8 オフィール
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「殿下は国王になりたいんですか?」
王都に向かう道中で、護衛についてくれた辺境伯の腹心であるライナーが聞いてきた。
実はこの男とはあまり喋ったことがなかった。辺境伯の後ろに初日から佇んでいた存在感のある男のはずなのだが。いや、初日どころか大体いつも辺境伯の後ろには影のように彼がいる。時折、楽しそうに会話もしている。
羨ましい。
「いいや」
「そうですか。安心しました」
「なぜ?」
「辺境伯は殿下が来てから、楽しそうです」
「そんなことはないだろう」
あるはずがない。あれは明らかに出来の悪い子犬、いやヒヨコを見るような目だ。それに離婚書類だって平気でサラッサラと書いたじゃないか。私を平気で手放せるということだ。
鍛錬と言って剣を持たされて辺境伯と稽古をしたが、まるで彼女の相手に私はなり得なかった。私が騎士団で学んでいた剣術は、相手が自分の常識内の行動しかしない人間でなければ相手にならない。
辺境伯には足を引っかけられる、目を突かれそうになる、蹴りを胸に入れられるなど散々だった。私がうずくまったのちに咳き込みながら立ち上がる時、辺境伯は大笑いしながら私に手を貸す。私をいたぶって彼女が喜んでいると言うのか。
「君と話している方が彼女は楽しそうだ」
ライナーの方が辺境伯との稽古についていけるし、いろいろと領内のことも相談もしているようだ。それに私がいないところでは「デライラ」と彼女の名前を気安く呼んでいる。しかし私の前ではしっかりと「辺境伯」なんて呼ぶあたり、きちんと弁えている出来た男だ。
それが私の心にさらなる暗雲をもたらす。もっと嫌味な男だったなら、ライナーが致命傷を負っても回復魔法を使わないで平気でいられるだろうに。
こんなに良い奴なら、ライナーが死にかけても私は何のためらいなく回復魔法を使うだろう。ライナーに縋って泣き叫ぶだろう彼女を喜ばせたくて。
「私は付き合いが長いだけです。あれです、悪ガキ同士が喋っているような」
「そうなのか? 君と辺境伯との婚約の話も出ていたと聞いたが」
そう、一番面白くないのはこのウワサ、いや事実だ。ダガーナイフをこれ見よがしに持っている家令のサムエルがポロリと口にしたのを聞いたのだ。
「それは辺境伯がドラゴンを倒す前までの話です」
「あぁ、そうか。彼女は竜殺しだ。申し訳がないな。彼女にはもっと強い婿がふさわしかっただろう。私などよりもずっと、ずっと」
だから彼女はあれほど簡単に離婚を切り出したのだ。
私の取り柄といえば金だろうか。投資も続けていて、辺境伯にも金回りのことは助言している。辺境では魔物の被害がいつ出るか分からないから、金がいくらあっても足りないのだ。金の話をする時、彼女は決まって私を見つめて「私の黄金郷は素晴らしい」と嬉しそうに目を細めていた。多分、私の髪と目が金色であることと名前の由来でからかっているのだろう。
そういえば、仕事は大丈夫だろうか。冬支度にかかる費用なんかは去年までが少なかったので試算してきたけれど。
これから収穫の祭りがあって、王都よりも厳しい冬がやってくる。
ドラゴンの被害で祭りは昨年まで縮小してやらざるを得なかったそうだが、今年は大々的にやれると辺境伯は嬉しそうに笑っていた。多分、楽しそうなのはそのせいだ。
やっぱり、私のことは出来の悪い金色のヒヨコを見て楽しんでいるだけだ。でも、彼女にそんな風に見つめられて悪い気はしない。心臓の音だって不自然に速くなる。
私は乳母や母以外の女性にあんな風に、慈しむように見つめられたことなどないのだから。王妃にはずっと「死ねばいい」という毒々しい視線ばかり浴びせられたのだから。
だから不相応にも願いたくなる。どうか、こんな私でも彼女の特別にしてくださいと。
「……まさか、殿下はご存じないのですか?」
「何をだろうか?」
「……いえ、私が申し上げることではありません」
ライナーに再度質問したものの、それに対する答えが返ってくることはなかった。
王都に到着して、宿で身なりを整えてから王宮に向かう。
この一年で私はすっかり私は辺境に馴染んだようだ。王都に近付くにつれて人が多いと感じ、空気も汚く感じた。
辺境をくすんでいると思っていたのに、今では王都がギラギラしすぎていて目を細めてしまう。
王宮の入り口では私の婚約者だったアズール公爵令嬢とその親であるアズール公爵が待っていた。令嬢の名前はなんだっただろうか。もう、とっくに忘れてしまった。幼い頃は会えば呼んでいたはずなのに、記憶の彼方をいくら探っても出てこない。
王妃が私を王宮に呼び寄せて殺そうとしていることは、側近のロイドが入手した情報で知っている。本当に王妃は実子である第二王子を国王にしたいのだ。
一方でアズール公爵は第二王子に思う所があり、他の複数の貴族と共に私に寝返ると知らせを送ってきているのだ。なんて馬鹿馬鹿しい話だろうか。一度捨てたのに、拾われて私が喜んでそのイスに座るとでも思っているのか。
「殿下」
頭の中で情報を整理していると、アズール公爵令嬢が側に寄って来る。
母がまだ生きている頃、顔合わせをした時には彼女を美しいと思った。でも、所詮は作られた美しさだった。髪の毛からつま先まで金をかけられて整えられている、所作ももちろん美しいだろう。
でも、私は――。私は大股で指示を飛ばしながら歩く、帯剣してドレスなど着ない彼女を美しいと思った。血がつくのも気にせずに傷ついた仲間に縋りつき、楽しい時は大きく口を開けて笑う彼女のことを。
異母弟が暴力を振るったというのは本当らしく、令嬢は頬にガーゼのようなものを当てていた。
彼女とは私なりに仲良くしていたつもりだった。
母が死んで王妃が手を回して私の待遇が悪くなり、会えなくなって手紙さえ送れず届かなかったとしても、彼女は私の婚約者なんだと思っていた。
学園でも、男爵令嬢が近付いてくるまでは公爵令嬢は私を見かけると挨拶は交わしていた。学年が違うからあまり会うことはなかったが……。
だから、本当に驚いたのだ。ほんの数度言葉をかわしただけの男爵令嬢とのウワサが凄い勢いで回り始め、彼女が被害者面を始めた時には。
どうして、私に確認してくれないのか。男爵令嬢とはほんの少し喋っただけなのに。なぜ、私が婚約者の君よりも男爵令嬢を相手にしていると思うんだ。
そしてやっと嵌められたことに気付いた。王妃も絡んでいた。毒殺しようにも私の回復魔法が全身をめぐり、猛毒でも熱が出るくらいで死なないから。
すでに、ずっと前から彼女と彼女の実家は陰で私を平気で裏切っていたのだ。何を呑気に私は虚像を信じていたのだろう。
そして今度は異母弟のことを彼らは裏切ろうとしている。




