3.
声は出なかった。
けれど、口の動きでリゼットの言いたいことは伝わったのだろう。
リゼットを嘲笑っていたレイナの顔が引き攣った。
「何よ。そんなことを言って私を動揺させようとしても、無駄よ」
そう言うと、地面に座り込み、上体を起こしてレイナを見据えていたリゼットを足で蹴る。
「……っ」
毒に侵されたリゼットは抵抗できず、そのまま倒れ伏した。
「あなたはもう何も話せない。たとえ他の手段で訴えたとしても、声を失った聖女の話を信じる者などいないわ。 処刑の日までの残り少ない人生を、せいぜい楽しむことね」
そう言って、倒れたリゼットをさらに蹴り飛ばす。
その衝撃に、リゼットの意識は急速に遠ざかっていく。
(駄目、ここで意識を失ってしまったら……)
聖女の力を使えば、まだアンジェリカを助けられるかもしれない。
そう思った途端、声が出ないことを思い出して絶望する。
(もう私は、誰も助けられないの?)
聖女ではなくなった自分に、存在価値はあるのだろうか。
そう思いながら、リゼットは意識を手放した。
それから数時間後に目を覚ましたリゼットは、暗闇の中にいた。
深淵の闇に包まれていて、何も見えない。
声だけではなく、視力まで失ってしまったのかと思って焦る。だがよく見ると、遠くに明かりが見えた。
もう喉の痛みはない。でも何度か声を出そうとしてみたが、掠れた声すらでなかった。
(ここは……)
足元には、冷たい石畳の感触。
手を伸ばすと触れるのは、鉄格子。
光も届かない闇の中。
自分のいる場所が地下牢であることを悟り、リゼットは唇を強く噛みしめた。
すべては、レイナの思惑通りに事が運んでしまったのか。
声が出なくても、たとえば筆談などで真実を訴えることはできる。 だがレイナは、聖女は罪を犯すと声が失われると言っていた。
聖なる歌声で奇跡を起こすのが、聖女である。
歌えなくなったリゼットはもう、聖女としても力を失ったことになる。
罪を犯せば、必ず罰が下る。
そう教えられているこの国で、声を失った聖女の話など、誰も信じてくれないのではないか。
リゼットは床に座りこんだまま、涙を流す。
せめて、アンジェリカだけは助けたかった。
突如、カツン、という音が響いて、リゼットは顔を上げた。
複数の足音が、こちらに近付いているようだ。
騎士たちが、取り調べに来たのだろうか。
リゼットは咄嗟に牢の一番後ろまで下がって、身構える。
王太子の婚約者を暗殺したのだとしたら、とても重い罪になる。その取り調べも、かなり厳しいものになるだろう。
無実を訴えたくとも、道具を与えられなくては何もできない。
少しずつ近付いてくる足音に怯えて、リゼットは両手をきつく握りしめる。
やがて足音だけではなく、ゆらゆらと揺れる光が見えてきた。先頭の人間は、ランプを持っているようだ。
そうしてリゼットの前に姿を現したのは、驚いたことに護衛騎士を連れた王太子だった。
(王太子殿下?)
彼が直接、こんな地下牢まで来るとは思わなかった。
驚きのあまり、リゼットは恐怖も忘れて彼を見つめる。
いつも穏やかな表情をしている王太子だったが、さすがに今は疲れ果てたような顔をしていた。
王太子である彼にとって結婚は政略だったが、アンジェリカとはとても仲が良く、相思相愛だった。そんな愛しい婚約者を亡くしてしまったのだから、焦燥しているのは無理もない。
けれどその瞳に、憎しみは宿っていなかった。
(まさか……)
リゼットの心に、希望が宿る。
もしかしたら、アンジェリカは一命を取り留めたのではないか。
彼はリゼットの牢の前で立ち止まる。そして中を覗き込むようにして、こう言った。
「寒くないか?」
優しい声でそう尋ねられ、リゼットは戸惑う。
こうして地下牢に入れられた以上、リゼットはもう罪人なのだろう。
そんな罪人に、王太子は気遣う言葉を口にしたのだ。
「こんな場所に閉じ込めて、すまなかった」
やがて王太子は、静かにこう言った。
「アンジェリカは、無事だよ」
「!」
告げられた言葉にリゼットは立ち上がり、縋るような瞳で王太子を見つめる。
「かなり強い毒が盛られていたようだが、優れた薬師のお陰で一命を取り留めた。今は王城の安全な場所で守られている。だから安心してほしい」
(ああ……)
リゼットは心から安堵して、咄嗟に両手を組み合わせ、神に祈りを捧げた。
(よかった……。本当によかった)
涙が頬を伝う。
そしてアンジェリカを救ってくれたその薬師にも、心から感謝した。
「目が覚めたアンジェリカは、絶対に君が犯人ではないと言っている」
リゼットが落ち着いた頃、王太子は状況を説明してくれた。
「だが、アンジェリカに毒を盛った教会のシスターは、聖女の命令だと証言した。そして教会の人たちも」
(教会の?)
首を傾げたリゼットに、王太子は頷く。
「教会の人たちは、君の仕業に違いないと証言している」




