6 オフィール
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その神官は、聖国の大神官でイサクと名乗った。
名前だけは聞いたことがある。
不遇な生い立ちと強い回復魔法で、若くして大神官にのぼりつめたという人物だ。
私よりも生い立ちが不遇だったので、あぁ世界にはもっと大変な人もいるのだなとその存在に勇気づけられた。
そんな人がこの国にわざわざ来て、王妃に協力して悪魔召喚を行っただなんて俄かには信じられない。王妃がそんなことを知っていたとも思えないから、彼が主導したのだろう。
「あなたさえいなければ、私が聖人だと認められます」
「いや、あの……私はそもそも聖人ではないんです……」
聖人聖人って……そんなに聖人になって崇められたいのだろうか。よく分からない。
イサクはその綺麗な顔を歪めた。
「デライラ・エストラーダのドラゴンの呪いを消したのはあなたでしょう」
「それは……綺麗に消えて良かったですけど……大神官様ならできるのではないですか? あ、でもドラゴンなんてそうそう出ないですよね……神殿に頼むと金貨をどのくらい積まなきゃいけないのか聞くのが怖くて。それに呼ぶのも間に合いませんでしたし……」
あれはデライラにドラゴンの呪いがあると知って、回復魔法をかけただけだ。あのどす黒くデライラの肌に巻かれたものが綺麗に消えて本当に良かった。
「あなたは、どこまでも私をバカにする」
話している最中なのに、彼は黒いツタを差し向けてきた。
バカになんてしてないのに!
デライラの時と同じように、そのツタは私やエストラーダの兵士に届く前に見えない何かに弾かれる。
よくよく見れば、黒いツタは彼の影から分岐して発生していた。回復魔法を使うと淡い光が出る。悪魔の力というのはそれの対になるものだろうか。
「そもそも聖人は教皇様が決めるものではないですか? 私は絶対に違うので……」
「聖人は不死鳥を従えます。あなたが従えているから私は認められない。教皇も他の神官たちも、あなたのウワサを聞くたびにあなたが聖人だと口にする。不死鳥の存在でそれは決定的になった。皆、これまでは私こそが聖人だと言っていたのに……」
不死鳥云々は聞いたことがあるが、ライラックは私の肩や頭に乗っているだけであって従えているわけじゃない。従えていたらあんなにライラックに怒られない。
「なぜ、あなたのように神に対して何もしていない、呑気に生きているだけの王子に不死鳥が……神よ、なぜあなたは私にこんな試練を……」
ブツブツ言っている内容がさっぱり分からないが、初対面なのにかなり恨まれているようだ。
会話をしている間に黒いツタは何度も襲ってくるものの、一つも私たちに到達しない。
弾かれたその一つを試しに掴んで、回復魔法を流し込む。
すると、ツタは大きく震えてパラパラと欠片になっていった。
「あの、私は本当に聖人じゃないので! 信仰も回復魔法も偉業も何もないですし……ライラックだって最初はヒヨコだったし! 私がイサク様こそが聖人だと言って誤解を解けば……」
聖人に悪魔召喚を行っていてもなれるのかは分からないが、私は武力がそれほどないのと、イサクは話が通じそうな相手なので話しかける。
──なるほど、それがお前を妨げている理由だな。
「え、何が?」
肩に乗ったライラックに問いかける。
──お前の自己否定が強いから、聖人としてはまだまだなんだな。
「私は聖人じゃない。それにエストラーダに来てから自己否定はかなりなくなった……はず」
急に周囲が静かになった。
先ほどまでデライラの剣の音が聞こえていたはずなのに。
慌てて見回すと、白くキラキラ輝く綺麗な半円状のものにイサクとともに覆われていた。
境界の壁らしきところを叩くが何ともならない。エストラーダの兵士たちも中に入れないようで、外からドンドンと叩いている。
彼らが何か喋っているが、音が聞こえない。
「悪魔から借りた力はどうやら聖人には効かないようなので……でも、神官のこちらの魔法は効くのですね」
同じ空間にいるイサクの声ははっきりとどこか反響して響いて聞こえた。
──おい、そいつの声を聞くな。
「え?」
──これは見たところ結界っぽいが、強力な回復魔法を使える神官たちは精神にさえも作用する力も持ってる。回復魔法をかけられて恍惚とした状態になるのはそれが原因だ。そうやって信者も増やしていってるしな。
「回復魔法なら私も使えるけど……」
──聖人の回復魔法は神官のものとは違うんだよ。
『オフィール』
あまりに懐かしい女性の声がして、思わず振り向いた。
先ほどまでイサクが立っていた場所に、亡くなったはずの母が立っている。金髪に青い目の、私の母だ。
どうして幼い頃に亡くなったはずの母がここに?
イサクは?
