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美しい声が耳に滑り込み、ユーフィアが『リアム』と唇を動かした。

どうしてかとても口に馴染んでいるような不思議な感じがして――。

そんな(ほう)けたユーフィアに脱いだ外套(がいとう)を羽織らせて、リアムはこう続けた。


「詳しい話は後でするとして、まずはこの邸を離れるぞ」

「……えっ、ちょっと待って」


呆然としていたユーフィアは少し遅れてリアムの発言の意味を咀嚼(そしゃく)するや否や、制止の言葉を投げた。

しかしリアムは取り合わず――


「ひゃあっっ」


突然、リアムにお姫様抱っこされたユーフィアが瞠目(どうもく)して素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出してしまう。


「おい、静かにしてろ。邸にいる連中に気づかれたいのか」

「ご、ごめんなさい……っ」


呆れたような口調でリアムに(たしな)められて彼から香る清涼な香りを感じながら慌てて謝ったユーフィア。

せっかく外に出られる好機を潰すわけにはいかない。

そう思った途端、ここを出てた後、どこに行けばいいのだろうか、という疑問が胸に去来した。

ちょうどその時。

リアムがユーフィアの思考を読んだみたいにこう告げた。


「行先は王都にある俺の邸だ」

「邸……」


ということはリアムも貴族の子息なのだろうか、と推測したユーフィアはリアムが白と金色を基調とした騎士服を着ていることにふと気づいた。

――もしかしてこのリアムって人、ディルセイル討魔族隊(とうまぞくたい)に所属している?

