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「あら久しぶりじゃない、ユーフィア。てっきりどこかで野垂れ死んでいるかと思ってたわ」
嘲りを宿した声で会って早々そんなことを言うクーヴィアに対して、ユーフィアはより一層、表情を歪めて口を噤む。
その反応を楽しむような邪悪な笑みを顔貌に刻んだクーヴィアがユーフィアの頭から足元まで視線を動かしてから更に言葉を継いだ。
「久しぶりに会ったと思ったら、何その分不相応な服は? もしかして盗みでも働いたのかしら?」
ユーフィアが着ている桔梗色の上等なワンピースを見て、クーヴィアは小馬鹿にするような口調で問いを投げつけた。
謂れのないことを言われたので、流石に黙ってられなくなったユーフィアは小声で、
「盗みだなんて、わたしそんなことしてな――」
「嘘つきユーフィア」
ユーフィアが絞り出そうとした否定の言葉はクーヴィアの一方的な声に遮られてしまう。
「というか何故、外に出ているの? もしアレが周知されたら、侯爵家にどれだけ迷惑がかかるかわかってるわけ? お父様もお母様も能なしのあなたが自分の病気について吹聴してるんじゃないかと気を揉んでいるのよ」
『アレ』とは奇蝕病のことだろう。
忽然と侯爵邸から姿を消して心のどこかで心配かけているのではないかと申し訳なく思っていたユーフィアであった。
が、たった今、そんな気持ちは霧散した。
実姉も両親もユーフィアのことを案じてなどいない。
自分たちの心配しかしていない――。
俯き押し黙ったユーフィアが気にくわなかったのか、クーヴィアが不機嫌そうに、
「ちょっと黙ってないで、何とか言ったら」
と言い放って、肩を小突いた。
よろけたユーフィアはそこでふと自分のやるべきことを思い出した。
こうしている間も、セオが魔族と闘っているかもしれないのだ。
(詰め所に行かなきゃ……!)
ユーフィアは勇気を振り絞って、
「お姉様、ごめんなさい。わたし行くところがあるので……」
弱弱しく言うや否や駆け出した。
しかし横を通り過ぎようところでユーフィアの腕をクーヴィアがむんずと掴んだ。
「一体、どこに行くつもり!? あなたが行くべきなのは侯爵邸でしょう」
「……!」
クーヴィアの鋭い視線に射竦めユーフィアはどうしたらいいかわからなくなって唇を噛んだ。
すると、ずっと傍観していた木賊色の髪の少年が口を開いた。
「クーヴィア、落ち着いて」
宥められたクーヴィアが機嫌の悪い顔を少年の方に向けた。
「何よ、レギー? まさかあなた、こんなどうしようもない人間の肩を持つつもり?」
「違うよ、クーヴィア。ボクは君の心配をしているんだ」
しかめっ面を向けられてもどこ吹く風と言った感じでやんわり否定したレギーはユーフィアの首元を一瞥して、こう続けた。
「この子、奇蝕病の罹患者みたいだから、無闇に触れない方がいいんじゃないかと思ってね」
「!」
レギーの言葉に瞠目したクーヴィアがユーフィアの腕を手を離して、相貌を憤怒に染め上げた。
「私を怒らせて、奇蝕病を伝染そうって魂胆だったのね、この性悪女!」
「……っっ!!」
どうしてそういうことになるのか。
胸が痛む中、ユーフィアは意識がどこか遠くにいくような感覚に襲われた。
「この愚かしい妹を運ぶ馬車を出しもらってもいいかしら?」
「ああ、もちろん構わないとも」
レギーと言葉を交わしたクーヴィアがユーフィアに目を戻す。
「あなたがトルソン侯爵邸をどうやって脱け出したのか知らないけど、もう二度と敷地の外に出れないように次から檻の中に入ってもらうわ」
「……ぇ」
予期せぬ言に驚愕と絶望をない交ぜにした表情を浮かべたユーフィア。
姉の発言を引き継ぐようにレギーが言う。
「さあ君をトルソン侯爵邸に送る馬車の用意ができるまで、ボクの邸でゆっくりして」
このまま連れて行かれたら、貴族街でセオが魔族と交戦していることを討魔族隊の人間に伝えられないし、また元の生活に逆戻りだ。
いや、逆戻りどころか、もっと酷くなるだろう。
そしてもう二度とリアムに会えなくなる――。
「い、いや……」
頭を横に振り、ユーフィアは怯えて一歩後退った。
「ほら我儘言わないでさ」
レギーがユーフィアの腕をガシっと掴む。
ユーフィアは必死に振る解こうとするが、男の膂力に敵わず解放は叶わない。
「こらこら暴れるなって」
呆れと嘲りを混ぜこぜにした語調で言うレギー。
「ああ、楽しっっ」
泣きそうな顔で暴れているユーフィアを見たクーヴィアは邪気に満ちた小声を漏らす。
「離して、ください……っっ!」
「ああ、面倒だな。いい加減、大人しくしろよ」
解き放たれようと足掻くユーフィアの首を、レギーは空いた手で力強く掴んだ。
「うぐっっ」
苦鳴がユーフィアの唇の隙間からこぼれる。
呼吸ができない。
狭くなっていく視界が霞む。
意識が混濁していく中、ユーフィアは心中で
『誰か助けて!』
と叫んだ。
その時であった。
「痛っっ」
レギーの声が鼓膜を震わしたのとほぼ同時、息ができるようになったユーフィアは後方に倒れそうになった。
が、誰かに抱きとめられた。
――この大きくて、優しくて、温かい手をわたしは知っている。
欠乏していた酸素を早く取り込もうと息を荒げながら、ユーフィアは靄がかかったような視界の中で横から顔を覗き込む金髪の少年を捉えた。
「大丈夫か、フィア?」
憂慮の濃い声色で問われたユーフィアは青空を閉じ込めたような双眸をぼんやりとした視野で認めて、消え入りそう声を出す。
「……リア、ム」
「ああ、リアムだ。もう大丈夫だから安心しろ」
リアムが微笑みを送ると、安堵に包まれたからかユーフィアは気を失った。
一呼吸挟んでから、リアムは気絶しているユーフィアから頬を硬くしているレギーと不愉快と言わんばかりのクーヴィアを炯々(けいけい)と光る瞳を向けて言い放つ。
「貴様ら、俺の婚約者にこんなことをしてどういう了見だ?」