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王都ルベリオーレは高い堅牢な石壁に囲まれた円形都市だ。
中心の高台にはディルセイン王家が住まう王城があり、その周りには貴族や大商人の豪華な居館が軒を連ねている。
そんな貴族街をユーフィアを乗せた馬車は走っていて――。
「…………ん」
馬車が停まるのとほぼ同時に、微睡の中にいたユーフィアは意識を覚醒させた。
目を擦って、隣に座っているリアムがこちらに顔を向けているのをハッキリと捉える。
すると、彼はニヤリと笑って、
「可愛い寝顔だったぞ」
「……!!」
うたた寝から復帰して早々に心臓が高鳴り、寝顔を見られていた恥ずかしさも相まってユーフィアは顔を林檎のように赤くした。
そんな反応に満足したように意地悪な笑みを深めたリアムは馬車を降りて、反対側の扉に小走りで寄り、開けた。
「……ごめん……ありがと」
例によってまともに歩けないユーフィアが申し訳なさそうに謝った。
それに対して、リアムは礼には及ばん、と応じ彼女を横抱きにした。
「……っ」
やっぱり恥ずかしい。
星々が煌めく冬の寒空の下、身体が熱くなるのを感じながら、ユーフィアはふと視界の端の建物に目を向けた。
「わぁ……」
ここがリアムの邸……。
広大な敷地内にある壮麗な建造物を前にして、ユーフィアは感嘆の声を漏らした。
トルソン侯爵家よりも立派な邸に住んでいるとは。
もしかしてリアムはディルセイル討魔族隊の中でも相当、上の立場の人間なのではないか。
そう例えば。
ある可能性に思い至り、ユーフィアはリアムに率直に尋ねた。
「さっきディルセイル討魔族隊に所属しているって言っていたけれど、もしかしてあなた、特等騎士なの?」
「ああ」
なんでもなさそうに肯定されて、ユーフィアは目を剥いた。
特等騎士とは特等天聖術師と双璧をなす、国王から武勲を立てた者に授与される称号。
爵位は公爵より高く、王族に次ぐ。
考えてみれば、アークライトというリアムの家名を聞いたことが無かった。
有力貴族の生まれでないのにもかかわらず、こんな邸に住めるのは一代で富と名声を手にする事ができる特等騎士だからか。
驚きつつも納得したユーフィアに、伝え忘れていたかと悪びれる様子もなく言ったリアムは邸の豪華な外階段を上る。
彼に抱えられたまま、ユーフィアは広々とした前庭や白色の噴水を眺めて、すごいなぁ、と新鮮味のない感想を心の中で漏らした、ちょうどその時。
邸の豪奢な両開きの扉が開け放たれた。
ユーフィアの瞳に映るのは広々とした吹き抜けのエントランス。
床には赤い絨毯が敷かれ、壁には素人目でも分かるほど見事な絵画がいくつも飾られていて、天井から吊るされた瀟洒なシャンデリアが室内を明るく照らしている。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
黒いお仕着せに包み、主の道をあけるように二列に並んだ二十人近い使用人たちが声を重ねて、揃って一礼する。
ただいま、と短くも気さくな感じで返事したリアムが頭を下げている侍女たちの横を通り過ぎて。
「おかえりなさいませ、リアム様」
玄関広間の奥にある階段の前に立っている、侍女の中で最も年嵩だと思われる背の高い女性が恭しく言って、礼をした。
「ただいま、ベラ」
人前でお姫様抱っこされているのに恥ずかしさを覚えつつも、ユーフィアはベラと呼ばれた切れ長の目の女性をちらりと見た。
すると、目が合ってドキリとしたが、ベラはほのかに笑みを作って視線をリアムに戻し、
「こちらの方が婚約者様ですか?」
「ああ。これから面倒かけることになるかもしれんが、よろしく頼む」
「かしこまりました」
