1 デライラ
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王都周辺だけが瞬く間に分厚い黒い雲に覆われた。
遠くのエストラーダを見遣るとそこに雲はないので安心してしまう。
分厚い雲の下で雨が今にも降り出しそうだがまだ降っていない。
再び偵察に何人か送り出したが、王都の住人は貧民街で火事が起きたということしか知らず、なぜか異様に怯えてあまり話にならないとのことだった。
焦げ臭さが充満しつつも火は住民たちによって消し止められていたが、そんな状況でも城の騎士団は動かなかったらしい。抗議に行った住人もいたようだが城から帰ってこないという。
結局、城に乗り込むしかないという結論になった。
普通はこれだけ大勢で行けば門で止められるはずだが、門番の姿はどこにも見えない。
そのまま進んでいくと、門から城に至るまでの道中に人がかなりの数折り重なるように倒れている異様な光景が見えてきた。
「なんだ、これは?」
死んでいるのかと思ったが、気絶しているだけのようで息はある。
後ろからついてきている夫を振り返ると、彼は難しい顔をしてピヨと喋っていた。
「ピヨはなんだって? 何か知っているのか?」
「ピィ! ピィ!」
ピヨは赤い翼をバサバサさせながら必死に訴えてくるが、何を言っているのかさっぱり分からない。必死に喋ってくれているのは分かる。
「すまん、何を言っているのか分からん」
「ライラックは、おそらく悪魔召喚はもう完了しているだろうと言っている。召喚したての悪魔の方が弱いから早めに殺した方がいいって」
「時間が経つごとに強くなるのか? 生贄の数で強さが決まるのだとばかり」
「ピィ!」
「召喚されてから人間をさらに取り込むらしい」
「じゃあ、城の人間たちは取り込まれているんじゃないか? このあたりの奴らはなぜ倒れているのか分からんが……取り込まれると意識を失うとか? それならこの人数がすでにやられているのは厄介だな」
近くに倒れている人間を何人か揺すってみる。
中には束の間意識を取り戻す者もいた。
「ひっ!」
「く、黒いものが伸びてきて……あっという間に……」
「急に気持ちが悪くなって……外に出ました」
意識を取り戻しても三者三様の反応だ。ひとまずは城と門の間にいる者たちは取り込まれていないのかもしれない。
王都に戻ってきた騎士たちは怯えて使い物になりそうにないので、見回りをさせることにした。魔物にさえ怯えていたのだ、悪魔になど太刀打ちできるわけがない。
エストラーダの兵士たちとかろうじて使い物になる指揮官をはじめとした数人を引き連れて城内に入ると、多くの人々が働いているはずなのに奇妙なほど人気がない。
「ピィピィ!」
「さっきのは城から逃げ出した人たちじゃないかって」
「なるほど。もしかしたら悪魔にもまだ行動制限があるのかもな。制限がないならすぐにいろんな人間を殺しているだろう」
悪魔召喚なんておとぎ話だと思っていたが、異様な空と城の様子を目の当たりにすると現実味を帯びてきた。
なにせドラゴンが空を切り裂いて現れるのだ。悪魔だってどこからか召喚されるだろう。
私はエストラーダ領から出るのは初めてだった。
ずっと戦いに明け暮れ、エストラーダに居座りそうな王都の騎士たちを帰らせるために送り届けに来たら、これだ。
王都というのは美しいものだろうと想像していたが、残念ながら今は禍々しい。
「城はいつもこんなに静かなのか?」
城の案内のため、私の斜め前を歩いている指揮官に問う。
「あまりにも人がいない……それにしても、なぜあなた方はそんなに平気なのだ?」
「何が?」
「城内に入ってから空気が非常に重苦しい。不快感と嫌悪感でどうにかなりそうだ。これが倒れていた者の言っていた気持ち悪さではないか」
「そうなのか? 分からんが、我々は魔の森で慣れているからじゃないか。この城の中の空気は魔の森と似ている」
魔物と悪魔の関係は知らないが、空気感はよく似ている。ライナーたちも同意を示してきた。
