にあるダイニングルームに案内されると、大きなテーブルに色々な料理が並んでいた。どれも手が込んでいて、とても美味しそうだ。
(こんなにたくさん……)
品数の多さに驚いていると、ソフィーはその理由を説明してくれた。
「毒を盛られてしまった方の中には、他人が作った料理が食べられない方や、一定の食材が食べられなくなってしまった方がいました。聖女様……。いえ、リゼット様が食べられるものがあれば良いのですが」
ソフィーは毒を盛られたリゼットのために、こんなにたくさんの種類を用意してくれたのだ。
一階は診療所のようになっている、とアルが言っていたことを思い出す。
他にもリゼットのように、毒を盛られて一命を取り留めた人が大勢、ここを訪れたのだろう。
――ありがとうございます。
リゼットはまず、感謝を書き記す。
――私の場合は食事ではなかったので、大丈夫だと思います。
そう書くと、ソフィーは安堵したように表情を和らげる。
本当に優しい人なのだろう。
――ただ、お茶は駄目かもしれません。
レイナと一緒にお茶を飲み、色々な話をする時間が、本当に好きだった。
だからこそ、お茶を見るとあのときのレイナの蔑んだ目を、憎しみの籠った言葉を。そして、喉を焼く痛みを思い出して、胸が痛くなる。
「……わかりました。お茶はお出ししません」
ソフィーはそう言って、リゼットの背を優しく撫でてくれた。
それから一緒に食べたいと言ったリゼットの希望をソフィーは快諾してくれた。
どれもおいしくて、少し食べ過ぎてしまったくらいだ。
食事が終わったあと、アルに呼ばれているそうなので、ソフィーに連れられて会いに行く。
彼は二階にある書斎にいるようだ。
ソフィーが扉を叩き、来訪を告げると、中から入室を促す声がした。
そこは窓のない広い部屋で、壁に沿って天井まである大きな本棚が並び、中には本がびっしりと並んでいた。
中央には大きな机があり、その上にはたくさんの本が重ねられている。
アルは本を閉じて、リゼットに座るように促す。
「体調はどうだ?」
そう尋ねられ、大丈夫だと書き記す。
「食事は?」
そう聞かれたのは、ソフィーだ。
彼女は、食べられないものはなかったこと。食欲はあったこと。お茶が飲めないことをリゼットの代わりに伝えてくれた。
「お茶が駄目か。まぁ、そうだな。それは仕方のないことだ」
リゼットが毒を盛られたときの話を聞いていたアルは、そう言ってくれた。
「俺の薬は薬草茶にすることが多いが、飲むのは無理そうだな。粉薬にすると飲みにくいから、少し工夫が必要か」
手間を掛けさせてしまって申し訳ないと思うが、薬草茶と聞いただけで手が震えてしまう。
あのときレイナは、薬草が入っているお茶だと言って、リゼットに毒を飲ませた。




