14.
やがて、歌が聞こえてきた。
レイナの声だ。
聞き覚えのある声に、過去の記憶が蘇りそうになる。
親友だと思っていた。
楽しかった過去は、今は冷たい刃のような鋭さで、リゼットの心に突き刺さる。
向けられた憎悪。
蔑みの視線。
それらを思い出しそうになって、リゼットは首を横に振った。
(今は歌を聞かないと。本当に、奇跡の歌なのか)
それを確かめなくてはならない。
一番隅にいるので姿は見えないが、聖女の歌はよく聞こえる。
そのはずだった。
(え?)
耳を澄ませば、微かに歌声は聞こえてくる。
けれど、人々のざわめきにかき消されてしまい、ほとんど聞こえてこなかった。
「聞こえないな」
「うん、全然聞こえないよ。前の聖女様なら、王都内ならどこにいたって、歌声が聞こえてきたのに」
周囲の人たちも、不安げにそう囁いている。
たしかにリゼットの歌声は、王都中に響いた。
どこにいても聞こえるその声こそが、他の歌とは違う聖女の力であった。
けれどレイナの声は、たしかに広いとはいえ同じ場所にいるのに、ほとんど聞こえてこない。
「……あれは、駄目だな」
茫然としているリゼットの隣で、アルがそう呟く。
「聖女の歌声じゃないぞ」
「本当に大丈夫なのか?」
そんなアルの声が聞こえたのか、周囲の人たちがさらに騒ぎ出した。
異変を感じた教会の人たちが、こちらに向かってくる。
「行こうか」
それを目敏く見つけたアルが、リゼットの手を引いてそう言い、リゼットも頷いた。
いつの間にかレイナの声は、まったく聞こえなくなっていた。ここにいても、騒ぎが大きくなるだけだ。
ふたりは一足先に広場から抜け出し、診療所に戻ることにした。
帰りを待っていたソフィーに事情を説明すると、彼女は困惑したように首を傾げる。
「それは、大丈夫でしょうか?」
「駄目だな。あの聖女では、奇跡を起こすことなど無理だ。最初から聖女の力など持っていなかったのか。それとも、罪を犯して聖なる力を失ったのか。どちらでもありそうだな」
ローブを脱ぎながらアルがそう言ったが、ソフィーは首を横に振る。
「いえ、そのことではなく。先ほど近所の方に聞いたのですが、広場は暴動になって、新しい聖女は逃げるようにして教会に戻ったそうです」
「そうだろうな。あれでは暴動に……」
「話を聞いた限り、そのきっかけはアル様のひとことでは」
「……」
無言になったアルは、ちらりとリゼットを見た。
リゼットとしては、ソフィーに同意するしかなかった。
誰もが思っていたことではあるが、最初に駄目だと口にしたのは、たしかにアルだった。
「……そのローブ、処分しておいてくれ」
アルはそう言うと、そのまま部屋の奥に消えていった。
リゼットはソフィーと顔を見合わせて、思わず笑ってしまう。
でも笑いごとではないのは、よくわかっている。
レイナの歌声は、聖女のものではなかった。
もし彼女が罰を受けるのなら、それは自業自得である。
けれど、今年は寒い日が多い。
もし作物に影響が出てしまえば、聖女の力が必要となる。
枯れた植物さえ蘇らせる、奇跡の歌声が。
それが叶わなかった場合、被害を受けるのはこの国に住む人たちだ。
着替えをして自分の部屋に戻ったリゼットは薬をひとつ、口にする。
その日のために、声を取り戻さなくてはならない。
教会は、聖女は体調不良だったと発表した。
まだ聖女になったばかりで力が安定していない上に、体調も優れなかった。それでも人々のために歌いたいと、無理をしたのだと。
「たしかに、そう発表するしかなかったと思うが」
そう言ったアルは、開いていた手紙を机の上に置いた。
ある朝の、問診の時間だった。
「セザールも新聖女の歌を聞いて、このままではまずいと思ったらしい。君の声の調子はどうかと、尋ねてきた」
あの場には、王太子のセザールも同席していたらしい。
「す、すこしなら」
何度か深呼吸をしたあと、リゼットは慎重にそう言った。
「声が、でるように、なりました」
薬を服用してから、十日目。
効果は抜群だった。
昨日あたりから、少しずつ声が出せるようになっていた。
まだ発声しにくいが、声が潰れることもなく、以前と同じような声が出たことに感激した。
「そうか」
それを聞いたアルは、安心したように頷く。
「そろそろだと思っていたが、順調でよかった。ただ、もう少し声を出すのは我慢した方がいい。負担を掛けず、綺麗に治すためだ」
リゼットは素直に頷く。
声は出るが、まだ違和感がある。もう少し休ませた方がいいと、自分でも感じていた。
「それに、セザールに聞いた話だが、教会の人間がこの周辺をうろついているようだ」
(教会の?)
何が目的なのだろう。
またアルが狙われてしまったらと思うと、怖くなる。
「実は先日、アンジェリカが、正式に表舞台に復帰した」
それは良かったと、リゼットは胸を撫で下ろす。
だが、アンジェリカに致死量の毒を盛ったのはレイナだ。
その毒がどれだけ強いものか、ルヘーニ伯爵家でもよく知っている。
「教会はこの間のことで、診療所を王太子が支援していたことを知った。それで、俺がアンジェリカを治したのではないかと思ったらしい」
アルの腕が良いことは、風邪が流行したときの薬で、教会側も思い知ったことだろう。
「君がここにいると知られると、危険かもしれない。不自由かもしれないが、しばらくは二階で過ごしてほしい」
――わかりました。
リゼットはすぐに承知した。
心配なのは自分のことよりも、教会に目を付けられてしまったアルのことだ。
彼ならば、リゼットの声も治せるのではないか。
そう思われたら、危険なのはアルの方だ。
だが彼は、リゼットのことばかり気にしている。
それが少し、もどかしかった。




