5
時は今さっき太陽が南中した頃。
「……むにゃ」
豪華の寝台の上で覚醒したユーフィアは上体を起こして、欠伸するのを堪えながら寝ぼけ眼を擦った。
「起きたか」
「!?」
驚愕に瞠った瞳を声がした方に向けると、リアムがベッドの傍に立っていた。
「ななな、なんで部屋にいるの!?」
「なんでって、おまえの可愛い寝顔を見たいからに決まってるだろ」
「――っ!」
無防備な姿を見られた上に朝から歯が浮くような発言を受け、ユーフィアは真っ赤にした顔を両手で覆う。
すると、リアムはニヤリと笑った。
こちらの反応を見て楽しんでいるのではないかと思いつつ、落ち着けと言い聞かせるように吐息したユーフィア。
「よく眠れたようだな」
久しぶりにベッドで眠ることができて幸せだったので、ユーフィアはおかげさまでね、と素直に言った、ちょうどその時。
ドアをノックする音が響き、ユーフィアが昨日聞いた声がした。
「ベラです」
「入っていいぞ」
リアムが入室許可を出すと、扉が開かれて、姿を見せたのはベラ。
「おはようございます、ユーフィア様」
「あ、おはようございます、ベラさん」
若干、ぎこちない口調で言葉を返すユーフィアにベラは礼儀正しい姿勢を崩さずに、
「僭越ながらユーフィア様、どうか私や他の使用人に敬語をお使いにならないでください」
「……あ、わかりま――わかったわ」
懇願の色を含んだベラの声にユーフィアは完全に納得したわけではなかったが理解を示した。
「フィアも起きたことだし、彼女に何か食べさせてやってくれないか。俺はセオを呼んでくる」
セオって誰だろう。
疑問を浮かべたユーフィアだったが、それを口にすることなく。
「承知致しました」
ベラが慇懃に了解を示した。
その時だった。
「呼びましたか、リアム様」
緩い声と共に扉を開けたのは浅葱色の長い髪を低い位置でゆったりと結んでいる少年。
リアムの着ている騎士服と色合いが似たローブをまとっている。
青年はわたしはこれで、と言って退室するベラと入れ替わるように入室した。
そんな彼をリアムは睨んで、
「呼んでないから出ていってくれないか。フィアがまだ起きたばかりで負担を掛けさせたくない」
「ヒドイなぁ、まるで僕の存在がフィアちゃんの負担になるみたいな言い方しちゃってさ。すっごく傷ついた。癒して、リアム様」
「断る。第一、こんなことではおまえは傷つかない」
「決めつけはよくないよ。人間っていうのは知らぬ間に他者を傷つけているものなんですよ。――あれ? びっくり! 僕がまともなこと言ってる! 褒めて、リアム様」
「いいから黙れ」
きっぱりと拒否して嘆息したリアムはユーフィアに視線を移す。
「コイツはセオ。見た通りヘンな奴だが、仲良くしてやってくれ」
今ほど思い浮かんだ疑問が解消されたユーフィアはベッドの上で上半身を起こしたままニコニコしているセオを真っすぐ見た。
「はじめまして、ユーフィアです」
「こちらこそどもども、セオです。フィアちゃんのことはリアム様から色々、聞いているよ。たとえば君がリアムの婚約者であることとか、奇蝕病に罹っていることとか、とかとか」
「は、はあ」
早口で語るセオに少々、気圧されるユーフィアにリアムが言葉を継ぎ足す。
「セオは討魔族隊に所属する、治癒術を得意とする天聖術師。それで今日は診察してもらうために来てもらった」
「診察……」
リアムの言を受け取り、ユーフィアが先日、発現した首の赤黒い痣を反射的に手で触れると、セオはうんうんと頷く。
「そゆこと。それじゃ、フィアちゃん。早速、痣の部分が見せてもらってもいいかな?」
「は、はいっ」
ユーフィアは寝台に寄ったセオに首の痣を見せた。
「……」
先ほどとは打って変わって真剣な表情で枝分かれした痣を観察するセオ。
「ちょっと失礼するね」
軽薄ではない声でセオに問われ、ユーフィアは小さく頷く。
「…………」
手を伸ばしたセオの指先がそっと痣に触れて、枝分かれをなぞるように滑る。
「何か分かったか?」
「うん」
静かなリアムの問い掛けに短い肯定を返すセオ。
何が分かったのか、と不安げに尋ねようとしたユーフィアにセオは微笑みかけて、
「安心して、フィアちゃん。リアム様を信じていれば、きっと上手くいくから」
「ぇ――っ」
若干、的外れな言葉を投げられて困惑を滲ませたユーフィアが返事に窮していると、リアムがやや語調を強めて、
「余計なことを言うな、セオ。どう反応していいか、フィアが困ってる」
「はいはい」
反省する様子もなく手をひらひらさせて応じたセオは失礼失礼、とおどけた感じで断りを入れてから、再び、ユーフィアの首の痣に触れた。
転瞬、彼の手が淡い光に覆われた。
「……!」
全身が軽くなるような不思議な感覚にユーフィアは包まれた。
やがて光は消失して、彼はユーフィアから手を離した。
「今、治癒術を掛けてあげたよ。これで歩けるようになったはず」
歩けるかどうか試してみようとユーフィアはベッドから立ち上がり、違和感がないかどうか足に意識を向けながら室内をうろうろしてみる。
すごい。さっきまで全然力が入らなかったのに、こんな一瞬で――。
依然と同じように何の問題もなく歩行できるようになったのを確認できたユーフィアは部屋の中央のあたりで立ち止まり表情を明るくして、
「セオさん、ありがとうございますっ」
「どういたしまして」
相好を崩したセオは意味ありげにリアムを一瞥してから、更にこう続けた。
「ま、僕はリアム様に頼まれたことをしただけだから」
リアムが?
つまりまた彼に助けられたってことか。
閉じ込められたわたしを救い出してくれただけでなく。
なんだかとても嬉しくて胸が熱くなる――。
「リアムもありがとう。また助けられちゃったね……」
こちらは何も返せないのに、してもらってばかりで申し訳なくなって、ユーフィアは俯いた。
すると、リアムが彼女に近寄り、
「気にするな」
と頭をなでなでしながら、優しい声を発した。
「……!!」
セオだっているのに、この人はどうしてこんなことできるのですか……!
顔が茹で上がるのが鏡を見ずとも分かる。
こんな顔を見せたら、またからかわれてしまう。
だから落ち着くまで絶対、顔を上げない。
ユーフィアが密かに胸に誓った、ちょうどその時。
きゅるる、とお腹が鳴った。
なんでこういう時に限って……!
恥ずかしすぎて死んでしまいたい!!
そんな思いに駆られるユーフィアにリアムがこう言った。
「おまえは本当に可愛いな」
破壊力抜群のセリフに、より一層熱くなった全身から湯気が出た。
「元気になった証拠だね」
ケラケラ笑うセオは声を継ぎ、
「じゃ、僕は頼まれたことをしなくちゃいけないから帰るね」
「あ、ありがとうございました……っっ」
部屋を出ていこうとするセオに、顔面が真っ赤のままユーフィアは改めて謝意を示す。
いえいえ、と軽い調子で応答する彼をリアムがセオ、と名を呼んだ。
「本当に助かった。礼を言う」
「それじゃ、今度何か奢ってください」
「任せろ」
やった、と発したセオはスキップでもし始めるのかと思うくらい上機嫌な様子で部屋を後にした。