6 オフィール
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たまたまその日、辺境伯に唐突に連れ出されたのはドラゴンとの死闘が繰り広げられた荒れた村だった。
焦げたような臭いが辺りに充満しているが、そんな中でもたくさんの人々が資材を運び込んで工事に取り掛かっている。
彼女は私の回復魔法を搾取しないが、あの件以降少しは気を許してくれたらしい。ピンと伸びた彼女の後姿を三歩ほど遅れて追いかける。彼女は歩くのがとても速いのだ。
「やっと復興に踏み出せることになった。あなたの金を使って。まさか、持参金以上につぎ込んでくれるとは」
「投資で引き続き出た利益だ。辺境伯には受け入れてもらった恩がある」
「別に回復魔法を使ってもらえるだけであなたの働きとしては十分なのだが。まぁ、もらえるなら遠慮はしないし返さないぞ？」
辺境伯は大股で歩きながら悪戯っぽく笑ってからかうように言う。
貴族としては下品な歩き方であるはずなのに、荒れた村をバックにしているせいか、彼女はとてもカッコいい。そんな彼女の姿に少しドキドキしてしまう。これは彼女の足が速すぎて追いつくのが大変だからだ。
「返せなんて、ケチ臭いことは言わない」
「あなたは黄金を生み出す王子だからな」
「やめてくれ」
そう、国王が支援をケチってずっとこのネルソン村は住めない状態だったのだ。ここの住民たちは他の村に散り散りに逃げている。
「どのあたりでドラゴンを殺したんだ？」
「ここだ」
教会らしき建物があっただろう崩れた場所を彼女は指差す。
「父もここで黒焦げになって死んだ。火を噴くドラゴンだったから」
そんなことを私に向かって話すとは思ってもおらず、息を呑んだ。サムエルから少し聞いてはいたものの、現場を見ると文字通り死闘であったことは分かる。
淡々とした口調で取り乱してはいないが、いつもの彼女とは少し様子が違う。それは少し伏せられた目からも察することができた。
「先代エストラーダ辺境伯は英雄だ。あり得ないほど短い間隔で起きた二度のスタンピードを鎮圧したと聞いている」
「あぁ、その通りだ。あのスタンピードはおかしかった。まぁ、魔の森に兵力と金がかかりすぎるからなんとか焼失・伐採しようとした隣国のせいだが。あちらの国王と辺境伯は代替わりしたからな、方針も変わる」
「ドラゴンの出現も隣国のせいだったのだろう？」
「あぁ。魔の森を消滅させたい気持ちは分かる。だが、我々がここに住む前からあの森は存在した。後から来た人間がどうこうするのは傲慢なことだ。だからこそ伝説に等しいドラゴンだって現れたんだろうな。人間の愚かな行いのせいで」
少し足場は悪いが、辺境伯は難なく進む。私はこけない様に注意しながら前だけ向く彼女の後を追った。
「城を歩いて肖像画を見たのだが、辺境伯には兄がいたのだな」
「あぁ、二つ上の兄がいた。名はテオドール」
過去形だ。まさか、父と兄をドラゴンによって失ったのか？ 先代辺境伯の話は聞いたが、兄の話は聞いていないぞ？
肖像画の中の彼女の兄は、彼女にそっくりだった。
彼女の身長をもう少し伸ばして髪を短く切れば、テオドールという兄になるのではないだろうか。双子と言われても信じそうなほどよく似ていた。
あぁ、でも目だけは。彼女の兄の目は彼女のように綺麗な紫ではなかった。
私の家族の肖像画なんてない。私と母が描かれたものは王妃によって全て焼かれた。
だから、エストラーダ一家の肖像画は眩しかった。私の中には存在しないものだったから。眩しくて、食い入るように眺めてすぐに目を逸らしてしまった。
「その……兄君もドラゴンの討伐で？」
「兄は利き腕に酷い火傷を負った」
「それなら古傷でもなんとか私の回復魔法を試して……」
なんとなくおかしさを感じていた。肖像画の中に辺境伯の兄はいるのに、城でも他でも見たことがなかったのだ。
「兄はもういない。私がドラゴンを討伐した後、怪我が粗方治ってから城の金品を盗んで逃げた」
「……どうして」
彼女は軽く口にするが、私はあんまりな現実にそんな凡庸な言葉を絞り出すことしかできなかった。
彼女は裏切られたのか？ それとも兄がドラゴンや竜殺しになった妹に怖気づいて重圧から逃げたのか？
「さぁ？ 妹にドラゴンを討伐されて悔しかったのか。剣を握れなくなる怪我をして辺境伯を継がないことにしたのか。別に火傷をした辺境伯で良かったのに。どちらにしろ、兄はもうこのエストラーダ領にはいない。もう兄は死んだと思っている。万が一、生きて帰ってきても尻尾を巻いて逃げた男はエストラーダ領には必要ない」
がれきに足を取られて私は転びかけた。
尻尾を巻いて王都から逃げ出したのは、まさに私だ。母を早くに失い、無力で情けない抵抗などしない第一王子。
すっと力強い手が腰に伸びて来て、転ばずに済んだ。すぐ近くに見えるのは彼女の紫紺の髪だ。香水などつけていないはずの彼女から、ふわりといい香りがした。
「私の夫は少しひ弱だな。歩き方が生まれたての黄金のヒヨコのようだ」
「申し訳ない。恥ずかしながらこういう整備されていない場所は初めて歩いた」
「少し鍛錬でもしてみるか」
「それは、躾だろうか」
「いいや？ 単なる軽い軽い運動だ。あなたは足腰が弱すぎる」
ははっと辺境伯は笑った。なぜかそれは無理矢理悲しみを振り払うような笑みに見えた。
だが「私の夫」と呼ばれたのは初めてだったので、少しばかり心臓の音が速くなった気がした。
辺境伯といると、私はおかしい。
いや、おかしくはないのか。これが普通なのか。ずっと人が怖くて避けていたから分からない。
心臓がドキドキする。彼女に近付くと特に。彼女の言葉たった一つで。
学園でハニートラップをしかけてきたあの男爵令嬢にこんなことは思わなかった。
