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程なくして侍女長のベラがユーフィアの食事を用意ができたと言い、洒落たワゴンを押して入室した。
敬語抜きという要望をかなえるためフランクに喋ろうという心持で、ユーフィアが口を開く。
「ありがとう、ベラ」
やや硬い声になってしまったが、ちゃんと言えた。
心の中で小さくガッツポーズするユーフィア。
その心中を察したかのようにベラが微笑を浮かべて、
「いえ」
と短くも朗らかな声で応じた。
彼女と上手くやっていけそうだと安堵したユーフィアの頬が緩んだ。
「では私はこれで失礼します」
リアムから含みのある視線を送られたマイラが折り目正しく一礼して部屋を辞した。
出ていったマイラの唇がわずかに緩んでいたような気がしたユーフィアはふと気づく。
再び、リアムと二人きりになったことに――。
鼓動が徐々に速くなっていく。
意識しちゃダメ。
そわそわしたり顔を赤くしたら、からかわれるに決まってる。
平常心平常心。
ユーフィアは浮つく気持ちを誤魔化すために、カートの上にある粥の入った皿に目を向けて、
「早速、食べようかな」
またお腹が鳴ってしまう前に。
なんてことを考えながら、ユーフィアがベッドから立ち上がろうとした、ちょうどその時。
「俺が食べさせてやるから、フィアはじっとしてろ」
「へ……?」
言葉の意味が脳内で処理できずに、間の抜けた声が唇の隙間から漏れ出た。
「おまえは俺の婚約者なのだから遠慮するな」
さも当然といった風に言うリアムを余所に遅まきながら、先の発言の意味を咀嚼することができたユーフィアが胸の前で両手を振って、
「いやいやいや、大丈夫です! 自分で食べられますからっ!」
これは強がりなんかではなく、セオが掛けてくれた治癒術のおかげで食事をとることぐらい造作もなくなったのだ。
それに――。
ユーフィアは口を開けてリアムに粥を食べさせてもらう自分を想像した。
無理無理無理!
心臓が壊れる、絶対!
胸中で叫ぶユーフィア。
その顔は既に赤くなっており、それを見たリアムがニヤッと笑って、
「口では断っていたが、どうした? 顔が赤いぞ」
「べ、別に食べさせてもらう想像とかしてない!」
「それ、ほぼ自白してるようなものだぞ」
「~~っっ!!」
図星をつかれて悔しいし、なにより恥ずかしい。
更に顔貌を赤く染めるユーフィアにリアムが皿とスプーンを手に取って、楽しそうに言う。
「何にせよ、おまえに拒否権はない」
「お、横暴です!」
「うるさい。この邸の主である俺の命令は絶対だ。観念するんだな」
一旦、言葉を切ったリアムはスプーンで粥をすくった。
「ほら口、開けろ」
近づいてくるスプーン。
心臓が破裂しようだったが、覚悟を決めて、ユーフィアは目を瞑り、口を開けた。
口内に粥が広がるが、ドキドキしているせいで味なんて分からない。
照れるユーフィアが嚥下するのを認めたリアムは二口目をすくい、今日一番の悪戯心を露わにした顔を浮かべた。
「今度は口移しで食べさせてやろうか?」
「っっ!?」
何言ってんの、この人!?