思い浮かんだ疑問を口にしようとしたユーフィアであった。

が、先ほど詳しい話は後ですると言われたし、今はむやみやたらに声を発して邸にいる人間を呼び寄せたくないので、質問を呑み込んだ。


「行くぞ」


手短に言い終えると同時に、リアムはユーフィアを抱いたまま駆け出した。

石積みの小屋を出て、月光に照らされどこか幻想的な雰囲気を漂わせる庭を颯爽と走るリアム。

彼に横抱きにされたユーフィアの赤い髪が冷たい夜風でなびく。

さっきまで凍え死にそうだったというのに、今はあまり寒さを感じない。

それは金髪の少年が抱いてくれているからなのか。


『フィア、おまえを助けに来た』


そう言ってくれたからなのか。

出会って間もないはずだが、身も心も温めてくれた。

少年に対する感謝の気持ちが胸の底から込み上げてきて――ふと思う。

どうしてわたしの名前を知ってるんだろう。

あとで聞いてみよう。

もちろん、ありがとうと伝えてから――。

ユーフィアがそんな想いを巡らせていると、草木が茂る庭を駆け抜けたリアムが敷地と外を隔てる高い石壁の前で立ち止まった。


「しっかり掴まってろ」

「え?」


投げ掛けられた(げん)に疑問符を浮かべたユーフィアを抱く力を少し強めたリアムが膝を曲げて――跳んだ。


「!!」


中空で驚嘆しつつ、風圧に目をぎゅっと(つぶ)ったユーフィアは落下しないようにリアムの背中に両腕を回した。

浮遊感はほんの一瞬。

軽々と壁を跳び越えて華麗に着地したリアムは周囲を見回して誰もいないことを確認してから整備された道がある方向に走り出す。

程なくして。

森を貫く街道に出たリアムは道の端に停まっている馬車へ駆け寄り、脇でユーフィアを抱えて空いた手で扉を開けた。

馬車に乗れ、ということだろうと思ったユーフィアはリアムの手を煩わせたくなかったので、彼の腕から離れて自力で乗車しようとした。


「無理するな」


リアムの言葉を受けてピタリと動きを止めたユーフィア。

そんな彼女に金髪の少年は声を連ねる。


「あんな場所に長い間、閉じ込められていたんだ。まともに動けないだろ」


リアムの言う通りだ。

正確には分からないが長期間、監禁され手足を使っていなかったため、筋力が衰えてしまっていたのか、思うように身体を動かせないのが実情だった。

下手な行動を起こした方が彼に迷惑をかけてしまうだろう。

そう判断したユーフィアは彼に身を委ねるように力を抜いた。

ユーフィアを車内に乗せたリアムはすぐには乗車せず、


「出してくれ」


小さくも切迫した声を御者に投げてから、馬車に乗った。

数瞬(すうしゅん)後、馬がいななき、馬車が動き出した。

これで一段落と言った感じで短く息を吐いたリアム。

そんな向かいに座っている彼を見据えたユーフィアがやや緊張気味に口を開く。


「助けてくれてありがとう、ございます。きっとあのままあそこにいたら、凍え死んでたと思うから……です……」

「ああ」


(つたな)余所余所(よそよそ)しい口調で謝辞を述べたユーフィアに簡潔に返事したリアムは声を継いだ。


「俺とおまえは同い年だから、敬語じゃなくていい」


と言われてもいきなり馴れ馴れしくするのは失礼な気がしたユーフィアは遠慮がちに、


「そう、なんだ」


と理解を示した。

すると、リアムは一拍間をおいて、


「で、おまえは俺に聞きたいことがあるんじゃないのか? 何故、俺がおまえの名前や年齢を知っているのか、そもそも俺が何者なのか、とかな」


この人、わたしの心を読めるのだろうかと思ってしまうほど図星を指されたので、驚きと訝しみを混ぜた表情を浮かべたユーフィアは首肯(しゅこう)した。


「…………うーん」


しかしいざ質問できる状況なっても何から聞けばいいのか分からない。

小さく(うな)ってユーフィアが考えあぐねる。

馬車が森に入ったところで、リアムが助け舟を出すようにこう言った。


「俺は話した方がいいみたいだな」

「ごめん、おねがい」


質問すらまともにできない自分のせいでリアムが機嫌を悪くしたりしていないだろうか。

ユーフィアは彼の顔色を(うかが)う。

見たところ、特に気分を害したわけでもなさそうだったので、密かに安堵して、リアムの声に耳を傾けた。


「改めて自己紹介させてもらう。俺の名はリアム・アークライト。ディルセイル討魔族隊に所属している」


やっぱりそうなんだ。

リアムが身にまとっている金の刺繍が施された純白の騎士服を見ながら、胸中で腑に落ちたユーフィアは頭で考えていることをそのまま口にする。


「でもわたしと同い年なのに討魔族隊に入隊できるなんて……まさか――っ」


あることに思い至ったユーフィアが目を丸くすると、リアムがそうだ、と事も無げに肯定して、


「俺は神能(しんのう)を持っている」

「!」


驚くべき事実を告げられたユーフィアは愕然とした。

神能とは天聖術と異なり、天空に住まう神によって選ばれた、ごく少数の者のみが得ることができる超常的な力のこと。

その強さと希少性から神能を持つ者――通称、『神能持ち』の多くは人間に害なす存在である魔族を討伐するために組織された討魔族隊に入隊するのだ。

これらのことはディルセイル王国の国民であれば誰もが知っているようなことで、外出が制限されていたユーフィアも例外ではなかった。

両親に優秀だ、天才だと言われていた姉のクーヴィアですら持っていない神能。

そんな代物を、こんな端正な顔をしている少年が持っているとは。

天は二物を与えずとか嘘だ。

半分冗談、半分本気といった風にユーフィアは心の中でひとりごちた。


「そして俺の神能は時を戻すことができる力だ」

「時を戻す力……?」


言われたことが上手く理解できずにユーフィアが鸚鵡(おうむ)返しすると、リアムは真剣な顔をして顎を引いた。


「おまえは今日、初めて俺と出会ったと思っているかもしれんが、俺は何度もおまえ――ユーフィア・トルソンと出会っているってことだ」

「……だから、あなたはわたしの名前とか歳とか知ってるってこと?」


リアムは首を縦に振り、嬉々として、


「それだけじゃない。好きな食べ物に好きな色……どんな甘い言葉をかけたら顔を真っ赤にするかも全て把握している」

「えーっと……はい――っ!?」


予想外の言葉に顔を赤らめて素っ頓狂な声を出すユーフィアは頭をフル回転させる。

わたしは覚えていないけれど、リアムはわたしに甘い言葉をかけたことがある。

口ぶり的にも一度や二度の話ではなく、何回も。

つまりそういったことを言うような関係だったということか。

わたしが神能持ちで完璧な美貌の騎士様と――。


(冷静になるのよ、フィア。これは新手の詐欺か何かよ、きっと。だって信じられない。こんなかっこいい人がわたしなんかを好きになるわけないし……騙されちゃ駄目……!)


高揚する自分を戒めて平静を取り戻そうとするユーフィアにリアムは緩めた表情を真摯なものにして、


「俺の話が信じられないのは仕方がないし、無理に信じろとも言わん。だがおまえは俺にとって、とても大切な人なんだ」


大切な人。

真剣さの中に切実な想いが込められた声に、ユーフィアは心を打たれた。

とても大切な人だと面と向かって言われたことなどあっただろうか。


「だから当面の間、俺の邸に住め。――構わないな?」


確かにリアムの言っていることを一から十まで理解できていないし、何か都合の悪いことを隠しているかもしれない。

けれど、信じてみてもいいではないか。

脱走してしまった以上、今すぐトルソン侯爵邸に戻ることはできないし、他に行く当てもないのだし。

何より死にそうだった所を助けてくれた――命の恩人である少年ともう少しだけでもいいから一緒にいたいと思ってしまったから。


「はい。お邪魔させていただきます」


気恥ずかしさを紛らわすためか、ユーフィアはあえて慇懃(いんぎん)に同意を示した。


「そうか」


安心したように呟き頬を緩めたリアムは居住まいを正して、視線を車窓に移した。

釣られて、ユーフィアも馬車の窓に目を向けると、真夜中の闇の中、明かりを漏らしている王都ルベリオーレが見えてきた。

話している内に森を抜けていたらしい。

一頻(ひとしき)り外の景色を眺めたリアムはユーフィアに目線を戻して、こんなことを言った。


「今日からおまえは俺の婚約者だ」

「……え?」


コンヤクシャ?

慮外(りょがい)の単語が飛んできて、ユーフィアがぽかんと口を開けていると、リアムはもう一度言う、と前置きして、


「今日、この瞬間からおまえは俺の婚約者になった」

「え……えーーーーっっ!!」


リアムの発言を受け取り吃驚(きっきょう)の声を上げて頬を赤らめたユーフィアは慌てふためき、ついつい敬語で、


「待ってください! そんな勝手なことを言わないください!」

「なんだ俺じゃ、不服か?」

「ち、違いますけど……!」


こんな完璧な超人なのだから不服なわけがないだろう。

だがしかしあまりにも突然すぎる。


「いきなりというか、話が飛躍しすぎでは、と思いまして!」


早口で問いを投げたユーフィアとは対照的な落ち着いた様子のリアム。


「立場がハッキリしていないような者を邸に置いておけるわけないだろ。俺の邸に住むと承諾したおまえに拒否権は無い」

「そ、そんなぁ……」


まるで詐欺師のようなやり口ではないか、と思う。

一方で、でも邸に住むと了承したのは自分だしなぁ、とも思うユーフィアは何とも言えない悔しさにぐぬぬぬ、と唸ることしかできない。

そんな彼女にリアムは悪戯っぽく、そしてどこか嬉しそうに言う。


「行く当てもないのだから、素直に受け入れる方が賢明だぞ。――俺の婚約者さん」

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