リアムは邸にいる人たちに婚約者を連れて帰ってくると伝えてあったのだろう。
それではまるでわたしが彼の婚約者になるのを知っていたみたいだ。
二人のやり取りを聞いて、そんな考えを抱いたユーフィアはふと思う。
まるで知っていたのではなくて、本当に知っていたのではないかと。
リアムの神能は時を戻す力。
彼はその能力を使って、同じような経験をしているのかもしれない。
一度ではなく、何度も。
だとしたら、リアムは未来が視えると言えるのでは――。
思索に耽っていたユーフィアはフィア、とリアムに呼名されて、我に返った。
「彼女は侍女長のベラ。ここでの生活で何か困ったら、彼女に聞けば大抵のことは大丈夫のはずだ」
「あ、うん」
ちゃんと立って挨拶しなきゃ、と思いユーフィアは下ろしてほしい、とリアムに目で伝えると、彼はそれに従った。
ふらつきそうになるのを堪えて、自分の足で立ったユーフィアは柔らかな表情を浮かべるベラを真っすぐ見つめて、自己紹介しようとした。
が、先に口を開いたのはベラだった。
「ご紹介に与りました。侍女長のベラです」
「ユーフィア・トルソンです」
恭しく礼をするベラにぺこりと頭を下げて名乗ったユーフィア。
「後で邸を案内してやってくれ」
「承知致しました」
ベラが丁寧に返すと、リアムは再び、ユーフィアの背中と膝裏に腕を回して軽々持ち上げた。
沢山の侍女たちがいる手前、変な声が出ないように努めたユーフィアだったが、その顔が赤く染まる。
そんな反応を見せる彼女にベラたちが微笑ましい視線を送り、リアムもどことなく上機嫌な様子で階上に向かった。
二階の長い廊下をしばらく歩くと、精緻な装飾が施された扉があり、リアムはユーフィアを抱えたまま器用に開けた。
通されたのは洒落た棚や大理石でできた暖炉、座り心地抜群そうな布張りの長椅子がある部屋。
リアムは迷いなく天蓋が金色で柱が白色の寝台に近寄り、ユーフィアを寝かせた。
ふかふかの枕。糊のきいたシーツ。肌ざわりの良い布団。
眠気を誘われたユーフィアにリアムが告げる。
「ここがおまえの部屋だ。ずっとまともに眠れなかっただろうし、ゆっくり休め」
そう言って部屋から出ていこうと踵を返したリアムにユーフィアはベッドに横になったまま、待って、と制止の言葉を投げた。
「どうした?」
振り向いたリアムに見下ろされながら、ユーフィアは数瞬の間を置いて、偽らざる本音を口にする。
「本当に今日はありがとう」
「礼には及ばんとさっき言ったはずだ」
言葉とは裏腹に悪い気はしないといった調子で返答するリアム。
「それでも……やっぱりありがとう、リアム」
感謝してもしきれない。
そう思いながらも謝辞を重ねたユーフィアは泣きそうな微笑を浮かべた。
すると、リアムもどこか切なそうに笑って、
「やっと名前を呼んだな」
「――あ……」
言われてみれば……。
改まって指摘されたからか、名前を呼んだだけなのに恥ずかしくなってきたユーフィアがうっすら赤くした。
「本当におまえは顔を赤くしてばかりだな」
リアムが悪戯な笑みを湛える。
半分くらいはあなたのせい!
そう抗議しようとユーフィアは言葉を投げようとした。
次の瞬間。
リアムはユーフィアの頬を撫でてながら、優しく告げる。
「おやすみ、フィア」
耳朶を撫でる声に気勢を削がれて安心感を得たユーフィアも穏やかに、
「おやすみなさい」
と返すと、リアムは部屋を出ていった。
途端、強烈な眠気に襲われたユーフィアは遠のいていく意識の中で、今日一日で自分の世界が一変したと思う。
目を覚ましたら、あの小屋の中で、リアムと出会ったのが夢だったら嫌だな、と不安になった。
――どうか夢じゃありませんように。
願い、祈って――ユーフィアは泥のように眠りに落ちた。