6.
王太子にアルと紹介されたのは、背の高い痩せた青年だった。
艶やかな黒髪は少し伸びていて、邪魔になったのか背後で括っている。
こちらを観察するかのように見つめている瞳は、藍色。
その視線は鋭く、少し怖いくらいだ。
動きやすそうなラフな服装をしているが、顔立ちは驚くほど整っていた。
リゼットは挨拶の代わりに頭を下げる。
「アル、彼女が聖女リゼットだ」
そう言われたアルは、軽く頷いた。
「詳しい話を聞かせてもらおうか」
ようやく片付いたテーブルに、アルと王太子が向かい合わせに座る。リゼットはどうしたら良いかわからず戸惑っていると、王太子が自分の隣の椅子を勧めてくれた。
恐縮しながらも、ゆっくりと腰を下ろす。
「少し薬草の匂いが籠っているな。窓を開けたらどうだ」
「好きにしろ」
アルがそう答えると、部屋の隅に控えていた王太子の護衛が、窓を開けた。
傾いた夕陽が、その窓から見える。
時刻は夕方のようだ。
アルはリゼットが自分の意志を語ることができるように、筆記用具を用意してくれた。
「地下牢からまっすぐにここに来たのか」
アルの問いに、王太子は頷く。
「ああ。おそらく王城内にも、教会の手の者は潜んでいる。まずは聖女を安全な場所に移すのが先だった」
「そうか」
王城に教会の者が入り込んでいることに驚いたが、それを聞いたアルは当然のように受け止めている。
王家と教会の仲は、あまり良くないようだ。
ずっと教会で暮らしていたのに、自分が何も知らなかったことに衝撃を受ける。
そんなリゼットの姿を見たアルは、表情を和らげた。
「彼女は、教会側ではないようだな」
「そうだ。教会が決めた称号などに意味はない。彼女は今でも聖女だ」
王太子は、はっきりとそう言ってくれた。
リゼット自身は、聖女の名に未練はなかった。今さら教会に戻りたいとも思っていない。
こうなったのは、何も知らなかった自分の責任でもある。
教会と王家との関係も、教会がリゼットを疎んじていたことも、レイナが自分を憎んでいたことも、何ひとつ知らなかったのだから。
けれど、まだ自分を聖女だと認めてくれる人がいる。
聖女はただの名誉職ではない。責任と義務が伴うものだ。
ならば自分も、簡単に手放してはいけないのではないか。
「治療する気になったか?」
決意を込めて視線を上げると、アルがそう言った。
彼はリゼットがあまり治療に積極的ではないことを、見抜いていたのだろう。
もちろん、声が元通りになれば嬉しい。
毒で倒れたときでさえ、もう誰も助けられないのかと嘆いたほど、リゼットにとって聖女であることがすべてだった。
でも、教会の在り方に疑問を持ってしまったリゼットは、以前と同じように聖女として活動していく自信をなくしていた。
だからこそ、声が元通りになって聖女に復帰することを、怖いと思ってしまった。
王太子はリゼットが治療を躊躇っていたことを知って、さすがに驚いた様子だった。
けれど、もうリゼットの覚悟が決まっていることを悟ったのか、何も言わずにいてくれた。
「君の声が出ないのは、毒のせいか?」
アルにそう尋ねられ、リゼットはこくりと頷く。
それは間違いない。
「場所は?」
――教会です。
渡された筆記用具で、そう書き記す。
「どうやって?」
――いつも奉仕活動が終わったあと、友人と休憩をしていました。
そのときのことを思い出すと、まだ胸が痛む。
けれど、きちんと伝えなくてはならない。
今は安全な場所にいるアンジェリカだが、レイナが再び彼女を狙わないとは言い切れない。
―友人はいつも、色々なお茶やお菓子を用意してくれて。その日も、喉に良いお茶だと言って、自ら淹れてくれました。
アルと一緒に、リゼットの書いた文章を覗き込んでいた王太子の表情が、険しいものになる。
「では、その友人が」
――はい。
リゼットは書く手を止めて、深呼吸をした。
気持ちを落ち着かせてから、その名前を書き込む。
――友人の名は、レイナ。
「レイナ? ルヘーニ伯爵家の令嬢か?」
驚愕した様子の王太子に、リゼットは静かに頷いた。
「ルヘーニ伯爵といえば、先代聖女の」
アルがそう問うと、王太子は頷く。
「ああ。先代聖女だけではなく、過去にも何人か聖女を輩出している家柄だ。レイナ嬢には残念ながら、聖女の力は宿らなかったと聞いていたが」
その後、レイナに聖女の力が現れたことを、王太子は知らない様子だった。
レイナの祖母だけではなく、他にも聖女になった人たちがいたのかと、リゼットは驚く。
聖女になった時点で、今までの身分は捨てることになっている。だから歴代の聖女の素性はあまり知られていない。
だからリゼットも、今までレイナが聖女の孫であることを知らなかった。
でもさすがに、王太子は把握していたようだ。
――レイナは、自分にも聖女の力はあるのに、私よりも遅かったせいで、聖女になれなかったと。
親友だと思っていた人に、毒を盛るほど憎まれていたことを思い出すと、胸が痛くなる。
「……無理はしなくても良い」
震える手で何とか書き続けようとしたリゼットを、王太子はそう言って労わってくれた。
けれど、狙われたのはリゼットだけではない。
今は安全な場所で療養しているアンジェリカに、レイナには気を付けろと伝えなくてはならない。
――レイナの目的は、聖女になることだけではありませんでした。