平気そうなライナーたちがいる一方で、指揮官たち王都組の顔色は先ほどより悪くなり足取りものろくなっている。
夫の様子をうかがうと、緊張はしているようだったが大丈夫そうだ。
「王族はいつもどこにいる? 広間か? 玉座の間か?」
「こっちだ」
「キャアア!」
指揮官が案内しようとした時だった。
赤い絨毯が敷かれた廊下の先の部屋の扉が開いて女が走り出てくる。
金髪の四十代くらいの女で、豪奢なドレスを着ているから走りにくそうだ。
「ドロテア王妃殿下!」
「あれがか」
ドロテア王妃だという女はドレスの割にはなかなかの速度で走ってきて、こちらに気づいた。
「たっ、たすけ……」
足がもつれたのか裾を踏んだのか、彼女の体は大きく前のめりになってこけた。
受け身を取らないで顔面からいっているのが不思議だ。
「……あれは、間違いなく継母だ」
「どうする? 殺すか?」
「何が起きているのか、話を聞きたい」
エストラーダから来た私たちは王妃の顔などよく知らないので動かない。指揮官たち王都組はどうしていいのか分からないようで動かない。
王妃に悪魔が取りついている可能性だってある。
悪魔というもののイメージは人をだまくらかすもの。では、あの王妃は助けを求める振りをしているかもしれない。
夫が王妃に近づくので、私も剣を抜いて一緒に歩み寄った。
「あ、あ……オフィール、お願い、助け……」
迫害していたはずの第一王子に継母が助けを求める様子はとても滑稽だった。
醜い。ドレスは高価で美しいのかもしれないがその様は醜悪だ。
どうして、私の夫はこんな風に扱われてきたのだろう。
「何があったんですか?」
「悪魔が……大神官に取りついてっ、リュシアンを……あぁ……」
王妃はぽろぽろと涙をこぼす。
この感じでは第二王子は生きていないだろう。
おかしなことだ。その現場から逃げ出しておいてなぜ涙を流すのか。
お前に泣く資格などないだろう。そして、夫に縋りつく資格もない。
王妃が夫に手を伸ばす。
夫は戸惑いながら王妃の手を取ろうとした。
しかし、指が触れそうになった瞬間王妃の後ろで何かがうごめいた。
「オフィッ!」
私は片手で夫を引っ張って王妃から離す。
王妃の足に黒いツタのようなものが巻き付いていた。
ズルリと王妃の体が後ろに、つまり逃げてきた方向に引っ張られる。
「あぁっ! 助けっ!」
夫をライナーに放ると、王妃の足に巻き付いた黒いツタに剣を振るった。
ツタは一旦足から離れ私に襲い掛かろうとしたが、何かに弾かれたような衝撃を受けて大きく後ろにのけぞった。
「なんだ?」
剣をもう一度構えたが、黒いツタはグネグネと動いてパッと離散した。
意味が分からず周囲を見ると、指揮官たちの様子がおかしい。俯いてがくがく震えているが、恐怖に震えているのではない。
「うっごぉあ」
王都の騎士たちの足にはいつの間にかツタが巻き付いていた。
エストラーダの兵士たちは全員何ともない。この差は一体何だ?
指揮官は緩慢な動きだが剣を抜くと、夫に向いた。
ピヨがギャアギャア喚く。
「まずい! 取りつかれたか何かで自由を奪われている。ツタを引きはがして気絶させろ」
指揮官の腹を蹴り飛ばすと黒いツタはそれ以上襲ってこず、シュルシュルとどこかへ消えた。
「こいつらを縛って城の外へ出しておけ! 下手に邪魔されたら厄介だ」
「キャアアア!」
またも悲鳴が聞こえて振り返ると、王妃が再びずるずると黒いツタに引きずられているところだった。
王妃に近づこうとする夫をピヨがギャアギャア喚いて止めている。
王妃は抵抗するように柔らかな絨毯に爪を立てていたが、なす術なく引きずられて出てきた部屋に引っ張り込まれた。
「あの部屋か」
「おい、デライラ! 一人で突っ走ってんじゃねぇよ!」
私は後を兵士たちに任せて駆け出した。ライナーの怒号が背中にかかる。
「びびってるやつは足手まといだ! 置いていく!」
不思議と恐怖はなかった。
なぜこんなことになったのだろうという疑問は頭の片隅に残っている。
でも、行かなければいけない。
あの部屋に答えがある。
私の大事なものを脅かし続ける答えが。




