公国の姫、瘴気に侵されし黒きドラゴンと対峙する
大陸の西寄りに位置するマシュカ公国の中央には、広大で深い森がございます。
わたくしマグダレーナは今、公国の姫として、この森から湧き出る狂った魔物たちに対応しているのでした。
森林の中央部は古来より魔物たちの住処となっています。
森は豊かで、彼らはそこで悠々と暮らしてきました。
最奥からは常に魔素が生まれ、それが魔物たちの営みを助けているのです。
ところが、魔素は濃くなりすぎると毒を持ち、瘴気となってしまいます。
それが限度を越えると、魔物たちが狂ってしまうのです。
結果、百年に一度のスタンピードが起き、森の外へと彼らがあふれ出してくるのでした。
そもそも公国は、この森林を管理しスタンピード対策をするために作られました。
元は隣国の王領だったのですが、魔物被害が広がれば大陸中の国に影響が出てしまいます。
そのため、魔術が得意で魔力も豊富な王族を立てて公国とし、他国からも支援を得る体制が作り上げられました。
記録によれば、スタンピードが起こるたびに魔物の数は増え、凶暴さも増しています。
父である公爵から今回の前線責任者を任されたわたくしは、無事に帰ることはできないかもしれないと秘かに覚悟していました。
魔物への対処を始めた五百年ほど前には、森からあふれ出たものを退治すれば、それ以上被害が広がることもなかったそうです。
けれども、今では森の奥まで進攻していかなければ、いつまで経っても狂った魔物が飛び出してくるのでした。
浄化の術を持たないため、殲滅するしか手段がありませんが、迷っていたら人間のほうが根絶やしにされかねません。
救いがあるとしたら、森さえ残ればそこに満ちる魔素から、やがてまた魔物が無垢なままで生まれてくることでしょうか。
スタンピードの対応も最終局面。
わたくしは親衛隊員たちに助けられながら、魔術による攻撃を続けていました。
たくさんの狂った魔物たちを倒してきましたが、最後に残ったのは瘴気に染まった黒いドラゴン。
これまでの記録にはスタンピードでドラゴンが出てきたことはありません。
おぼろげに存在が確認されていた大森林の主ともいえるドラゴンは、百年程度の瘴気には耐えられるのでしょう。
おそらく、千年以上を生き抜いた結果、大陸を滅ぼしかねないほどに狂ってしまったと思われます。
重力を操るドラゴンは岩や大木さえ軽々と投げつけてきます。
勝敗の行方はまだ見極められませんが、たくさんいた親衛隊員も最後の一人が力尽き、その場を離れました。
生き延びられるうちにお逃げなさいと、日ごろから言い聞かせてきた彼ら。
出来るだけ多くの命に助かってほしいと思います。
けれど、わたくしは逃げられない。
相打ちになったとしても、ドラゴンを倒す可能性を持つのはわたくしだけ。
マシュカ公国の姫として日々、研鑽を積んだわたくしに倒せなければ、現世では誰にも出来ぬ仕事です。
大陸中の火力を集めて攻撃すれば倒せるかもしれませんが、その後には草木も生えぬ大地が残るのみ。
いよいよとなれば、自分ごとドラゴンを封印するつもりでした。
そのための魔術は、わたくしの身体に直接書き付けてあるのです。
……もう魔力が尽きかけています。
やはり、ドラゴンは倒せなかった。
最後の手段です。
わたくしが念じると、まとっていた全ての衣類や装飾品が消え去ります。
それらは魔力に変換され、最後の呪文を発動させる助けとなるのでした。
わたくしがその眼前に浮かび上がりますと、先ほどまであらゆるものを投げつけていたドラゴンの動きが止まりました。
そして、わたくしをじっと見つめるのです。
早くしなければ、最後の手段も使えなくなる。
焦ったわたくしですが、ドラゴンはずっと止まったまま。