そんなことさせたらホントに心臓がもたない。
丁重にお断りしなければと思うも、全身が熱くて言葉が出てこない。
「いや、そのっ、それは流石に無理というか、えっと……」
しどろもどろになりながら、必死にブンブンと首を横に振って意思表示したユーフィア。
「安心しろ。冗談だ」
「で、ですよねぇ」
心臓が爆発するようなことにはならないみたいだ。
ユーフィアはホッと胸を撫で下ろしたが、それは束の間のこと。
リアムは青空を閉じ込めた瞳でユーフィアを見据えて、有無を言わせぬ口調で告げた。
「だがいつかする時がくるかもな」
「あ、えと……はい……」
含みのある言い方。
ドキドキが止まらず、身を小さくしたユーフィアはこくんと頷く。
このままじゃ近いうちに心臓がどうにかなっちゃうのでは――。
その後もリアムが食べさせてくれたおかげで、ユーフィアの心臓は完食するまでずっと大暴れしていた。
「この邸で生活するにあたって、何か欲しいものはあるか?」
食事を終えてしばらくした時、ふとリアムがユーフィアにそんなことを尋ねた。
「欲しいものかぁ……」
ひとしきり思案したユーフィアはハッと思いつき、それを遠慮がちに口にする。
「天聖術に関する本が読みたいかな……できたらでいいんだけど」
ガルシアス学院の入学試験も近いのだから勉強しなければならない。
そんな考えからの発言だったのだが、リアムは微妙な表情。
「おまえ、ガルシアスを受けるつもりか? こんな状況で」
「あ……っ」
リアムに問われて初めてユーフィアは己が置かれている状況を自覚した。
侯爵邸を無断で離れ、奇蝕病に罹っている。
こんなことでは合格しても、学費や病などの問題から学院に通うことはできない。
それに奇蝕病を発症している人間が入学試験を受けに行くこと自体、周りの受験生の迷惑になるだろう。
――今、天聖術について勉強しても意味があるとは思えない。
顔貌に苦さを滲ませたユーフィアにリアムは静かに問う。
「仮に奇蝕病が治ったら、フィアは何がしたい?」
「ぇ……」
考えたこともないことを聞かれて、ユーフィアは虚を衝かれた。
奇蝕病は不治の病。
実際、治ったという話を一度も耳にしたことがない。
だから発病してから今日までユーフィアはもし治ったら、と想像したことがなかった。
どちらかというとどうせ治らないから期待しても仕方がないと考えないようにしていたといった方が正しいかもしれないが――。
「もし……病気が治ったら……」
一旦、言葉を止めたユーフィアは自分のやりたいことが何かを考えた。
すぐに答えは出て、再び、唇を開く。
「学院に通いたい。それで友達を作ったり、いっぱい勉強したい」
「そうか」
ユーフィアの答えに満足したのか、リアムが唇を綻ばせて、更に続けた。
「フィアがガルシアス学院を受験する予定なのは親の意向だろ? おまえ自身はどこに行きたいんだ?」
「そ、それは……」
リアムの声音はこちらがガルシアス学院ではなく別の学院行きたいと思っていることを知っているような調子だった。
いや、違う。知っているような、ではない。
リアムはもう既に知っているのだ。
ならば、隠していても仕方がないだろう。
ユーフィアは一呼吸挟んでから、誰にも打ち明けたことのない本音を吐露した。
「本当はガルシアス学院じゃなくて、エンペティオ学院に行きたい」
ガルシアス学院と同じく王都にあるエンぺディオ学院。
ただその校風は正反対。
ガルシアスが規律を重んじる一方、エンぺディオは自由を重んじていて、関係者は互いにライバル校として意識しているのだ。
色々なことを学びたいユーフィアはエンぺディオが合っているし、行きたいとも思っているのだが、合格難易度がガルシアスよりもエンぺディオの方が高い。
それ故、もし奇跡的に奇蝕病が治ったとしても天聖術を全く使えないユーフィアが合格するのは無理な話で――。
「……わたしなんかがエンペディオに通えるわけないだけどね……」
遣る瀬無い悔しさや悲しみがない交ぜになった声を落としたユーフィア。
こんなこと言ったってどうにもならないし、リアムを困らせるだけなのに……。
呟いたことをひどく後悔したユーフィアが苦々しい顔を浮かべて伏し目がちになった。
しばしの静寂の後。
重苦しい空気にしてしまった自分を呪ったユーフィアにリアムが強い意志を感じさせる声で言葉を紡ぐ。
「いや、おまえがエンペディオに通う、そんな未来も確かにある。ただそれが実現するかどうかは俺にかかっている」
「わたし、じゃなくて、リアムに……?」
リアムは力強く顎を引いた。
「だから数日の間、邸から出ずに俺の帰りを待っていてくれ」
具体的な話はされていないし、分からないことだらけだ。
けれど、リアムの双眸が真剣な光を湛えていたので、信じようとユーフィアは思った。
「わかった。リアムの帰りを待ってる」
「ありがとう」
礼を言ったリアムと二言三言交わしたユーフィアは彼と共に部屋を出た。