16.
リゼットは慌てて部屋の外に飛び出した。
(火を、消さないと。何とかしないと……)
このままでは、薬草畑まで燃えてしまう。
毎日手入れをして、大切に育て、人々を救うための薬になる薬草が、燃えてしまうかもしれない。
だが一階に降りると、もうかなり火が回っていた。それでも裏口に回ろうとしたが、誰かに捕まえられる。
「リゼット!」
アルだった。
「怪我はないか?」
「はい。でも、薬草畑が……」
「あれではもう無理だ」
押し殺した声から、彼の苦悩が伝わる。
「それよりも、これを頼む」
そう言って渡されたのは、アルが王太子から預かった古い本。それには、各貴族の家だけに伝わる毒が書かれている。
「狙いは、この本かもしれない」
とても貴重な本だと言っていた。
リゼットは手渡されたそれを、胸に抱きしめる。
アルは周囲に延焼しないように、必死に消火活動をしていた。
そのうち周囲の人たちも駆け付けてくれて、手伝ってくれる。
近くに家がないのが、不幸中の幸いだった。
王城に連絡が行ったのか、途中から騎士たちも現れて、消火に加わってくれた。
しばらくしてようやく火が消し止められたが、家は一部が焼け、薬草畑にも燃え移ってしまったようだ。
「後始末は我々がいたします。人が集まってきましたので、こちらの馬車にお乗りください」
騎士のひとりがそう言って、リゼットとアルを馬車に乗せてくれた。
アルは、疲れた様子で目を閉じている。
火が消えて、気が抜けたのかもしれない。
リゼットはそんな彼に、ずっと寄り添っていた。
どこに向かっているのかわからずに乗った馬車は、夜明けの静かな王都を走っていく。
燃え残った書類や薬草は、騎士たちがすべて運んでくれるそうだ。
持ち出したのは、リゼットが手にした一冊の本だけ。
でもこの本はリゼットの声を完全に治してくれ、これからも多くの人たちの命を救うかもしれないものだ。
馬車が向かった先は、驚いたことに王城だった。
裏門から入って馬車を降りると、すぐに王太子が迎えてくれた。
「ふたりとも、怪我はないか?」
心配そうにそう尋ねる王太子は、慌てたのか部屋着のままだった。
「ああ。この本も無事だ」
リゼットが王太子にその本を見せると、彼は複雑そうな顔をした。
「すまない。この本のせいかもしれない」
「気にするな。命は無事だったんだから、またやり直せばいい」
アルはそう言っていたが、あの薬草畑には、とても貴重なものがあったことをリゼットは知っている。
何年も挑戦して、ようやく根付いたのだと嬉しそうに教えてくれたのだ。
でも、すべて燃えてしまった。
「今、詳細を調べさせている。おそらくルヘーニ伯爵家の手の者だろう。新聖女となった令嬢も、何度も歌っているがまったく奇跡を起こすことができない。ずっと体調不良だと言っているが、それも本当なのか疑われている」
「リゼットの声は、かなり回復している」
アルがそう言うと、王太子の視線がリゼットに向けられた。
「はい。皆様のお陰です」
王太子はリゼットの声を聞いて、心から安堵したように深い息を吐いた。
「そうか。よかった……。今年は不作だと言われている。色々と対策はしてきたが、最後は頼ってしまうかもしれない」
「……はい。それが私の務めですから」
リゼットは顔を上げる。
町での暮らしは、とても楽しいものだった。ずっとこのまま暮らしたいと願ったほどに。
教会の腐敗を知り、親友に裏切られ、聖女ではなくなったことに安堵を覚えたときもあった。
けれど、まだ自分に聖女の力が宿っているのなら、この国を守るために歌いたいと思う。
この国には、リゼットが初めて愛したアルが暮らしているのだから。
「今回の事件が解決するまで、王城の敷地内にある離れで暮らしてほしい」
王太子にそう言われ、リゼットはアルと顔を見合わせる。
「王城の敷地内に?」
「ああ。かなり奥の方にあるから、警備の面でも安全だ。庭も自由に使っていい」
王城の裏手に、その離れがあるそうだ。
そこは、自然が好きだった王妃のために何代か前の国王が作ったもので、庭もとても広いらしい。
王妃が使っていた場所なので、もちろん安全な場所である。
アルは体調を崩した人がいたらと心配していたが、診療所が燃えてしまったので、どちらにしても薬を販売することはできない。
「リゼットの安全のためには、そうするべきか……」
そんなことを言ったアルに、王太子はやや呆れたように告げる。
「お前も狙われていることを忘れるな」
リゼットも同意して、何度も頷く。
むしろ今回狙われたのは、アルの方だろう。彼が安全な場所にいるのは、リゼットとしても 安心だった。
「向こうの荷物はすべて運ばせる。他にも必要なものがあれば言ってほしい」
「わかった。ソフィーはどうなる?」
「彼女もこちらに通ってもらおう。夫のレッサ子爵にも許可を得ておく」
(レッサ子爵?)
ふたりの会話で、ソフィーが子爵夫人だと知って驚く。
子爵家とはいえ、貴族の婦人が町の診療所に手伝いとして通っていたことに驚くが、それは彼女の意志だったようだ。
「離れはすぐに住めるように掃除もしてある。今日はもう疲れただろうから、休んだ方がいい」
「ああ、すまない」
「何を。無理を言っているのは私の方だ」
侍女と騎士が来て、ふたりを離れまで案内してくれた。
離れに行くには、王城の中庭にある扉を通らなければならない。たしかに、外部から侵入することはできないような、安全な場所だった。
(大きな建物……)
派手ではないが、上品で美しい建物だった。
その寝室に案内され、侍女が着替えと浴室の準備をしてくれる。
少し灰を被ってしまっていたので、入浴してから着替えをし、それからベッドに入った。
「どうぞごゆっくりお休みください」
そう言って退出していく侍女の後ろ姿を見送っているうちに、さすがに疲れていたようで、リゼットはすぐに眠ってしまっていた。