その目を見れば、先ほどとは違い、狂気が薄れているように感じます。
もしかして、とわたくしは一縷の望みをいだきました。
「森の主よ、戦いをやめることはできますか?」
わたくしは訊ねました。
『た、たたかい、だ、と?』
ドラゴンは周囲を見回しました。
荒れ果てた森、焼け焦げた木々。
瘴気に飲み込まれた魔物は魔素に分解されてしまったし、正気だった魔物は全て森の外に逃げ出しています。
しばらく経つと、状況を理解したようです。
それからドラゴンは、わたくしの身体をじっと見つめました。
『……お前のその、身体に書かれているのは、封印の魔術か?』
「そうです。
百年に一度のスタンピードについての記録は残されてきたのですが、ドラゴンが瘴気に侵された場合の対処については、なにも手掛かりがありません。
それで、わたくしの力と知識が及ぶかぎりの最上級の封印の魔術を作り出しました。
わたくしが失敗したときは、大陸中の軍隊があなたの相手です。
でももし、封印が効くのならば、一緒にこの森で眠りにつきましょう」
『……お前が犠牲になることは無い』
「え?」
『もともと俺は、瘴気を浄化するためにこの森につかわされた者だ』
「創造神に直接つかわされたということですか?」
『ああ、もう何千年……何万年?
けれど、だんだんとその仕事が億劫になっていき瘴気が溜まっていった。
そして、時には森の外へ魔物が溢れるようになったのだな』
何万年もの間、神から命じられた仕事ひとすじに。
それはおそらく、ずっと孤独なままで……
「一人ぼっちで寂しかったのではありませんか?」
自分にしかできない使命を背負って、その大きさゆえに誰にも相談できない、誰にも頼れない。
その寂しさなら、わたくしにも少しわかります。
過去の記録だけを頼りにスタンピード対策を練り、魔術の研究を続けてきたわたくしも、ふと立ち止まれば孤独感に苛まれることがあったのですから。
『寂しい? 俺は寂しかったのか?
それで、仕事を疎かに?
ハハハ、ドラゴンに生まれながらなんとひ弱な心だ。
いっそ、神に罰していただくべきだな』
「罰だなんて。
長きにわたり、ずっと神に託された仕事をなさってきたのですもの。
今回だって、屠った魔物には悪いけれど、人間側に被害はなかったのです。
戦闘に参加した者たちも、倒れる前に皆、森の外へ戻しました」
『そして、お前ひとりが犠牲になる覚悟でここにいるのか』
「はい……は、く、クシュン!」
『これをまとえ』
ドラゴンは一枚の鱗を自分の身体から剥がすと、手触りの良いローブに変えて、わたくしに差し出しました。
「ありがとうございます。
……まあ、なんて温かいのかしら」
孤独で優しいドラゴン。
何か彼のためにしてあげたいという思いが、わたくしの中に芽生えます。
『お前の美しい裸体が隠れてしまうのはもったいないが、風邪をひいてはかわいそうだからな』
はい? なんですって?
美しい、はお世辞だとして、裸体とかおっしゃいましたか?
『瘴気で狂ったドラゴンを正気に戻すほどの裸体だ。
清純なる乙女の裸体が、我を正気に戻したのだ。
ありがたいことだ』
裸体裸体と繰り返されるのを恥ずかしく思いながら、わたくしは努めて冷静に訊ねました。
「……ドラゴンという存在は……乙女の裸体を好むものなのでしょうか?」
我ながら何を口にしているのでしょう?
ちっとも冷静ではないかもしれません。
周囲に耳がないことが幸いです。
『同胞など会ったことがないからわからない。
ただ俺にわかるのは、お前は気高く美しい乙女だということだ』
数万年の孤独の澱が、わたくしの裸体一つで浄化されたのでしょうか?
研究に研究を重ね、苦労に苦労を重ねて練り上げた封印魔術はいったいなんだったのか。
それでいいのでしょうか、神様!?