いや、どうでもいいか。母と話せるなら。
──おい、幻だ! 聞くな! これ、悪魔の力も入ってんな⁉
『ねぇ、オフィール。どうして私に回復魔法を使ってくれなかったの?』
──ダメだ! おい、耳塞げ!
ライラックがギャアギャア言っている声がだんだん遠くなる。ライラックの姿さえ見えなくなって母と二人きりだ。
立っている母の口からつぅっと血が流れた。
『毒を盛られた時に。どうして? どうしてあなたは自分だけ助かったの? お母様には回復魔法を使いたくなかった? 死んでほしかった?』
そんな! 違う。絶対に違う。
あの頃は回復魔法もうまく使えなくて。猛毒を盛られて意識が朦朧として母に手を伸ばして──。
『なぁんだ、あなたはお母様を救いたくなかったのね』
母は悲し気に言う。口から血を流しながら。
違う、違う。そんなことない。あれはただ、私が弱くて無力だったから。
「ごめんなさい。あれは私が無力だったから……」
『こんなことなら、あなたなんて産まなければ良かった』
母から紡がれた言葉が鋭く私の心を刺す。
『あの女にも負けて、あの女の息子にも負けて。なんて情けない。私は国王にも愛されず、息子も出来損ない。何にもいいことがない人生だった。挙句の果てに猛毒を盛られても息子は助けてもくれない』
違う、母はこんなこと言わない。これは、母の姿で母の声を出す何か。
分かっているのに、なぜか心が痛かった。
母は言わなかっただけで、本当はこう思っていたかもしれないから。
母にこう思われていたらどうしよう。それが怖くて仕方がなかった。
私は弱い。
弱いのは悪いことじゃないと、やっと思えたのに。デライラに縋って助けてもらってばっかりで弱い。
デライラだって、こんな私のことを嫌いになったかもしれない。
私は彼女の特別な存在になりたい。でも、彼女にとって特別なのはエストラーダで……私じゃないかもしれない。
その時、周囲にぐわんと衝撃が伝わってきた。
ハッとすると私はいつの間にかしゃがみこんでいて、近づいてきたイサクがナイフを振りかぶるところだった。
母はどこにもいない。
受け身は得意だ。散々デライラに鍛えられた。
反射のようにイサクの脛を蹴って、床を転がりながらナイフを回避する。
転がった私の視線の先には、剣を持って立ち上がって駆けていくデライラの紫紺の髪が揺れていた。
その迷いのない戦い方に、さきほどまでの自分が恥ずかしくなる。
彼女は私を奪われないために悪魔とでも戦うと言ってくれていたのに。
エストラーダ領に来て彼女が魔物と戦うのを見て、美しいと思ったのに。
母は産まなければ良かったなんていう人じゃない。
それに、もしそう思っていても別にいい。言われていないことは分からない。
私の力不足で母を助けられなかったのは本当だ。母を連れて王宮から逃げることもせず、毒を盛られて助けることもできず。
あの頃は仕方がなかった。無力で弱くてどうしようもなくて、母を救えなくて本当に申し訳なかった。
多分、デライラはこんな思いを私よりも何百倍も多くしてきたはずだ。
もしもできるなら、生き返らせたい人がたくさんいるだろう。
魔物に仲間を殺されて、ドラゴンに父親を殺されて。それでも彼女は私のために立ち上がってくれた。
そんな彼女に寄り添うだけじゃ足りなかった。
聖人かそうじゃないとか、どうでもいい。
私はただ、一番大切な人を守れるようになりたかったんだ。あの、母に回復魔法さえ使えなかった無能な時にそう誓ったんだ。
それがエストラーダ領で叶えられている。
──おい! 正気に戻ったか! お前、魅了されかけてたぞ!
ライラックの焦ったような声も耳に流れ込んでくる。
体のあちこちが痛くて、腕には血がにじんでいる。これはライラックが何度もつついた跡だろう。
「お前さえいなければ! 私が神に最も愛されていた!」
イサクも起き上がって、ナイフを手に再び向かってきた。
デライラによく言われたものだ。ナイフの持ち方がなってないと。
彼もそこまで心得はないらしく、ナイフの持ち方はめちゃくちゃだった。戦う神官とかいたら怖い。
避けながらイサクの腕を掴み、そのまま足払いをかけて床に引き倒してから馬乗りになる。
これは何度も稽古でデライラにやられた。
イサクの首を絞めて意識を落とすと、白く輝く半円状の結界が消えていく。
エストラーダの兵士が駆け寄っていてくれたので、イサクを彼らに引き渡した。
「デライラ様!」
ある兵士の悲痛な声に、そちらに慌てて視線を向ける。
ライナーの剣がデライラの脇腹に刺さっていた。