そして、そんなことより、この知性あふれるドラゴンを強いだけの魔物と認識していた自分が急に恥ずかしくなりました。
魔物と戦い、ドラゴンを封印するためだけにまい進してきたわたくしは恋を知りません。
異性に裸を見られることが恥ずかしいことだというのも、今知ったばかりです。
混乱するわたくしの前で、すっかり落ち着いた様子のドラゴンは、やがて人の姿になりました。
「お前はこの姿なら、俺と共にいてくれるか?」
見たこともないような、美しい男性でした。
逞しく穢れなく、一度見たら目を離せないような。
ただ、その瞳は正気に戻った時から変わらず、不安げに揺れていました。
「えーと、あの、もしかして……それは求婚ということでしょうか?」
「俺の妻になってくれるのか?」
わたくしは魔術研究と訓練一筋の人生で、見られる容姿なのに中身が残念などと陰口をたたかれたことも幾度もあります。
大陸一の魔術の腕を持つわたくしです。
まともにやりあって勝てる男性はほとんどいないので、正面切ってけなされたことは無いのですが、男性から求められるような魅力が自分にあるという自信がありません。
「わたくしは、つまらぬ女です」
「そんなことはない。
我が身を犠牲にする高潔な魂と、最後まで相手を見極めようとする冷静で公正な心構え。
神に求められたとしても不思議ではないほどの存在だ。
いや実際に神に求められたら、俺が困るが……」
ほ、褒め過ぎではないでしょうか?
凄すぎて怖いとはよく言われてきましたが、褒められたことなど今までありませんでした。
「わたくしには婚約者もおりませんし、お話をお受けするのに不都合はないのですが、一度森の外へ出て、公国を統べる父に許可を得ませんと。
それに、今回の瘴気問題が解決したことの報告もしなくてはいけませんし」
「では、俺もついていこう」
「え?」
「今のお前は、すっかり闘志をひそめてしまっている。
そこを侮る男に付け込まれては大変だ」
「は、はぁ」
言い寄られたことなど一度もないわたくしは、あまりピンときませんでした。
けれど確かに、彼を連れて行けば説明がしやすくなりますし、説得力も増すでしょう。
万一、ドラゴンに危害を加えようという輩が現れたら、わたくしがなんとでも出来るでしょうし。
もちろん、他の女性が彼の気を引こうとした場合も……。
「おや、今何を考えた?
一瞬、闘気が燃え上がったようだが」
「あら、そうでしたか?」
どうやら、ドラゴンである彼に隠し事は通用しません。
では、自分の気持ちに正直になって、打ち明けることにしましょう。
「わたくしも、貴方のことを好もしく思います。
もしも、父に婚姻を反対されたら、わたくしの封印の魔術を使って、森の中へ一緒に引きこもることにいたしましょう」
わたくしには、人間と魔物の戦いで疲れ切った森が癒えるまで、手を貸す責任があります。
封印の魔術に少し手を加えれば、広い森を強力な結界で覆うこともできるでしょうし、そこで彼と新しい森を育んでいけばいいのです。
「お前はそれでいいのか?」
「ええ。貴方が隣にいてくだされば、きっと幸福でしょうから」
森の外のキャンプまで、一緒に魔術で飛びました。
見知らぬ男の姿に、親衛隊員たちは一瞬緊張します。
けれど笑顔のわたくしが、しっかり彼と手を繋いでいるのを見て、気が抜けたようです。
「おかえりなさいませ、姫様」「ご無事でようございました」
「ただいま! 皆もありがとう。
おかげで瘴気に狂った魔物は全て、殲滅されました」
「……そちらの方は?」
意を決した一人が訊ねてきました。
「今後の、森の瘴気対策に力を貸してくださる方です」
「……なにゆえ、手を繫がれていらっしゃるのでしょう?」
わたくしは本当のことだけ告げることにします。
「心が通い合ったので」
呆気にとられた親衛隊員の前で、彼は朗らかに声を上げて笑い始めました。




